エズ村の呪いと祝福 3
この世界には神様がいて、魔物がいて、時には魔王や勇者だっていたらしい。
だからきっと昔話はただの物語なんかじゃなくて、神話にでてくる神様ってやつが本当に存在した可能性は高そうな気がする。
呪いや祝福も。
「竜と人のなした子孫を、竜は守り続け、村は祝福により栄えたといいます。ですが、ある日その村は異なる国の少数民族に襲われた」
アトラント領内の伝承なんかはいくつか聞いたことがあったけど、遠く東の他領の話なんて当然聞いたことがない。
俺はマグナの紡ぐ言葉に興味深く耳を傾ける。
「エズ村は竜の加護により暮らしてきた戦闘能力を持たない人々の村でしたから、たやすく他民族に支配されてしまった。それに竜は怒り、呪いをかけたのです」
「そうだね。大事な子との子孫を虐げられて、彼は怒ったんだ。長く眠っていて、人間の世界がわからないまま怒りに染まった」
ぽつり、クロノが寂しそうに呟いた。
その様子はまるで気心知れた相手を心配しているかのようだ。
「神は人の理屈の上におわしませんから。だから、侵略者が竜の子孫を愛し、子をもうけ、二つの血筋が交わるだなどと思いもよらなかったのでしょう」
「それが結果、自分のいとし子たちに呪いをかけることになってしまったなんて、未だに気づいていないんだ」
クロノは窓の外の一点を見つめていた。それが何だかわからなかったけれど、しばらく馬車が進んでいくにつれて遠く目に入るようになる。
山脈の一角に黒々とした大きな山があり、白いまだらな模様が幾筋も走っている。そこからまるで階段でもあるかのように、下に向かって一筋の黒い道が開けていた。
「あの鉱山の麓にエズ村がございます」
そう聞いて、俺は困惑した。
「あれが鉱山だって?」
だってあれは、どう見たって山なんかじゃない。あれが鉱山だって、本気でみんなそう思って石を……だめだ、ちょっと気持ち悪い。
「可哀想な子」
ぽつりとクロノが呟いた。
馬車はゆっくりとそれの元まで俺たちを運んで行った。
村の入り口は、ただ開けた岩だらけの広場だった。
薄暗がりの中でもわかるほどの
ぐるりと見渡せば全てが見通せてしまうような
エドリワース領を通ってくる中で見た他の村とは全く違う。本当に人が生活しているのかと疑問に思えるような、古代の遺跡を見ているかのような干からびた村だった。
村の奥から、一人の青年が手を振りながらかけてくる。
一つ結びにした長い髪を揺らしながら、継ぎはぎだらけの洋服から痩せた長い手足を剥き出しにして、キラキラとした満面の笑顔で。
遠目には性別もわからない容姿のその青年は、息を切らせて俺たちの前まで走り寄ってくると、どこか懐かしく響く声音で話し出した。
「なぁにぃ!んよごだきゃんねりだった!!!」
んん。何を言ってるのかさっぱりわかりません。
マグナはほんの少し目を見開いて、それから感慨深そうに彼を見つめた。
「んんだてんのもごぉらさねぇ、のーぼぃどうが」
マグナの口から彼と同じ言葉が紡がれる。びっくりだ。んんん何を言ってるのか全くわからない。
「んんな、でがぁなぁにぃだ、んよごぎがさんどったぁ」
これ、なまりとかいうレベル?初めての言語に出会ったんじゃなくて?
思わずクロノを振り返って見ると、クロノは不思議そうに首を傾げた。
ああ、神様には通じちゃうのか。俺だけわかんないのか。
「………言葉って翻訳できたりする?」
クロノに耳打ちすると、昔していたように久々に手を繋いでイメージを共有してくれた。
翻訳の魔法だ。
俺だけほんにゃ〇こんにゃ〇が必要なの〇太くんみたいな気分になったけど。
まぁ、何を言ってるかはわかるようになったから、ありがたくあやかっておこう。
『お兄に会えて嬉しいよ、みんな監督官様にお兄の話をねだってたんだ』
『お父とお母は元気か?』
『元気さ。もうだいぶ歳を取って、力仕事はあんまりできねぇけど』
そして聴こえてきた会話のないようたるや!
