王子のお茶会 2

 オズワルド ・カミール。エリストラーダ王国宰相であるオド・カミール伯爵の第一子で、年齢は俺と同じ今年で12歳。

 緑がかったブロンドのふんわりした髪に茶色い目というちょっぴり地味寄りの見た目で、たしか、乙女ゲームの攻略対象としては少し小柄で冷静沈着な頭脳派、参謀ポジションみたいな感じ……だったはず。

 今、目の前にいるオズワルドは冷静沈着でもなければ、情勢も読めていないちょっぴりおバカなヒヨコにしか見えないんだけど?

 だって、中央政界にほとんど関わりのない俺にだってわかるよ。ハルイルト・ソズゴン子爵は、今決して敵に回してはいけない時の人だって。


 ハルは俺にあんまり凄惨せいさんなお家事情について語ったりはしないんだけど。それでも長い付き合いだから、中央屈指の銘家であるソズゴン侯爵家の表から見えないところで昼ドラも真っ青な陰謀が渦巻いていたってことは、何度かちょっぴり聞いた。

 エリストラーダ北西部ののんびりした風土とは違って、中央貴族の権力争いっていうのは本当におっかない。

 俺が出会った頃のハルは、いつも怯えたようにして息をひそめていて、人と接するのが苦手だった。ハルは、それを克服してから何でもないように教えてくれたんだ。

 小さい頃から父の愛妾から何度も暗殺されそうになってたから、人が恐ろしくて仕方なかったんだって。


 オズワルドが言っているハルの弟、アルノニは、その愛妾の息子でハルの異母兄弟のことだろう。ソズゴン家には他にハルの妹が一人しかいない。本当にいないのかは……うん、きっと詮索せんさくしちゃダメなアレなんだろう。

 アルノニは確か、ハルよりも少しだけ年下なんだっけ。俺と同い年くらいか。

 そのアルノニに、俺は会ったことがない。

 親しくソズゴン家に出入りしてきた中で、会ったことがないのだ。ハルが主催するきらびやかなお茶会の片隅にも、アルノニの姿はなかった。


 当たり前だけどそういうお家内のことってさ、最終的には当主が決めるんだよ。よほど妻の権力が上で口を挟めないとかじゃない限りは。

 昔は社交の場どころか人前にすら出られなかったハルが、今は堂々とソズゴン家の嫡男として表舞台に立っていることも、ソズゴン家の子息として社交活動をしていたアルノニが表立った場所に現れなくなったことも、全て当主が許可してるってことだ。


 アルノニは病気を理由に表舞台に戻らない。それが、ハルがいう『療養』なのだろう。


 偉い貴族って恐ろしいよなー。家の中でも子どもの頃から家督かとく争いが繰り広げられてて、よもや暗殺なんて物騒なことに至り、負けた方がどうなるかなんて……いや、俺そういうのダメかもしれない。

 少なくてもハルが療養って言うんだから、まぁ命はあるんだろうけどな。

 怖ろしすぎてこれ以上なくまっすぐ背筋が伸びた。



 ソズゴン家とカミール家は昔から仲が良くて相補的に国政に関わっていたらしい。どちららかが要職に就けば、どちらかがそれを支える。そんな関係だ。

 現在も宰相であるオド・カミール伯爵、宰相補佐のエドワルド・ソズゴン侯爵の両者が国政の中心を担っている。


 しかし、オズワルドはアルノニと仲が良かった……アルノニ支援者だった訳で。それは、ハルにとって敵だったということだ。

 つまり、ソズゴン家とカミール家の次代の関係性を保つためには、オズワルドは完全に下手をしてるし、どうにかハルとの関係をつくろわなければならないはずなんだ。

 でなければ、オズワルドはカミール家の看板から外される可能性が高い。


 こういうお家騒動の中身って、当然秘密なんだろうけど。

 カミール家とソズゴン家の仲で跡継ぎの話が秘密にされるかというと、多分そうではないだろう。それでなくともアルノニが社交界から遠ざかってハルが堂々進出している時点で察せられるものはある訳で。周囲の貴族たちもそれとなく気づいているんだし。

 それでもアルノニの方がふさわしいって、ハルにこんな結構フォーマルな場で突っかかってくるオズワルドは、情報と慎重さが足りてないヒヨコでしかない。

 ちょっと弟味を感じて一瞬庇ってやりたくなるようなヒヨコなんだけど、俺はハル先生が怖いから黙って空気と一体化するよう励んどきます。


 いや、もしかして。カミール家にとってオズワルドはすでに捨て駒なのかもしれない。


 オズワルドはハルと一緒で子どもながらに子爵位を授かっている若いエリートだ。

 こんな風に子どもの内から爵位を授かるっていうのは、当然誰にでもっていう訳ではない。有力貴族の中でほんの一握りの優秀な子どもだけが、王家のお手付きとして爵位を与えられている。

 王家にとってはそれは『ひいきにするから忠誠を誓ってね』ってことであり、同じ家の複数の子どもに爵位を与えるってことはほとんどない。

 だから、オズワルドは授爵じゅしゃくの時点ではカミール家の代表だったってことだ。


 でも、宰相家の後継者が有力貴族家の情勢を理解していないなんてことあるんだろうか?それも、かなり近しい家柄の。


 こういう情報って、後継者教育として教えられることなんだよ。

 普通は子どもが自分の情報入手ルートなんて持ってないだろ?だから、その家の後継者や政務に関わる人間が、その家で教わる事なんだ。情報にうといならば家庭教師を招くこともあるけどな。


