第31話 鎌倉は銭が暴れて大騒ぎ

 鎌倉は木枯らしが吹き、気和飛坂けわいざかも寒々と年の暮れも目の前だ。

 文永四年(一二六七)年末、幕府は評定の座において「徳政令」を発した。

 御家人の所領を質入売買するのを禁止した。有象無象の金貸しに、質物として渡ってしまうのを防ぐためだ。すでに売買してしまった所領も、原価格相当を買主に返却すれば、取り戻すことが可能となった。

 他にも無償譲与の禁止。離別された妻が前夫からゆずられた所領を現在の夫に渡すことを禁じ、非御家人の女子や傀儡くぐつ白拍子しらびょうしらが夫の所領を知行することも禁じられた。

 富谷のような金貸しは、特段、珍しい訳ではない。借上かしあげと呼ばれた金融業者は、下級の僧侶に多かった。寺の権威をかさにきて、「上分物」や「初穂物」と称した。ただの金貸しではないぞ、寺に奉るべき上分を貸すかたちにし、返済を怠る相手に畏怖を与え、回収を強行することが出来た。他にも、借上はあった。興味深いのは女性の多さだ。富谷の富子のように商魂たくましく活動する女性は多かったのだ。


 徳政令を聞いた、富子は怒髪天。

 借金の形に取った田畑が、何処へ消えるか分からない。かなりの財産を半大夫の才覚で、生まれ故郷の京都に運んであるが、滞っている貸し金も少なくない。

 富谷に限らず、多くの紛争が各地で起こった。幕府への提訴も後を絶たない。返した、返してもらってない。返した畑の成り物は、おれの物だ、いやわれの物だと、世の中は上を下への大騒ぎだ。

 そんな騒ぎの中、蒙古に命じられた使者が鎮西に来た。高麗人であった。

 高麗は、長い間、蒙古の蹂躙に苦しめられていた。遡っても遡っても誰かに脅された国だった。

 モンゴルの王フビライは、高麗国王に宛てた一通と日本国王に通好を求める書簡を持たせた使者を送った。

「荒波が危険だといい訳をするな」と高麗王は叱られた。

 これ以前にも蒙古は、高麗へ日本への使者を遣わしたが、その使者を倭国対馬が見晴るかす島へ誘い、その間に荒れ狂う海原を「恐ろしい海峡だと」印象づけた。

 その報告は、フビライを怒らせただけで、再度日本国への書簡を届ける使者を送った。

 書簡には、「仲良くしようね」と書いてあったが、良く読み解けば、脅しの言葉が散りばめられていた。

 いよいよ、鎌倉幕府も腹を決めなければならない。

 貸した借りたの些末な事件にばかり構ってはいられないのだ。

 この後も、東国の御家人を鎮西防衛に向かわせる為、徳政令が出される。

 富子も、行く末を考えなくてはいけない。このまま鎌倉へ留まるのが得策とは思えない。常に傍に侍る半大夫と向き合った富子は急に老け込んだ風情だ。

「京に引き上げようかのぅ」

 弱気な声に苦笑しつつ、半大夫は胸を張る。

「京都に戻りましても、徳政令は付いてきますぞ。それに京は寒うございます。冬だけは、ここ鎌倉がようございますなぁ」

「そなたは、帰らぬというのかえ」

「いいえ、春になってからに致しましょう。それまでに、粛々と準備を進めます」

 日暮れの報せか、遣戸がカタカタと鳴いた。


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