そうだ、この青年の声は昔のマグナの声に似てるんだ。まだ少し高さが残った、でも落ち着いたトーンに寄って行っている声。
喋り方や言葉遣いが全然違って、のんびりとした青年の言葉からは少し子供っぽさを感じるけれど、声音はよく似ている。
それに、翻訳されたマグナの喋り方があまりにも砕けてて驚いたんだけど、それはもしかしたらこの村の言語自体があんまり発達してないからだったりするのかな。
マグナは、文字を覚えることでエズ村を出る機会を得たと言っていた。ってことは、この村では文字を書ける人は特別なんだろう。
つまり、喋り言葉を見聞きして覚えるしかないってことだ。だから回りくどい表現なんてなくて簡素になるし、そもそも丁寧語や敬語なんてものもないのかもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、俺の方をマグナが振り返った。
「こちらは私が知っている中で一番末の弟でございます。私が村を出た頃にはまだ乳飲み子でございましたが、わかるものなのですね」
『おれの名前、テラだ。いらっしゃい』
にこにこと愛嬌よく青年、テラが手を振った。
くすんだ茶色っぽい髪は、よく見たらお揃いのピンクブロンド。癖がある波打つ髪を無理やり首の後ろで一つに束ねて、ひよこだとか冬場の雀みたいな膨らんだシルエットになっている。
俺よりはちょっと年上っぽいのに、裏表がなさそうな感情豊かな表情が幼さを感じさせる。
俺と出会った時のマグナは、慇懃無礼なまでの言動に、ふてぶてしいほど動じない態度の大人びた人間だった。変人かつドS傾向なのはまぁ、その頃から今も変わらずだけど。
昔からマグナをずっと見てるから、容姿が似ている兄弟にギャップを感じてなんだか微笑ましい気持ちになる。
『行こう、お兄!みんなお兄を待ってるよ』
マグナの手を引っ張って、テラは村の奥へと走って行く。
目の端をほんの少し緩めてそれにおとなしく従うマグナの姿に、俺はマグナが諦めて生きてきたものの中には”家族”も含まれているのだとわかった気がした。
迎え入れられた家は、この辺りで一番の豪邸だったようだ。
それでも隙間風の吹く石造りの壁に、ならしただけのデコボコした土の上にまだらに木材が敷き詰められているだけの床。窓がない広めの居室は俺の寝室くらいの大きさで、家具らしい家具も置かれていない。
大人も子どもも継ぎはいだ服を着ていて、手入れされていないくすんだ色の髪を紐で
村中の人が集まって、床の上に座ってマグナを歓迎している。
小さな子ども以外は全員集まっているらしいが、それでもこの規模の建物になんとか入れるくらいの人数だった。
木彫りの椀に濁った酒が入れられて、乾パンみたいな焼き菓子が添えられている。これが彼らにとって、最大限のご馳走なのだろう。
今まで俺はアトラント領の農村の生活を見てきたけど、正直、うちの領地にはこれほど貧窮している村なんてなかった。
物流が乏しくても、莫大な豊穣の恵みによって飢えることはなかった。技術はなくても寒さや暑さに備えられる服をいつでも着替えられるだけは持っていて、質の良い石鹸類までは手に入らなくても、身なりを整えられるだけの水資源や日用品は手に入っていた。
『お兄が優秀だったから、お姉と小兄も働きに行けたんだ。お兄がいいとこに行くたびに、お兄がいったとこの商人様やお貴族様がお恵みをくれて、みんな腹を満たせたよ』
テラは口を閉じる暇もなく上機嫌でしゃべり続けている。
初老に見えるマグナの父母は、幼い頃に売り渡した子どもにどう接したらいいのかわからないのか、どこかよそよそしく戸惑った様子で酒をあおっていた。
『旦那様がたが、お恵みを……』
マグナは感慨深そうに呟いて俯いた。
今まで従事していた場所でも重宝されていたことに感動しているんだろう。
俺たちを取り囲んだ村人たちは口々に話をしながら、みんな笑っていた。嬉しそうに。楽しそうに。
俺はその理不尽に、胸が詰まっていた。きっとマグナもずっとこんな気持ちを抱いてきたに違いない。
満たされることを知らなければ、不満をいだくことはない。
温かい寝床を知らなければ、快適な衣類を知らなければ、暑さ寒さをどうにかしたいなんて思わない。
満腹を知らなければ、痩せこけるほどでも食べ物があることは喜ばしくて。
身ぎれいにするのが常でなければ、汚れていても気になることはない。
知らなければ、たやすく搾取することができる。
だからここを統べてきた商会は、言葉を封じて文字を教えなかったのだろう。
他の文化と通じれば、自分たちの置かれている状況を知ってしまうから。
こんなディストピアをつくってはいけない。
他人事じゃないんだよな。
俺は次期領主だから、間違えば本当にそうなってしまうんだ。
今まで具体的に領主になったならどうしたいって考えたことはなかったけど、一つだけ確実な目標ができた。
俺は領民を犠牲にして利益を追従するようなやつらを、絶対に野放しにしない。
そうやって俺の初めての旅の一日は、なんだか苦い想いのうちに過ぎて行った。
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