第20話 コクリって、ムクリって
主従のいざこざがあったその夜、商いを終えた富谷の奥で、富子と半大夫が向かい合っていた。
「ひいさん、久しぶりのおむずかりで……」
半大夫は、やんちゃな娘を諭すような口ぶりでほほ笑んだ。
「ふふぅ、ほんに久方ぶりに大声を出し、すっきりじゃ」
「結構、結構。時には気晴らしも必要でござります」
半大夫は富子に仕えて三十余年、その気持を十分に理解していたが、身元も分からぬ優男一人にこの富谷をかき回させる訳にはいかないのだ。
「
「分かっているのじゃ。分かっているが、幕府にいわれて放り出しとうはない。他に道はないかえ、半大夫なれば、もそっと良い思案があろうものを」
「恐れ入りまするが、ここはあっさりと手を引きとうございまする」
「何としても手がないというか、情けなや」
半大夫は、思案の面持ちながらも、終には渋い顔。
「お富さま、波丸ごときに入れ込むことはありません。富谷のことを第一にお考え下さいませ」
「考える気がないのじゃな。波丸と思うな。人ひとり何とかせいといっているのじゃ」
「波丸は、やはり異国の者でしょう。もしや、コクリの回し者かもしれません。そう疑われるのが、もはや問題。この際、情けは無用でございまする」
「コクリとは、高麗のことじゃな」
「はい、コクリは高麗。宋の北にある騎馬民族はムクリ(蒙古)と申します」
「ほんに、波丸はコクリの人間かえ?」
否定できない富子が、小さなため息をついた。
遣戸の外に人の気配がした。
「誰じゃ」
半大夫の
半大夫が開けた遣戸の外廊下に控えた女は、何かと騒動を起こすいねであった。
「あ奴は、どこぞの回し者に間違いございません。鎌倉の噂を集めて、敵に売っていたのです」
「なぜ、そう思う」
「はっ、はい。裏門の外で、見知らぬ男と話をしておりました」
「どんな話をしていた?」
「それは、分かりませんが、その‥‥‥ 日本の言葉ではないような」
「うむ、唐の言葉であろう」
じっと、聞いていた富子が冷たい声をあげた。
「いね、そちは、波丸に恨みでもあるのかえ」
「いいえ、恨みなどございません。富子さまのお役に立てばと‥‥‥ お、思ったまでで、ござい‥‥‥」
いねの声が、激しく震えて途絶えた。
なぜなのか、いね自身も分からない。波丸に首を絞められ拒絶された腹いせか、小枝に対する妬心からか、可愛さ余って憎さは、何倍だったか、忘れてしまった。
「もうよい。部屋へ戻れ」
半大夫にそくされ、いねは、魂が抜けたように立ち去った。
「波丸の目は、お日さんの下で見ますとアオでございますなぁ。山の緑を映した濃いアオ色でござります。われ等の目の色とは明らかに違います。死の淵から蘇った時には、言葉も分からぬありさまでしたが、それは鎮西辺りの生まれならば、この関東の言葉が分からないのも無理からぬことと思いました」
前かがみになった半大夫が僅かな沈黙の後、独り言のように呟く。
「われ等がこの鎌倉に来た当初も言葉が理解できず随分と困ったものですから、言葉の問題は見過ごしてしまいました」
一戦した者どもは、眠れない。
爺さんは、先陣で戦ったので、なおさら眠れない。
その耳に、ボソボソと若い声。
(わけえもんは、いいなぁ。これじゃあ、なおさら眠れねえ‥‥‥)
スヤスヤと寝息。爺さんにしては、安らかだ。
その夜、小枝は波丸の床へ忍んだ。
波丸は、戸惑いつつも小枝の優しさに沈んだ。
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