ひそひそ…(part of the room)
自分の腕の中に飛び込んできたフリフリのドレスを着た幼女を抱きとめて、侍従は困惑していた。
お菓子のおこぼれに与ろうとこっそり連れ立ってテーブルの脇に隠れて忍び寄っていた幼い主の弟妹の為にぬるいお茶を用意すべく、部屋に備え付けてある簡易キッチンに佇んでいたのだが、そう遠くないテーブルでなされていた話はきっちり耳に届いている。
甘めの紅茶にオレンジを絞って濁らないように濾して加え、幼児たちの為に淹れたお茶のティーカップを両手に持つべく、ひとまず幼女を肩に乗っけるときゃっきゃと幼い笑い声が頭の上で響く。
短かくて小さい脚が肩でぶらんぶらんと揺れてはいるが、きっちりと撫でつけた己の髪を掻き回しながら、しっかり自分の頭にしがみついている幼女は危なげはないだろう。
頭の上にも意識を配ったまま、テーブルへと歩を進め、身についた丁寧な所作で紅茶をテーブルに並べる。
そしてようやく、空いた両手で幼女を抱きとめてソファーへと降ろした。
「素直にお兄様と仰られれば、たいそうお喜びでしょうに」
他の話題で盛り上がる主たちに気取られない程度の小声で、小さな姫君へと囁く。
やんちゃで活発な姫君の乱れた髪を手で整えてやって、小さめのティーカップのソーサーに、姫君の好みのお菓子を選んで並べる。
「ルーナは、にいさまとけっこんできないって」
可憐な顔で唇を突き出して、小さな姫君は拗ねたように、それでも小さな声で返す。
昔は貴族の子供なんて、みんな我儘放題で辟易していた。人を人とも思わないような態度で、自分より弱いもの、力のないものを踏みにじり喜ぶ。
まるで虫でも甚振るような残酷さに、いかに目をつけられないかだけが肝心だったものだ。
「だから、まーにいさまとけっこんする!」
だが今では。
この領地に慣れすぎて、こんな温和な時間が当たり前になってしまった。
好きな焼き菓子を胸に抱えて、ご満悦そうに満面の笑みでそうのたまう姫君の、なんと微笑ましいことか。
「私は使用人ですから、ルーナ様とはお立場が違うのですよ。
結婚などと仰られずとも、お好きなお茶もお菓子もご用意いたしますから。もちろん、ご本も読んで差し上げます」
小さな姫君は難しい顔でうーんと悩んでから頷いた。
難しい顔をしてみたものの、もう興味は小さな手で持った焼き菓子に惹かれてならないのだ。
思わず笑みが零れる。
故郷を出たのはあまりに幼い頃だったから詳細な記憶はないのだが、大人たちが働いている間、いつも留守番の子供たちで力を合わせて世話をしていた幼い弟妹たちは、こんな風だっただろうか。
物言いたげな視線をこちらに向けつつも大人しく自分にもお菓子の給仕を待っているもう一人の幼子の元へと向かう。
我儘ひとつ言わず待って、でも子供らしくキラキラした目で取り分けたお菓子を見つめるまだ幼い紳士は、嬉しそうに丁寧に礼を述べた。
全くもって貴族の子息らしくもない。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。快くお許しいただける度量は、素晴らしい紳士ぶりでございますね」
つい褒め言葉を漏らすと、小さな紳士は胸を張りながらはにかむ。
そのアンバランスさがおかしくて、主人に似た色の髪をぽんぽんと撫でれば、嬉しそうな笑みが返ってきた。
素直で真っ直ぐで、眩しい限りの笑顔だ。
一番大きな弟が楽しそうに語らうこの突拍子もない空間。
これ以上幸福な場所はどこにもない。
それを守るために自分はここにあるのだと、昔の自分からはきっと想像もつかなかっただろう意識を胸に、侍従は今日も黙々と仕えるのだ。
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