第25話 波丸、船に乗る

 帰らぬ二人を心配した富谷では、六浦に人を出して探したが、何らの足跡も見出すことが出来ないでいた。

「まったく、二人揃って何をしてやがる。おれがいないと、直ぐにこのざまだ」

 思い通りに波丸が居なくなったのだが、顔を歪めた勝次の背中は塩垂れている。

 不埒な輩に狙われたとしか思えない。半大夫や裏の爺さんは、近頃、富谷を見つめる目を感じていた。目的が富谷か波丸かは分からない。

 末吉が、一人とぼとぼと帰って来たのは、十日も経った夕刻だった。

「二人の男がおれ等に斬りかかってきてよ。波丸はよ、おれをかばって切り結んでいたけどよ…… 強かったけどもよ……」

 末吉は、後は覚えていないと泣きじゃくった。

「お前は、十日も如何していたんだ」

 勝次の怒鳴り声に、誰か知らない人が頭の傷を手当してくれたと肩を震わせた。

 が、『もう治ったから、家に帰れ』と追い出されたというが、看病された家が何処にあったか分からない。

「何で、分からねえんだ。世話になった人に礼をしなけりゃならねえだろう」

 勝次の尖った声に、何だかほっとしてしまう末吉だ。

 お礼が欲しけりゃ、名乗り出るだろうと爺さん。それを望まぬから、末吉は一人で帰って来たのだ。怪我を治してもらって無事に帰してくれたんだ。その気持ちをありがたく頂こうと皆を収めた。

 波丸が胡乱な男に連れ去られたとは思えない。面倒見てくれたのは、波丸かもしれないと爺さんは思案する。それなら、もう波丸は帰らないということだ。探すには及ばない。居なくなるべき人だったのだ。富谷に迷惑をかけた訳でもない。皆が、波丸の周りで、ウキウキしただけだ。女どもばかりではない。末吉はもちろんだが、ハナも留吉も、勝次だって大騒ぎした。お富さまさえ、楽しんでいた。


 末吉は、波丸はきっと初めて波乗りした時のように空の彼方へ消えたのだと思い、そう信じた。体も心も傷つき、ほうけて寝付いた末吉を熱心に看護するハナがいた。波丸を失った末吉は、その寂しさからハナの温かさに甘えた。


 明日は、船に乗るという昼過ぎ、冬雨がやってきた。

 準備は済んだかというが、準備などはない。この兄貴に身を委ねるだけだ。少し外を歩こうと誘われ、グズグズ付いて行く。

「倭国とも、しばしのお別れだ。良く見えておけ」

 近くの丘に登った。六浦の港が遠く見渡せる。

 遠眼鏡を取り出した冬雨が、楽しむように港を見てから、足元といえる近場に目標を変えた。

「さあ、見てみろ。おい、ぐずぐずするな」

 深くため息は吐いて、遠眼鏡を受け取った。

 冬雨が、遠眼鏡の先端を目標に動かす。

 朝比奈の切通しへ続く路を男が一人歩いて行く。

「あっ、あれは末吉」

 思わず、動き出しそうな波丸の腕を冬雨が、押さえた。

「可愛い、弟分なんだろう。良く見ておけ。もう会えないだろう」

「冬雨兄、少し、少しだけでいいんだ‥‥‥」

「おれの好意を無にするのか、元気に帰る姿を見れば十分だろう」

 外向きの足取りに揺られるような末吉が、ゆっくり切通しに消えて行く。


 翌朝、六浦の港から和船に乗ってゆらゆらと南を目指し、鎮西を大きく回って、玄界灘の小島の陰で大きな宋船に乗り換え、通称なぁんに戻った。

 大船には初老の男が乗り込んでいた。

 駆け寄って、縋りつきたい衝動に驚きを覚え、一息吐いて二間ほど離れた位置でひざまずいて長揖ちょうゆうした。下げた顔を上げることが出来ない。

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