 ちなみに俺の中央貴族情報は、ハルと結託した元隠密のサーフィリアス経由である。ハルと共同で情報組織を持ってるみたいなものだったりするので、情報にはかなり強い部類だと思う。


 まぁ、それはさておき。

 オズワルドがハルをソズゴン家の後継者であると認識していないのは、その情報をあえて隠されているからっていうほうがしっくりするかもしれない。

 ハルが当主になったなら切り捨てるつもりで。ならなかったら使える、なんてことまで考えて。


 だってなぁ。


 まだハルに突っかかってピヨピヨしてるヒヨコの姿を眺める。

 オズワルトは俺の視線に気づいているが、そっと受け流す。

 ハルにこれだけ食ってかかるのだから、俺にだってケチをつけてもおかしくないと思うんだ。でも、オズワルドは俺のことは見えないかのように無視している。

 こういう所は冷静なんだよなぁ。


 俺は現在王家から男爵位を貰った、王家の信任を受けた人間で。無下むげおとしめると王家へ逆らったことになる可能性があるだろ。

 でも、中央貴族としてはたぶんすっごく目障りなはずだ。地方貴族で地位を認められた人間がいるなんて。


 そろそろ忘れてきていたが、俺は今日初めて王子のお茶会にお呼ばれしている訳で。

 この会場には各家の侍従を連れて入ることはできず、給仕は全て王宮の使用人でまかなわれている。素行は全て王家へと筒抜けだ。

 王家が関わる場で俺とどう接するべきかっていうのは、まだ誰にもわからない。少なくとも王子の反応を見て考えるのが正解だろう。

 となれば。

 現状を理解できている人間にとって、今、俺のことは無視するのが一番無難だってことだろ。


 オズワルドは騒ぎをおこしながらも、そういうことはきちんと理解してるんだよ。

 ソツのある情熱的なヒヨコだけども、たぶん頭脳明晰ずのうめいせき担当攻略対象なのは間違いではない。

 ただ友人思いだったのかもなぁ。ちょっと不憫ふびんさを感じてしまう。

 いやいや、ハルの友人としてオズワルドに同情なんてすべきじゃないんだけどさ。



 ざわり、と空気がどよめいた。

 それに気づいた人間から起立して、先触れの現れた庭の片隅へと向き直る。

 俺たちも立ち上がってテーブル脇に並び、頭を下げた。

 オズワルドはそそくさと王子が入場する道へと姿勢良く向かい、入り口で引き連れていた子分ともども丁寧な礼をとって待機している。

 あれだけ騒いでいたヒヨコとは思えない優雅で完璧な姿勢に、心の内で思わず感心してしまった。ああしていると確かに彼は攻略対象者のようだ。


 ざわりとした空気は、全員が立ち上がって礼の姿勢をとると静けさに変わっていた。

 じりじりと地面を踏みしめる複数の足音が小さく響いて、ざっと俊敏に控えた足音は王子の護衛だろうか。


 それから、思いもよらなかったような美しい声音が静かな庭園に降り注いだ。


「皆さま、来訪に感謝いたします。どうぞお寛ぎください」


 柔らかく澄んだ少年の声。とても上品で優しいのに、どこか芯の強さも感じさせるような、まさしく極上の美声というやつだった。これはASMR配信で荒稼ぎも夢ではないレベルだ。

 静けさの中でほう、と溜息が響いて、それでもなかなか顔を上げようとする者はいない。


「あの、楽にお楽しみいただきたいと思います」


 あまりに誰も顔を上げないものだから、追加配信の美声がきた。めちゃくちゃ困惑している。

 隣でハルがすっと姿勢を正したのに気づいて、俺も慌てて顔を上げる。


 光り輝いていた。

 さすが攻略対象者のセンターを張る予定の第一王子、ハロルド・セライア・エリストラーダだ。

 陽の光を浴びた金髪はキラキラと黄金のように輝き、澄んだ水色の瞳がやんわりと穏やかな笑みをかたどっている。

 後光が射すようなイケメン。いや、美人かな。


 ハルに並ぶほどの美人を初めて見た。いや、耐性があってよかった。

 ほら、視界の隅でふらふらと倒れ込んでいくレディーたちの中にちょっぴり男も混ざってるしさ?

 これはさすがの王道攻略対象者。声も顔面も強すぎるだろ。


 不躾ぶしつけにならない程度に王子を観察していると、ほんの少しだけ目が合った気がした。

 慈愛の笑みのように優し気な笑顔を浮かべたままの王子に、俺はちょっとだけ緊張感を取り戻して小さく頭を下げる。

 この後のやり取り次第で、俺の中央での扱いが左右されるところはあるもんな。

 少し長めに頭を下げてから顔を上げると、王子はもうこちらを見てはおらずにオズワルドや他の交流のある相手たちと談笑していた。


 ここからが本格的な勝負の幕開けだな。ちょっと緊張する。

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