第21話 八幡宮に逃げ込むかぁ
富子は、「出ていけ」と怒鳴ったが、誰もが忘れたように夫々の仕事をしている。
富子も忘れたふりをして、半大夫と書留帖をめくっている。
開け放したままの槍戸に人が近づいてきた。
「半大夫さま、ちと、よろしゅうございますか」
珍しいことだ。四郎大夫と勝次は、仲が良いとはいえない。富子を挟んで、詮無いさや当てをしているのだ。
「入れ」
二人は、畏まって頭を下げ、部屋の隅にへばりついた。
しばしの静寂が流れた。
「どうしたえ、四郎」
富子の静かな声に四郎大夫がほほ笑み
「波丸のことでございますが、勝次が妙案があると申しますので……」
「ほう、勝次が」
「勝次、何を遠慮しておる。早う、ゆうてたもれ」
自慢げな顔を俯けていた勝次は、その身を富子へ向け話し出した。
妙案は、波丸の頭を丸めさせ、鶴岡八幡宮へ潜り込ませるというものだ。納所坊主に金を掴ませ、半年か一年、八幡宮の僧坊で大人しくしていれば追っ手も諦めるであろうという思惑だ。
「いかがでございましょう。悪い思案でないと思いますが」
四郎大夫が、勝次のいい分に賛成するなど稀なことだ。
「八幡宮に逃げ込むなど…… そんなことが出来るのかえ」
「借金で首が回らなくなった奴、女にしつこく追われた商家の若旦那など、ずいぶんと逃げ込んでおります」
勝次は、(どうだ、おれの情報は)と得意げな顔をほころばせたが、内心(波丸なんか居なくなっちまえ)と叫んでいた。
富子は知らなかったが、密かに一人二人の話ではないのだ。
そもそも鶴岡八幡宮は、源頼朝が鎌倉に幕府を開く百年も前から、この鎌倉にあった。頼朝の祖父にあたる源頼義が京都の石清水八幡宮の神霊を分けて戴いたもので、もっと海岸の近くにあった。八幡太郎義家と呼ばれた父親源義家も手厚く管理修復し、源氏の守護神だった。だから頼朝もこの地鎌倉にやってきて、現在の社地に遷し、平家打倒を祈願した。
それから、また百年ほど経った八幡宮は、御多分にもれず、端から崩れ、そっと悪臭を発していた。
三年後の文永六年(一二六九)二月十六日に別当前大僧正御坊に宛て出された関東御教書には、「八幡宮谷々事僧坊之外 在家相交之由有其聞 甚不穏便 早可被停止甲乙 ……」とある。
「早く甲乙人の止住を停止せよ」と、わざわざ御教書を出しているのだから、出家もしていない、かなりの人数の在家の甲乙人が坊舎に止住し起居していたのだ。甲乙人とは、名をあげるまでもない一般庶民だ。差出人は、この前年十八歳で第八代執権になった北条時宗だ。
年若い執権が誕生したのは、蒙古の襲来に立ち向かうためだ。予てから蒙古に命じられた高麗の使者が国書を持って来国していたのだが、いよいよ鎌倉幕府も蒙古の襲来に立ち向かわざるを得なくなっていた。
波丸は何時にも増して熱心に大人しく仕事に励んでいる。誰もが波丸の行く末を話題にしない。
富谷の重役四人が波丸の行く末を思案した夜から十日ほど経っていた。やはり、他に思案がないという半大夫の意を受け、勝次は、鶴岡八幡宮の納所坊主に賂のことやら何やら話を聞きに出かけている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます