第37話 老武士の出自が知れた

「センセ、センセ、南針先生」

 癪で苦しんだ老武士が訪ねて来た。お供の者がお礼の品だと大きな包みを差し出した。

「その後、如何でございますか?」

 穏やかで丁寧な物言いに、笑顔を絶やさぬ老武士は名乗った。

「それがしは、宇土うと三郎衛門と申します。先日は、痛みの中とはいえ、名も名乗らず、失礼いたした」

「恐れ入ります。治療代は頂いております。このような過分の礼は無用でございます」

 差し出された品を軽く押し戻し、南針はあくまで丁寧だ。

 笑顔ではあるが、老人はじっと南針を見つめている。目が合うとニコリとほほ笑む。前回とは別人のようだ。

「いや、いや、大した物ではございません。子供だましだと笑わないでいただきたい。ほんに、笑ってお納めいただければと持参しました。ほんの気持ちでござります」

 あまり遠慮してもなるまいと、南針は「それでは、遠慮なくいただきます」と頭を下げる。

「南針先生、今日は痛みはありませんが、ひとつ教えて頂きたいことがござる。正直申して、針は苦手でございまして‥‥‥ 先日、先生はいやがるわしに、針を使わずに痛みを抑えて下さった。如何なる魔術をお使いか?」

 微笑みを浮かべた南針が応える。

「魔術でございますか? 出来るものなら、使いたいものです。どんなに治して差し上げたい方がいても、何も出来ないことがございます。そのまま彼の世にお見送りする方もございます。切ない限りでございます」

 質問の答えになっていないが、老人は、じっと南針を見つめている。

 痛い、痛いと診療室から大騒ぎが伝わってくる。

「これはいかん。忙しい先生の時間を潰してしまった。これにて失礼いたします」

 言葉なく軽く頭を下げた南針は、立ち上がる老武士に、不思議な気分になった。既視感というのか懐かしさを伴った温かい気分だ。

「おい、帰るぞ。長い治療であった。過分に支払いをせよ」

 お供の者にいいつけて、戸口に向かう老人を陽針が、嬉しそうに見送りに出た。老人は別れる時、陽針の右手を確りと握り、離し、歩き出す。陽針の手の中に宋銭が残っているのを南針は、知っている。


 老武士は、迷いが確信に変わったと思いつつ帰途についた。

(間違いない。南針先生は、その昔、海で遭難した南海王丸なみおうまるさまだ)

 青空が輝く上天気の日に船遊びに繰り出したのは、もう二十年も前の話だ。

 夏に向かう空は、すっきりと晴れていた。

 惜しげもなく陽光が降り注ぎキラキラ輝く海上に漕ぎだした船は、絵巻から抜け出したようだった。

 竜頭船と鷁首げきす船は、ちりちりと離れ、スイスイと寄っては楽しみ、対になって遊び回った。

 よいよいよいと踊り出す男どもを追いかけるのは華やかな音曲。

 何と愚かな男女の群れ。その中に、まだ若い己を見出し脇の下に汗がにじみ出す。

 西の彼方に湧き出した黒雲に気付かず、大切な若さまの姿が視界から消えたのも気付かず、酒をあおり浮かれていた。

 ゆるゆる大きくなった横波が、突然の盗賊と化し船を襲った。

 酒の甘たるい匂いに賊が群がり、蜂の巣をつついた大騒ぎだ。二艘の船はちりちりと離れ、青息吐息で互いを求める男女のごとく、やがて寄り添って、ほっと一息。

 笑いながら、少年を探す女房の姿を笑いながら見ていた己。

 皆々が消えた若さまを探す頃には、船は大嵐に翻弄される木っ端と姿を変えていた。

 長い武士の暮らしの中で、後悔が追い付かない痛恨の事件となった。

 さて、これから如何に事を進めるか。

 やはり、姉君の桜姫に相談するべきだろう。が、やっと嫁ぎ、やっと子をなし、小さな幸せを見つけた姫を煩わせてよいものか。

 弟の南海王丸より、更に異相の姫である。淡い瞳は見失ってしまいそうに儚く、その命の元を透けて見せる頬は、まさに桃源郷の仙果せんか。異相は承知、その小さな美貌に嫁入り話が絶えなかった。己の嫁にとはいえぬが、義父になる義祖父になる野望は捨てがたい。なにも嫡男に望む必要はない。二男、三男の許婚にすれば良いのだ。

 ここ鎮西は、古来から大陸との貿易が盛んで、それに伴い国際結婚も珍しくない。

 欲に駆られた宋人が、波濤を越えて日本に渡来したが、船に乗るのは男だけ。貴賤を問わず現地妻がいた。その結果、遠い血脈を渦めかした子も多数生まれた。身分ある男は、誰もが、宋日貿易の恩恵に与りたいと日本人の母をもつ宋人の女子を妻にした。父親は巨大な利権をもつ宋人だ。

 南海王丸の父親も異相の美女に手を伸ばした。菊池隆泰たかやすは、遊び人。世を拗ねて、遊び回るが先立つものが必要だ。謝国明しゃこくめい一族の娘を狙ったが叶わなかった。それでも世話する人がいて、美貌の側室と娘と息子を手に入れた。その息子の誕生時には、本妻にも二男が生まれ大わらわだった。

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