第2話 穴あき銭は旅をする

 激しい嵐が鎌倉を襲った。

 怒りに喘いだ豪雨が気和飛坂けわいざか(化粧坂)を滝のごとく下って行く。雷がおめき、源氏山が身震いした。

 立ち向かえ男ども「いざ鎌倉」なるぞ。末吉は、剣を右手に胸を張る。戦の前の腹ごしらえに左手の握り飯に大口を開けたその時……。

「末吉、スエー、起きろ。出かけるぞ」

 激しく身体を揺すられた末吉は、握り飯をぽろりと落とし、飛び起きた。

「ああぁ、めし、めし」

「何を寝ぼけてやがる。早くしろ、仕事だ」

 勝次の無慈悲な声に起こされた末吉は、まだ飯を探しているのかキョロキョロと辺りを伺った。

 雨は止んだが、突風が時折起こる。末吉は勝次の後ろに隠れるように身を縮め足を速める。嵐の翌朝は、何時もこれだ。由比の浜に打ち寄せた嵐の贈り物を貰いに行くのだ。

 昨夜の嵐は、凄まじかった。家屋は軋み、降雨に打ちのめされた樹々はだらりと小首を垂れ青息吐息だ。きっと今日の戦利品はすこぶる良いに違いない。末吉は、眠気を蹴飛ばして朝霧にけむる今小路を駆け抜けた。

 由比の浜に躍り込んだ二人は、身体を泳がせ、砂浜につんのめる。そちこちに散らばる大きな木っ端は、戦い敗れた破船の残骸か、無念さを滲ませて転がっている。しかし、勝次が目指すのは、木っ端などではない。陸に向かって敗北の両腕を伸ばす死骸の数々だ。素早く死体の懐を探り小さな袋物を自分の腹巻に移動させる。今では末吉も、素早い動作でお宝を探り当てる。初めて勝次に連れられて、この仕事に就いた時は、手が震えて一つの銭袋も見つけ出すことが出来なかった。

 末吉の手が止まった。突っ込んだ手のひらに、小さな鼓動が伝わった。びくりと震えた手のひらを改めて押し付けてみるとわずかな温もりも感じる。

「ぐずぐずするな、早くしろ」

「あっ、兄貴。こいつ生きています」

「うーん? 仕事が先だ」

「でもーぉ……」

「早くしろ。後で助けてやればいいだろう」

 勝次は、つぶやきを残して、新たな仕事に離れて行く。

 末吉は、右手を二回三回にぎにぎしてから、男の懐から銭袋を取り上げた。

 浜の西側から小さな騒ぎが起こっている。嵐の後の浜辺で宝探しをするのは、勝次と末吉だけではない。多くの男が、女が子供が群がってくる。

「スエ、行くぞ。今日はここまでだ」

 勝次の声が遠のく。末吉は、死にそびれた男をよっこら担ぎ上げた。

 男はまだ若く細身だが、半分死体の身体は思いのほか重い。あっちにふらり、こっちに寄ろり、なかなか店にたどり着けない。兄貴の勝次の姿はすでになく、路傍に倒れ込めば、しかばねが二体のありさまだ。

 チェと舌打ちし、首を傾げた眼の中に隣の男の首筋にのぞいた錦の紐が飛び込んできた。思わず伸びる武骨な指先が、丸い物体をすくい上げた。半身を起こした末吉の今日最後の戦利品は、穴のあいた銭だった。


 鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に記述がある。

 弘長三年(一二六三)八月二十七日、大嵐に見舞われた由比浦では、多くの船が沈没し、数えきれない死体が浜に上がった。鎮西の年貢を運ぶ船六十一艘が、伊豆の海で沈んだ。

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