婚約と理想
アトラントの短い冬が明けて、暖かくなった3月。
全く思いもよらなかったことなのだが、婚約のお伺いが増えた。
今まで俺の元にきた婚約話なんて、ユーリくらいである。
それも正式になる前にあえなく打ち砕かれている。
だが、襲爵以降、ぽつぽつと伺うようにそういう話がきているのだ。もちろん全て父経由ではあるが。
お伺いが来ているのは、中央の小貴族だったり、資金ぶりに噂のある伯爵家。
地方では幼い頃から付き合いのあるエリストラーダ北西部からではなく、やはり中央付近の貴族が多い。
知り合いからは避けられるダメな子なんかじゃないと信じたい。
しかし、婚約か。もう4か月ほどで俺も11歳。貴族としてはこの時期の婚約話は妥当なものなのかな。
家の父と母は幼い頃からの顔見知りで、物心ついた頃から母が父にぞっこんだったから、気づいた時には婚約者だったそうだ。
この周辺の領地では、そういう話は度々聞いて珍しいものではない。
エリストラーダ北西部は、領主やご婦人たちの仲が良くて頻繁に顔を合わせているし、家のための結婚という意識が低くて自由な風習がある。
エリストラーダ全体がそうなのかもしれないとも思ったが、やはり中央では政略結婚が主流らしいので、土地柄とも言えるのかもしれない。
カトゥーゼ家の場合、もちろん父も母も俺の婚約話には関わろうとしない。結婚したい相手とすればいいというスタンスだ。
つまり、そういう話は全て俺の元へとやってきている。
優秀な情報係がいるので相手の詳細はわかるものの、わかったからと言って結婚相手なんて到底俺には選べない。
現在10歳児、前世でも結婚を考えたこともなければ長く付き合った相手もいないのである。
婚約者なんて何をどう選んでいいものか、まだ選ばなくてもいいのかも、全くもってわからないのだ。
こういう時は情報収集に限る。
という事で、俺は身近な所から話を聞くことにしたのだった。
まず、俺の周囲で唯一婚約者のいるタラストラ。
タリーはサラジエート家の嫡男で、父侯爵の妹、つまり叔母がソズゴン侯爵に見初められて嫁入りしたハルイルトの母である。
その伝手でソズゴン家の家臣である伯爵家令嬢を紹介され、お互いに納得してそつなく学園入学前に婚約したらしい。
この辺りでは珍しい政略結婚予定である。
「なぁ、婚約者って何を基準に選ぶものかな?」
街道開発会議の小休止で、タリーを捕まえて聞いてみた。
タリーは小さく苦笑を見せる。どうやら優秀なタリーは、それだけで俺の質問の経緯までしっかりと理解したらしい。
「そうだな、婚約によって何を欲するかによるだろう。明確な基準というよりは、相対的に利益と不利益を熟考した上で、己の為したいことにそれが必要か否かというところだろうか」
相変わらず、合理性の塊である。
タリーにとって、結婚とは契約の一つなんだろう。メリットとデメリットを比較して、最大限自分に有利な婚約をする。まあ、理にはかなってるのかな。
「タリーには令嬢に対して好みとか理想ってないのか?」
思わず疑問に思って尋ねてみると、タリーは表情の薄い頬をふっと綻ばせた。
「そうだな、理想というならユーリだろう」
相変わらずのシスコンである。
俺の悩みとは次元の違う答えが返ってきたタリーは置いておき。
次は、現在婚約話の殺到中のハルイルトに聞いてみることにした。
俺が襲爵して以降、ハルの友達としてソズゴン家に出入りするのには気兼ねがなくなった。
家格も爵位もハルには遠く及ばないんだけど、俺たちくらいの年代で爵位を授かっている子供はそんなに多くはない。
ある程度、並び立てる者として認識されているのだ。
俺とハルの仲がいいことは、元からソズゴン侯爵夫人は隠したりしていなかったし、侯爵も黙認していた。
全く反対されることもなく、むしろ訪問を歓迎されているのだから、ソズゴン家としても俺たちの交友は公認であると思っていいだろう。
一つ一つが美術館に並んでいてもおかしくないほど高級な調度品が品よく並ぶハルの部屋で、俺たちは魔法薬論議をしていた。
アトラントで魔法薬を一定つくるようになって、量産できた魔法薬は実験材料としても扱えるようになった。
たとえば、体力回復薬と魔力回復薬は混ぜて1本にできるのかだとか、複数の解毒剤を混ぜて万能薬は作れるのかとか。ハルは最近その実験に夢中だ。
今までそういう研究はなかったらしく、魔法植物の妖精であるリドルさえもやってみなければわからないという返事だったから、ハルの興味は未知の領域への好奇心に振りきれている。
ちなみに、現在の実験のデータは、足せるものと無効化されるものがある、というものだ。その条件は未だまったくわかっていない。
「そういえば、ハルは婚約者は決まったのか?」
話がひと段落した後に、満足気にメモを取っているハルに問いかける。
