第22話 少し思い出しちゃった

 波丸と末吉は、六浦むつらの湊町からの帰途にあった。六浦の湊は、和歌江島にも劣らない殷賑を極めていた。そこには、富谷の上得意である船商売に係る者が数多くいた。

 勝次がいないのは、今日は金貸し商売ではないからだ。大きな船を仕立てて、遠国に商売に出かけ、金儲をしようという話を聞きに行ったのだ。

 海外貿易の投資の話だ。もちろん波丸にこの金儲話が一任された訳ではない。投資の詳細を聞き分けてくる役目を仰せつかったのだ。船は沈んでしまって帰ってこないというリスクが大きい。陸送でも山賊に襲われて帰ってこないことがあるが、ともかくも損害保険はまだないのだ。

 巻紙に筆を走らせる波丸を六浦の商人たちが興味深そうに目交めまぜしている。

 へん、おれの兄貴はすげえだろうという顔の末吉が、目をあちらこちらに遊ばせている。本当は、爺さんと波丸で来る予定だったが、腹が痛いと今朝起きてこなかった。珍しい、可笑しい、嘘くさい。

「爺さん、大丈夫かよ」と覗き込むと、右眼だけ開けた爺さんが「末吉、おめえがお供をしろ」と命令した。

「今日の仕事は、外国とつくにとの商売の話だ。聞いて書き留め、分からないことは問い正し、また書き留める。わしが行けば、わしの仕事だ。だが、波丸と末吉が行けば、波丸の仕事になる。分かるな」

「おう、分かる。おれにもそれくれぇ、わからぁ」

「富子さまに、波丸が如何に役立つか、改めて分かってもらうために、わしは、腹痛を起こしたのだ」

「分かった、分かった。すぅごく分かった」

「波丸、なみーまるぅ、てえへんだ。爺さんが腹痛だぁー」

 末吉が、大声を上げて、飛んで行く。今朝の怪しい出来事だ。


 詳細を聞き書き留めて、役目は無事に済んだのだが、波丸は押し黙って歩いている。

 六浦の湊は、波丸にとって鬼門だった。初めて六浦の湊へ行ったのは、勝次のお供だった。そうはいっても先頭を歩くのは波丸だ。様良く着こなした波丸の後ろを勝次と末吉が歩いていた。

 だから湊の賑わいの中、波丸の顔色が変わったのを気取られることはなかった。波丸は何を見たのか。

「倭国が、こんなに賑やかだとは思わなかった」

 というコクリの呟きが耳に脳に丹田に響いた。知るはずのない異国の言葉が理解できたのだ。

 何とはなしに感じていたこの国への違和感。それは坂東に慣れていないためだとも思ったが、見るもの聞くもの食べるもの、すべてに感じる不可思議な感覚だった。

 不安定な境遇ではあったが、暖かな鎌倉の穏やかな生活が好きであった。それぞれに不幸な過去を持ちながらも楽しげに暮らす人々。何時も強気の勝次は、寒さに弱い。山が色づき朝晩がひんやりとして来ても末吉や波丸は、まだ薄物一枚だ。勝次は、そんな二人を横目に小袖の内に下着を重ねていた。最近は、勝次にどやされることも少なくなった。今や末吉は、波丸の手下だ。

 こんなに心休まる生活は、波丸の過去にはなかった気がする。何時も誰かの目を感じ、いわれるままに服従することを当たり前と思っていた。勉学に励み、武芸に打ち込んだが、その頃が懐かしいという思いはなく、忘れてしまいたい過去のような気がするのだ。

 徒然つれづれ、思い出していた。天を突く岩の柱は、申し訳程度に緑で化粧していた。見渡す限り、ツンツン、ドンドン、ひょろりと岩山が連なり、天空に消えてしまう柱もある。笑窪のような平地がポツリポツリとあり、その一つの真ん中に切り開かれた畑の脇に暮らしていた。

 朝霧の中、ご飯も食べずに剣をふるう。一人稽古が好きだった。誰かと戦うのは、稽古と分かっていても、嫌だった。負けても勝っても、最後は打ち据えられ、口汚く罵られ、悪意を叩きつけられ、吐きそうになる。おれは、嫌われているのだと確信できた。なぜなのか、何が悪いのか幾ら考えても分からなかった。

 鎌倉のやとは、優しい。見上げれば、緑がほほ笑む。その外側に、城壁が隠れていることを知ってはいたが、何時か聞いたことのある桃源郷とは、此処の事かと眠くなる。

 出来れば六浦に近づきたくはない。その一方、忘れてしまった己の出自を解き明かす種が六浦にあると思え、怖い物見たさの心理か、機会があれば小さな期待を胸に六浦へ向かうのだった。

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