第26話 爺さんの赤子が生まれる
年の暮れが、迫っているが、波丸は依然行方知れずであった。
冬を迎えた鎌倉だが、さほどに寒くはない。自然に抱かれた
富谷は、料理屋に遊女屋に金融業と多角経営だが、その裏で噂を蓄積し情報を売り渡す最先端のデータービジネスを営んでいる。
富谷は一軒の家屋ではない。御家人が手放した屋敷を二軒改造したもので、門前に向かった母屋の裏には厩や納屋を備えている。裏屋と呼ばれる別屋敷に、爺さんや末吉やハナはいた。その裏庭に、爺さんが作った
年を越す忙しなさの中、何時もと変わらぬ穏やかな動作の爺さんが、下男が拵えた
女が一人、顔を覗かせ、爺さんの作業を見つめる。波丸を失い、寂しさが募る小枝だ。
大きく肩を波打たせ吐息をついた。
「爺さま」
「おう」
「‥‥‥」
「なんだ、どうした」
「あのぅ」
さんざん、もたもた悩んだあげく、顔を上げた小枝は、小さくつぶやいた。
「子ができました」
爺さんは、意味が分からない。もう、迷わないという顔の小枝の声音が上がった。
「赤子ができたのです」
「‥‥‥ わしの子か?」
大きく眼を見開いた小枝が、八幡宮の蓮の花がぽんと咲くように微笑んだ。
わははははぁ、おほほほほぉ、二人は声を揃えて笑い、瞬く間に共犯者となった。
さあぁ、爺さんは忙しい。
富谷から四半刻にも満たない深沢の里に小さな家を借りた。下女も雇った。縁側に出ると大仏さまが収まった巨大な建物の屋根が見える。
木造だった大仏は、青銅製になり、金箔に化粧直しされた。度々の自然災害により、大仏殿は流され、現在のお姿となった鎌倉大仏だ。
大仕事が残っている。
「お富さま、折り入って、お話がございます」
何時になく真面目腐った爺さんに、富子は首を傾げた。
爺さんの出自は、富子も詳しく知らない。何だかんだと良く働く。古文書なども良く読み解き、立派な文字を書く。武士の出であるらしいが、欲がなく身形も顔も地味で済ませている。
その爺さんの声音が緊張している。
「なんだえ、そう畏まるな」
「へえ、お願いがございます」
「早く申せ、初春が迫っておるぞ」
「はぁ、さ、小枝を身請けしたいと存じます」
「‥‥‥ 爺さんがか?」
爺さんの目線が少し泳いで青年のように俯いた。
「ほぅ、‥‥‥ なにかぁ、富谷が静かだから、ちょっくら騒動を起こそうというのかえ」
「滅相もない。真面目な話でございます。まずはお富さまにご相談申し、お許しをと思いました」
「ふーん、
「はぁ、子が、赤子が出来まして、静かに産ませてやりたいと思います」
富子が、思わず身を乗り出していた。
「誰の子じゃ?」
「わしの子でございます」
富子は、楽し気に両目を回し、口角を上げた。
この師走の忙しいさ中に、何をいい出すのだとばかりに、息を吐いた富子が、わざと下品にいい放つ。
「商いの品に手を出すのは、ご法度じゃ。そちも出て行け」
しばし、女主を見つめた爺さんは、大きく頭を下げた。
「はい、長々お世話になりました。それでは、わしも辞めさせていただきます。身請け金は、如何ほどの支払いとなりましょう」
富子は、怒髪天。
こういう成り行きは嫌いだ。頭を下げて、頼って欲しい。
「さあ、妾は分からぬ。半大夫に聞け」
意地になってしまった富子の声音は、年の暮れの木枯らしだ。
「ははぁ、それではお許しいただけるということで、よろしゅうございますね」
富子は、鎌倉湾の海風に煽られたように
爺さんが、自分の子だとかばうなら、それは誰の子かいわずものがだ。姿を消したあいつの子であろう。
明らかな狼狽えを見せた富子の前からさっさと下がった爺さんは、荒海に乗り出すように張り切っていた。
夜空には、禍々しい彗星が出現した。
二丈(約六メートル)にも及ぶ白星は、何の予兆か、長々と尾を引いて鎌倉幕府を覗き込んだ。
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