優美な仕草で顔を上げたハルは、軽く首を傾げて俺を見上げた。さらりと流れる髪や穏やかな笑みをたたえた顔が美しいのがちょっと悔しい。
「決めませんよ。私はこの侯爵家の通例のように多くの側妻や愛人をもつつもりはありませんしね。
地方貴族が取り上げられたことで、現在随分と貴族間の情勢も不安定でしょう?中央の貴族のほとんどが、しばらく縁組は様子見するのではないでしょうか。
私は少なくとも学園を卒業するくらいまでは相手は決めないつもりです。お父上もそれに異存ございませんようですし」
温和におっとりと言葉を紡ぐハルが、父を語る際にほんの少し目元を鋭利にして口端を上げる。
ハルは幼少の頃に侯爵の側妻や愛人たちがしかける暗殺と戦っていたことがあるらしく、父侯爵をたいそう嫌っている。
普段は顔にも態度にも表さないが、思うところは多大にあるのだろう。
「そうなのか。それじゃ、今は様子見が一番なのかな。
こういうのってどうすればいいのかわかんなくてさ。だいたい家の父母は相手が貴族じゃなくても気にしないような気もするし、一般的な婚約話からはかけ離れてるだろ?しかも俺に全振りだしさ」
「そうですね、一般的には現在の情勢から一旦様子見が多いでしょう。
でも、リューの場合は……っふふ、何も考えなくてもいいのかもしれませんね。縁組に望むものもないでしょうし、必要な事があれば他家の伝手などに頼らずにリュー自身がなんとかするのでしょう?」
悩み込んだ俺にハルがからかうような笑みを向ける。
そうだよなあ。家同士の結婚って何らかのメリットを求めてするものなんだろうけど、アトラントは今のところ裕福でお金に困っていないし、縁組しなくても周囲の領地と仲はいいし、国の政治的立場とかは欲しいとも思っていない。税金払うから好きにさせてほしいくらいだ。
つまり、政略結婚する必要がないのだ。だったら急いで婚約話に向き合う必要はないだろう。
「そうだな。となると、俺は結婚しようと思った時に婚約を考えればいいのか。何かすっきりした、ありがとうハル。
ちなみにハルには婚約する令嬢への好みとか理想ってないのか?」
すっきりついでにハルにも聞いてみた。ただの興味だ。
「そうですね、やはり侯爵家に迎えるのに相応しいと判断されなくてはなりませんから。
ただ望むのは、健康で、控えめで禁欲的で浪費などせず、自分の領分を弁えて差し出がましくなく、女主人としてよく務まる気丈さと賢さを持ち、時には我が家の主役を演じられる度量がおありになり、良き母となる優しくも厳しくもある公正な方でしょうか」
輝きそうな美麗な顔からつらつらと当たり前のようにハンパない要求きた。
それって健康で慎ましやかで知的で仕事が出来て美人で良妻賢母ってことだろ。
理想が高すぎてヤバい。いるのかそんな女性。
思わず笑いが引きつった俺の意を全く解さないハルは、さすがこの国一モテている男だと思うしかない。
「貴族の結婚事情って複雑だよな」
自室で雑談がてら、ちょっと愚痴ってみる。
結局は家までリドルに会いに来たハルと、リドル、ソルア、マグナ、クロノが適当に各々過ごしている相変わらずオフィスばりの空間で呟いた言葉は、どこかで誰かしらが拾うことが多い。
「リューくん、結婚するの?」
自分の机で書類に視線を落としたままソルアが何の気なしに問いかける。
「いや、見合いの釣り書きがどしどし来てるだけ。ソルアは結婚とか考えてる?」
俺はソファーセットでハルと向き合ってお茶を飲みながら横目にソルアに問いかける。
「結婚はまーゆくゆく?世の中には星の数ほど綺麗なおねーさんも可憐な女の子もいるでしょう、誰か一人を選ぶなんてもったいないことは、僕はまだできそうにないよねえ」
ソルアはおっとりとした人のよさそうな柔和な顔に愛想の良い笑いを浮かべて軽く答える。
領主館内に不在の事も多いのは、仕事だけではなく多大にプライベートを含んでいるようだ。
この前、家を尋ねてきた女の子が修羅場ってたらしい。いつの間にか結構なプレイボーイに成長したものだ。
「マグナきゅん結婚しよ!」
「しませんよ人外。むしろ、私は貴族ではございませんので、婚姻は必要ありません」
いつものごとくマグナに詰め寄るリドルとスルーするマグナ。
もうテンプレ染みてるんだけど、どこまで本気なのかがいつも疑問だ。
「僕は結婚するならニコちゃんみたいな子がいいなあ」
俺の隣でにこにこしながらお茶を飲んでいるクロノが呟く。
結婚する気があったのかお前。しかもニコなのか。前にニコは結婚したって言ったよなクロノ。
「ルーナとけっこんするの!」
いつの間にかテーブルの横で背伸びしながらお茶菓子のクッキーを盗み取ろうとしていたルーンディエラがにっこりと天使の微笑みで見上げてきた。
いつの間に忍び寄って来ていたのか全く気付かなかった。
プロ(サーフ)の技でも習ったんじゃないかと本気で心配になったんだけど違うよな?
