伝説の騎士(A man called The Great of Terror)

 どっしりとした壁のような屈強な体躯を光を放っているかのような上質な絹で包み、白銀の装飾で縁取られた記章をいくつも胸に抱いた男が、息をするのも忘れているかのごとく微動だにせず直立し、腰を深く折り、頭を下げ続けていた。


 それに相対する初老の男は、年の割にピンと伸びた背筋で、見上げるほど体型の差がある男に品よく柔和に笑いかけている。


「何を畏まっているのですか?トーヤ」

 穏やかな春の日差しのような声音にも関わらず、大男はひっと喉を掠れさせた。


「息子がしょーもない事を言った。どうか許してやってくれ」

 この国の近衛騎士団長とは思えぬ震える声を絞り出し、トーヤ・フェイスタは更に深々とその男へと頭を下げた。


 この男に刃向うなど、ほんの少しでも彼を知っていればできる事ではない。

 トーヤは心の底まで凍ったかのような心持ちで、全身から冷や汗を流す。


 随分と年をとり、今やすっかりと見た目だけは品の良い紳士然りであるが、彼の本質が変わるなどという奇跡が起きるはずはない。

 この男は老いて衰えようと、決して何人にだって負けないだろう。

 柔らかな笑みの形の瞼からのぞくその眼光は、全く現役の時と変わっていない。



 もう十年ほど前になる。中央騎士団の団長であるブライが退役した際に、彼もまた姿を消した。

 中央騎士団の団長は皆に慕われており、彼もまた例外ではなかったからだ。


 と、いうのは表向きなのかもしれないとトーヤは思っている。


 彼がどういう心づもりであったかはわからない。

 ただ、正しく言うのであれば、ブライ以外に、彼、中央騎士団副団長であったアラレド・ヴェレを御せるものはいなかったからだということは理解していた。


 当時の彼の渾名あだなは『鬼』もしくは『悪魔』、『鬼畜』や『最終兵器』。時に『厄災』とも呼ばれた。

 そのどれもが彼にふさわしかった。


 若い頃、一兵卒からの叩き上げで頭角を現したアラレドは、貴族や騎士の後ろ盾を持っていないにも関わらず、実力だけで騎士団の中で階位をあげていった。

 彼は、才能の塊にたゆまぬ努力と自己研鑽を足したような男だった。


 中央貴族に権力が集中しているこのエリストラーダで、中央騎士団に所属するのは、近衛騎士団と並んで花形だ。

 近衛は王室を中心に要人擁護を専門としているが、中央騎士団はそれ以外の全てを担う。規模的にも中央騎士団の方が大きく、華やかさや優美さを求められる近衛とは異なり、中央騎士団は実力主義であった。


 その中央騎士団で、彼が分隊を任せられるようになった頃だ。


 アラレドは努力をしない無能を嫌う潔癖な面があった。

 また、彼自身の性格を表すならば、戦闘狂バトルジャンキーが的確だろう。


 彼の分隊には人が定着せず、次々と脱落者を出し続けた。

 皆、アラレドの鬼のようなしごきに耐えられず逃げていくのだ。

 いいや、鬼であっても泣きながら逃げて行ったに違いない。

 あの戦闘狂は、ある日突然王城の門扉ほどの大きさの魔獣を剣一本で一人で仕留め、肩に担いで凱旋してくるようないかれた男だった。



 彼は、強かった。剣技だけでなく、体術、知略、全てにおいて精通しており、確実に国一番の実力者だっただろう。

 だが、彼には妥協ができず、他者にもそれを求めた。

 徹底的に、協調が苦手な人間だったのだ。


 倒れるまで打ち合いをさせたり、平気で凶悪な魔獣の前に丸腰の騎士を放り出したり。立ち向かわない相手の首根っこを摑まえて、人知を超えるような剣技で指導…という名の拷問に近い訓練を行ったり。


 彼を中央騎士団の団長に押す声は、騎士団の外部から大きく上がっていた。

 しかし、騎士団内部では、切実にそれを回避したいという願いが沸きあがっていた。

 寧ろ、その時期の中央騎士団は酷い有様だった。

 震えて持ち場につけない者。アラレドの姿を見て失神する者。退職希望者の書類は机の上に積み上がり、夜逃げする輩までいる始末。


 そんな時に、中央騎士団の団長を引き受け、アラレドを副団長として御してくれたのが、ブライだった。

 彼の存在は、中央騎士団の良心でありまさに天の恵み。

 アラレドを人間的に導き、協調性を教えたのも彼だ。

 恐怖の覇王、アラレド・ヴェレは、中央騎士団副団長としてブライを支えた。


 だが、アラレドの武勇伝は大きく語られない。

 何故かと言えば、現役時代のアラレドを知る騎士団員からすれば、それは自分の恥を晒すのと同意であるからだ。


 震えあがり泣きながら助けを乞うた日々。

 騎士団の洗濯場には、彼が汚れさせた下着が溢れかえり、いつみてもどこを見ても下着パンツのオンパレード。

 阿鼻叫喚。耳を塞いでも聞こえてくる断末魔。いっそ絶えてしまえればいいのだろうが、訓練であるからには彼の最期の一閃は来ない。つまり、また立ち上がり繰り返さねばならないのだ。


 かくゆうトーヤとて、部外者の訳ではない。

 アラレド分隊の補佐官から命からがらの思いで逃げ出し、近衛騎士団に編隊した経緯を持っているのだから。



 そのアラレドに、息子が喧嘩を売ったらしい。

 トーヤは気を失ってしまいたい思いでいっぱいだった。


「面白いではないですか。老いた身にも、多少の運動は必要かと思ったのですけどねえ」

 くすりと柔らかに笑いを零すアラレドに、トーヤは勢いよく頭を上げて仰け反った。自然と逃げに走った姿勢を何とか宥めて足を踏ん張る。

 好々爺のような笑みに潜んだ覇気に竦みあがってしまっている。

 運動ならばぜひ他の場所で他の相手とやって欲しい。


 このアラレドが、愛弟子と声高に宣言する人物がいるのだ。それも、二人も。

 世の中には人知を超える者が数多く存在するらしい。

 自分は凡人でも良いから、決してそんな存在とは関わり合いになりたくないものだ。

 トーヤは無理矢理に乾いた笑いを喉から搾った。


「貴方の息子と私の愛弟子の手合せが見られる日を楽しみにしていますよ」

 アラレドは温和に笑う。


 あの息子は、一度地獄をみなければならないらしい。

 一度くらい天狗の鼻を折られてみられねば、立派な騎士にはなれぬかなぁ。

 トーヤは現実逃避気味に他人事のように思った。

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