第38話 富谷本陣着陣する

 今朝も港に通う爺さんが、沖に泊る曰くありげな船に目に止めた。

 今日も、南海が背中で暴れている。

「静かにせんか、南海。ここでは下ろしてもらえぬのを知っておろう」

 それでも「おう、おう」と両手を突き上げる南海だ。

「おーぃ、おーぃ、南海かぁー」

 漕ぎ寄せる小舟から、野太い声が上がった。勝次だ。

 待ちに待った富谷本陣の到着だった。勝次の声が停泊する大船にも届いたのか、次々と船端に顔がのぞく。

 爺さんの顔が安堵でゆるみ、背中の南海に「勝次だ、勝次だ」と語り掛けた。

 小舟から飛んだ勝次に、「かつ、かつ」と南海が両手を伸ばす。

「何だい、何だい、南海がおれを呼んでいるのか」

 笑み崩れた勝次は、爺さんの背中から南海を抱きとった。


 寺に辿り着いた一行は、和尚に懇ろに礼をして、しばしの逗留を願った。

「しばしなどと申さず、御ゆるりと旅の疲れを癒されなされ」

 重いお布施を頂いて、和尚に否やはない。

 爺さんが守ってきた四つの荷物が改められ、富子と半大夫が頷き合う。爺さんは中味を知らないが、富子と共に船出するはずだった荷物だ。大事な物に違いない。

 富子は、南海の部屋に入ってくると、「南海、婆を覚えているかぇ、さあ、少し抱っこしよう」

 抱き上げて、廊下に出るのを待っていたハナが、顔を覆って笑い転げる。

「うるさいぞ、ハナ」

 末吉が小さな声で怒鳴った。

「だって、だって、お富さまが、自分のことを婆だなんていって‥‥‥」

 確かに、日頃華やかな富子も旅の空とあって、極ごく地味なしつらえだ。どう見ても南海の母とはいえず、祖母であるなら、婆だろう。南海が「ばば」などと呼ばねばいいがと、爺さんは心配顔だ。


 寺の本堂は、富谷本陣の評定の場となった。

 ひと月近くも遅れてしまったが、予定通りを確かめて、みな寛いでいる。

「何もかも、おれの失敗です。留吉とはぐれ、どうやら子供売りの船に乗せられたと突き止めた時は、すでに手遅れで‥‥‥ 船は鎮西に向けて出港した後でした」

「そんなぁ」

 思わず出たハナの声だ。

 末吉は、慌てて「ハナ」と叱責した。

 わっと泣き伏し、顔の下に涙の粒が池を作る。

 末吉とハナの間に、眠っていた南海が、起き出し、「ハナ、ハナ」と呼びかけ、心配そうに、その背を擦っている。

 富谷の一党は、笑顔と涙を飲み込んで、しばし黙した。

「ずいぶんと遅れてしまったが、都が逃げる訳ではない。二~三日うちには、ここを引き払い、京都へ向かうぞ」

 心強い半大夫に促され、みなの顔が綻んでいく。


 砂塵にまみれ一行が落ち着いたのは、それなりの人物の屋敷だったのだろう。

 末吉もハナもその大きさに驚き開いた口が塞がらない。

 塀の中の屋敷は、庭の雑草に埋もれ死人のようだ。

 家中の遣戸や蔀戸を開け放し、風を入れた。厨に火を入れれば、古い建物が、ゆっくり目を覚まし、ビシ、バシ、ググっと声を上げながら生き返っていく。

 庭の草を刈り、池の水を入れ替え、板床をせっせと吹き清める。

 四郎大夫も勝次も末吉もハナも、旅の疲れを忘れて嬉々として働いた。負ぶわれるのを嫌がる南海を、皆で交互に背中にくくり付け、仕事に励んだ。

 回廊が池に飛び出した部屋に几帳をめぐらし、小さな花模様の高麗縁こうらいべりの畳にお富さまが座った頃、牛車が門前に停まった。

 

 もぞもぞと刻を使ってから、貴族と思しき男が降り立った。

 色味キラキラ、ふっくらと膨らんだ衣冠姿で、「富子は、おじゃるか」とのたまった。

 ハナは、奥へと吹っ飛んでいく。

 富子の部屋で、二人は向き合った。富子は畳の上に座ったまま、男は床板の敷物の上だった。


 末吉は、半大夫に命じられ、男の牛車に荷物を運んだ。

 年老いた牛飼童うしかいわらわが、「何か美味しい物もありますかいな」と鼻をひくつかせた。

 やがて、男は帰って行った。

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