第6話 穴あき銭は臍に揺れ

 源氏山から駆け下りて来た神さまの息吹きは、瞬く間に極彩色に染まり、桃色に手を伸ばし、酒の匂いもまとって旨そうな快楽風かいらくかぜになる。

 鼻先をうごめかせ、今日の晩飯のおこぼれは、何かなと落ち着きのない末吉は、富谷の裏庭をウロチョロ。

「どうした末吉、腹でも壊したか。厠へは、早めに行くんだぞ」

 爺さんが、からかう。

「なんでぇ、爺さん。おらは腹痛など起こしちゃいねえや。元気いっぱいさ」

「そうかい、じゃ、ちっとは落ち着いて、ここへ座れ」

 ふんと鼻で返事をした末吉は、爺さんの向かいに尻を落とす。

 裏で働く爺さんは、しかつめ顔の偏屈男だが、暇を見つけては、末吉をからかった。

 爺さんは名無しだ。もちろん爺さんにも子供の頃はあり、親からもらった名前があったはずだが「忘れた」とうそぶき、誰も本当の名を知らない。女主の富子から下働きのハナまで皆が爺さんと呼ぶ。どうやら昔は侍だったらしく、真名まな(漢字)の読み書きが出来る。日頃は下男として裏で働く爺さんが、八幡宮鳥居前の高札場へしばしば出かけ、その内容を書き取ってくるのだった。

 末吉は、折々爺さんに教えを乞う。「富谷」の富という字はお宝のことか?と質問したのも、つい一昨日のことだ。

「そうだよ。富はお宝、谷は分かるか。この鎌倉は小せえ山の集まりだ。その山と山の間が谷だ。谷戸やとともいってな‥‥‥、お前が生まれた谷戸はどの辺りだ」

「えっー、おらが生まれたのは戸塚というところだ。ちいーと広がった畑があり谷戸とはいわねえ」

 末吉は、鎌倉街道中道なかみちにほど近い山内荘の端で生まれた。豊かな土地柄で北条氏の経済基盤といえる。

 顔見知りではあったが、怪しげな商人に連れられ、小さな起伏を上り下りし粟船あわふね御堂(大船・常楽寺)に至り、建長寺の前を過ぎ、巨福呂坂を下った。二人で八幡宮に詣でてから、この富谷へ辿り着いた。蒙古合戦の殉死者のため創建される円覚寺はまだない。

「でも、ヤトならおらにも分かるよ」

「つまりな、この店はお宝を集める谷戸ってことだ」

「ふーん」

「末吉、それがどうした」

「いや、別に。あっ、爺さん、この字は?」

 そして、末吉は「本」という字を地面に書いてみた。富と書くより幾分と簡単だ。

「おっ、上手く書けたな。こりゃ、ホンだな。モトとも読む。他に聞きたい真名はないのか」

「いやぁ、今日のところは、これで十分。あんまり沢山だと覚えきれねぇ。また分からないことがあったら聞いてもいいか」

「おお、いいともさ。何でも聞きな。仮名でもいいから、みんな覚えろ。そうすりゃ、勝次の野郎にえばり散らされなくなるぞ」

「おう、分かってらぁ。おらもいずれいっぱしの男になるさ」

 爺さんと声を合わせて笑った末吉は、派手な紐を薄汚れた長めの紐に替え、へその辺りに収めたお宝に手を当てた。この前聞いた「富」と今日の「本」の二文字は、お宝の穴あき銭に記された真名だ。

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