第9話 穴あき銭は何処へ行く

 波丸となった男は、勝次の下で仕事を手伝うことになった。富谷の裏家業である金貸業だ。初めは、その日暮らしの庶民相手の勝次一人の金貸しだったが、今では御家人や商人相手に大金が動く立派な金融業者だ。

 商売が大きくなっても嵐の翌日には、浜にお宝を探しに出かけ、竹の縦割り片に銅を流し込み、切銭を作っていた。切銭とは、輪郭が欠けたり文字が不鮮明になった銭そのものだったり、それ以上流通出来なくなった銅銭を潰して竹片に薄く長く伸ばしておいて、必要に応じて切って銭の代わりとしたものだ。

 幕府はたびたび、切銭使用禁止令を出していたが、波丸が富谷の裏で生死の境を彷徨っていた頃、「切銭に関する御教書みぎょうしょ」が発令され、切銭を全面的に禁止した。しかしそれでも町の小店では切銭が通用し、富谷の裏では末吉たちが、せっせと竹片に銅を流し込んでいた。

「ハナ、手を舐めるんじゃねぇ。銭を扱った後は、手を洗えっていっただろ」

 ハナは、十一歳。父親の借米の質物として世間に放出され、誰かが間違えて富谷へ売り渡したのだ。小柄で真っ黒な顔は凡庸で大きくなっても富谷の女子として一人前になるとは思えない。が、二皮目のその瞳がクリクリと動くと、おやっと思ってしまう。死んだ姉さまに似ている気がする末吉は、何かと面倒をみる。

「へ、すんまへん。末兄い」

「謝らなくていいから。覚えろ、覚えろ。飯は食ってるだんろ。手を舐めるな」

「へ、すんまへん」

 べそべそと黒い鼻水をすするハナを叱っていると手伝いをしていた小僧の留吉が、口を歪めて末吉を睨んだ。留吉は、まだ七歳だ。

「留、おめえも手を舐めるなよ」

 しくしくとやっていた留吉が、うおーんと大声を上げた。

「なんだ、なんの騒ぎだ」

 爺さんが、裏戸から顔を覗かせる。

「なんでもねえ、なんでもねえ」

 慌てた末吉は、二人の子供に「あとで餅をやるからな」と、竹筒に銅を流し込むように騒ぎを収めた。

 仕切り直しに留吉の童髪の頭を撫でてやり、ついでを装ってハナの尻をぽんぽん擦った。

 蓄えられた切銭には、緑青が発生している。誰にいわれた訳ではないが末吉は、きっと体に悪いと思うのだ。今では猛毒性はないといわれる緑青だが、荒々しい野育ちの末吉も毒々しい緑色を見ると害があるかな、と思う案外と繊細な感覚を持っているのだ。

「泣くな留吉。手と顔を洗ってこい」

 ここ富谷の裏手には、山肌の裂け目から冷たい水が湧き出している。その水を節を抜いた太竹に受け、西に東にくねらせて大きな桶にため込む。立派な懸樋かけひ細工は爺さんの仕事だ。桶の腹に開けた穴から常に水が飛び出してくる。飛び水の先にも舟形の桶があり、小鳥や獣、蛇なども恵みの水を飲みにくる。日照りがよほど続かない限り、ハナたちは水汲みから解放されている。

 顔を洗った留吉が、爺さんに呼ばれてかけて行く。

 水びたしのハナの傍で、末吉も盛大に手足を洗い顔を洗い、ついでに汗にまみれた膝切ひざきり衣も洗った。褌一つの末吉の足元に銭が一つ落ちた。穴に紐を通した厭勝銭だ。色目の目立つ紐を捨て、薄汚れた紐に変えていた。

「末兄い。何か落ちとるぞ」

「あっ、いけねえ」

 富本銭の紐を掴んで拾い上げ首にかけようした、その手を止めた。ふっとため息を吐いた末吉は、

「ハナ、おめえに、これやらぁ」

 ハナは、分不相応な大きな目をクリクリ光らせ末吉を見上げた。

「これはな、幸せになれる銭なんだ。おめえにやるよ」

 末吉は、大切な富本銭の紐をハナの首にかけてやった。ハナは、その銭を手にとりじっと見入っている。

「誰にも見せるんじゃねえぞ。幸せが逃げていっちまうからよ。分かったな」

 ハナは、カクカクと首を縦に振る。

 末吉は、大事にしていた宝物を手放した寂しさと共に、ほっと安心感も味わっていた。波丸からくすねた全ての物を手放したのだ。これで、青葉に映える波丸の目と確り向き合うことが出来ると思うのだった。

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