「ルーナちゃんが結婚してくれるの?」
クロノが嬉しそうに微笑んでルーンディエラを膝の上に抱きかかえる。
俺の妹が取られてしまうジェラシー。
「ずるい、…僕も。」
ルーンディエラと手をつないで立っていたアプセルムが、離れた手でぎゅっとクロノの洋服を掴む。
俺のもう一人の天使である弟も取られてしまったジェラシー。
いや、アプセルムはちょっと間違ってる…いや、クロノは女神でもあるんだっけ、間違ってないのか?深く考えたら負けかもしれない。
クロノは嬉しそうにアプセルムも並べて膝に乗せる。
天使にモテモテで悔しい。悔しくなんかないとすら言えない悔しい。
思わずクロノの膝の上を恨みがましく見つめると、ルーンディエラはクッキーをもぐもぐ頬張りながらにこにこして俺の膝の上へ飛び乗った。
「にいさまも!」
にぱっと笑って手を差し伸べてくる天使が尊すぎる。
もうすぐ6歳になるアプセルムは、さすがに自分もとは言い出せずにむっと口を引き結んで俺の服を掴んだ。
可愛すぎる天使たちよ。兄様もう一生結婚しなくてもいいかもしれない。
「結婚できるのは一人だけだからな?」
ルーンディエラの柔らかい髪を撫でて意地悪く言うと、ルーンディエラは悩むように唇をすぼめてきょろきょろと部屋の中の顔ぶれを見渡した。
ぴょんっと俺の膝から飛び降りて、スカートの裾を揺らしながら短い脚でばたばたと走って行って両手を広げて飛びつく。
「まーにいさま!」
思わず綺麗に受け止めたマグナの腕の中でにこにこと笑いかける天使。
本当の敵はここにいたようだ。
固まったマグナと俺の複雑な顔を見てためらわずに笑ったソルアが、書類から顔を上げて振り返ったまま尋ねる。
「そういうリューくんはどんな子がいいの?」
問いかけられて、気を取り直して考える。
俺の好みと言えば、前世からあまり変わらないかもしれない。
付き合ったことがあるのはいつも活発な友達彼女だったけど、好みはというと正反対なんだよな。
「大人しくて、そこそこ可愛い子かな」
余りに押せ押せだとどうも流されまくってしまうから、大人しめな子がいいなと思う。
可愛すぎたり美人過ぎたりすると腰が引けてしまうから、あくまでそこそこ可愛いなと思える子が良かったりする。
「あと、女の子らしい柔らかい感じがいいな。ふくよかじゃなくていいけど、触ったらふにんってしそうなの」
あんまり細いと心配だし、スタイルが良すぎるのも、肉感的なプリプリしたのもちょっと気おくれするから、女の子っていう感じの柔らかさがあるのがいいな。
俺は普通に好みを語ったつもりだったんだけど、何故かこの空間に静寂が漂った。
「リューくん、…その好み語って大丈夫なのは娼館の受付くらいだからね」
ソルアが苦笑ながらに指摘する。
「まあ……この場では構わないと思いますけれど、女性に聞かれては駄目ですよ?」
ハルも苦笑でこちらを見ている。
………そんなにダメだっただろうか?いやらしい気持ちなんか一切なく答えたんだけど。紳士の世界はセクハラ判定厳しすぎる。
ダメなの?って顔に書いてるであろう俺を見て、友人たちは溜息をついた。
他意はない事はわかってくれてるみたいだが。
「リューくんだからね…。」
「…そうですね。」
なんかそこ、俺の事残念な目で見てるだろ。残念じゃない自信なんてないけどな!
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