第10話 法定利息を守っております

 波丸に、様子の良い水干や狩衣が用意された。薄い縹色の水干を身に着け、脇刀を差した波丸を先に歩かせ、小袖に野袴の地味な身形の勝次と末吉がその後に続いた。勝次は面白くないが、富子の深淵な思惑による命令だった。

 勝次は、武蔵の御家人の出という触れ込みで背丈も波丸よりあるし決して卑しい風貌ではないが、三白眼を大開にして睨みつける目付きが嫌われる。庶民相手の小金貸しには最適かもしれないが、相手が武家だの大店の商人などになってくると、二番手の位置が適当か。

 お公家の出かとも思わせる品のある雰囲気を醸し出す波丸が、「約定は、これにございます」と証文を差し出すと御家人の家臣などは、読みもしないで受け取ってしまう。波丸の後ろに控えた勝次が、驚きの三白眼を隠すように下を向き、口元をきりりと〆る。客も波丸も気付かない秘めた一行が証文にあるのか、富谷の金貸し業は、真面まともな商売ではないのか。

 この頃、金利は一倍であった。

 一倍は、百パーセント。現代から考えれば闇金も真っ青な高利だが、以前から一倍だの半倍だのと数値を挙げての新制や徳政の発布があった。

『帝王編年記』に「挙銭(お金)の利を半倍(五割)とする」と確認出来る。保元元年(一一五六)に後白河天皇が即位し、その代始だいはじめの徳政の一環として十月八日発布されたものだ。挙銭利一倍を半倍に減額する徳政令を出したのだ。

 これらの数値は、伝統的な利息上限だ。朝廷は、古代以来の米の出挙すいこは四百八十日間で一倍、銭は一年間で半倍という条文を守ろうとした。

 計算の基準を米としたのが米本位経済だ。一粒の種籾を貸し与えた時、そこから得られる米粒は何粒か、現代では二百粒から千粒という数字が出てくる。品種や育て方によって大きく変わるであろうことは容易に理解できる。

 弥生時代はどうか。同時代の農耕技術から考えると三十から五十倍程度と推定されるという。ならば、平安時代の朝廷が出した利息上限が百パーセントも考えられる数字か、富谷が金融業を営む頃から百年も昔の話だ。

 そして富谷の利息一倍も鎌倉幕府の出した利息制限法による。

 建長七年(一二五五)、幕府は出挙・挙銭の利息制限法を出す。両方とも上限一倍。

 出挙すいことは、神社から種籾を貸出すこと。お返しするのは畏れ多くも神さまだ。倍返しは、当然か。挙銭は、文字通り銭(現金)の貸出だ。後の世の江戸時代の闇金融、朝貸して烏の鳴く夕時返す「からす金」の利息には遠く及ばないが、富谷の利息は誰憚ることのない法定利息。貸し倒れさえなければ、使用人のお腹を満たす米をけちる必要もない。

 富子は、欲深だが吝嗇りんしょくではないのだ。

 そんなこんなで、波丸が富谷の裏家業に従事して早一年が経つ。金貸家業をどう思っているのか、波丸は不満をいうこともなく着々と仕事をこなす。命令に従うことに躊躇がない。生まれつきか育ちか、欲というものも無いに等しい。衣食住に不自由はないが、あとは末吉なみのわずかな小遣で働いている。

 勝次もそれを知っているからこそ、今では黙って波丸の後ろを歩くのだ。

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