サーフの行儀見習い
襲撃事件からしばらく。
アトラントの実り豊かな長い秋が更けて、―――無事に収穫できた米の出来栄えも上々で、今年も収穫祭を行ったがアリー先生の指導のたまものかフレイアートが乗り込んでくる事はなかった。
そして寒さが際立ってきた冬の初め。
襲撃事件で多くのものが捕まったという噂や、サーフの警備の優秀さで、アトラント領主館付近での間諜の暗躍は減ってきたらしい。
元間諜として、侵入経路や忍び込む手筈なんかを熟知している上に、元々斥候系のスキルに長けているらしいサーフは、間諜を発見したり侵入を予防したりするのにかなり著しい成果をあげた。
元冒険者の備兵とかゲームや物語でよく聞く話だと思うけど、これって本当に有用なんだなと実感した。
別に警備がサーフの仕事という訳ではないのだが、根がまっすぐで真面目なサーフには、出来るのにしないという妥協ができなかったらしく、カトゥーゼ家への忠誠心もずば抜けていて、自ら進んで能力を発揮していた。
確かにいい拾い物だったと今では心から納得している。
そんなサーフが今普段どう過ごしているかは、きっと本人の予想もしていないことだっただろう。
「ウリューエルト様、お父上からの手紙を預かってまいりました」
黒のベストにスラックス、白いシャツ姿のサーフは少し緊張した面持ちで一礼して手紙を差し出す。
いや、別にソルアが取りにいった時とかは机の上に放り投げてるんだけどな、それ。
「ああ、ありがとう」
俺はその手紙を受け取って封を切り、中身を確認する。
この前父に頼んでいた、収穫祭での米飯の意見に対する資料だ。
その場でアンケートを取ることができたならきっともっと簡単に意見を収集することが出来るのだろうけど、この国ではそういった文化がない。
格差が大きいこともあって、実用化するには幾らか問題がありそうだが、できると便利だよなとは思ってる。
その意見集を眺めながら、耳にはもう聞きなれてきたお説教がBGMのように流れている。
「姿勢を正して胸を張りなさい。目を泳がせない。旦那様がたの前では常に平静でありなさい、己の感情を覗かせるなどもってのほかです。仕えるべきお方のお気を煩わせてはなりません」
淡々と聞こえる厳しすぎるけど至極まっとうなこの指導は、なんとマグナである。
自分はだいたい無礼極まりない態度なんじゃないかと思うけど、『やらない』と『やれない』では大きな差があるとのこと。
でもこれはあれか、蛇に睨まれた蛙というやつなんじゃ…と思っていたのは最初だけ。サーフは臆せず真剣にくらいついている。
「かしこまりました」
サーフは全く言い訳もせずに、少しぎこちないながら丁寧に礼をする。それを見るマグナの目元が少し和らいでいるのがわかった。
全くもってそんな風には見えないけど、多分マグナはサーフを心配してるんだろう。
平民で、戦闘で生計を立てていた元冒険者であるサーフ。大貴族の元で使われていたにしろ首輪をはめた道具扱いで、表に出ない仕事をやらされていたんだからそこでも教養を受けることはなかっただろう。
それなのに、田舎の小貴族とはいえカトーゥゼ家に勤めて、次期領主の側付きとなるのだから、当然一般教養やマナーを求められることも多くある。
マグナは自力で成り上がってきたきた平民だから、思うところがあるようだ。
なんだろう、俺より確かに十も年上なんだけど、ちょっと老成しすぎじゃないだろうか。横柄でふてぶてしいくせに、ほんのり青春が似合わな過ぎる苦労性の気配がする。
「久しぶりになってしまいましたね、リュー。
アトラントの目覚ましい発展について、中央でも話にのぼらない日はありませんよ。私も誇らしいばかりです。ああ、お話したいことがたくさんあります」
今日は久々にハルが家にやってきて、ゆっくりと話ができる予定になっていた。
ハルイルト・ソズゴン侯爵嫡子といえば、今は中央でも飛び抜けて優秀と有名で、見合い話だけで門が一つ埋まるだなんて揶揄されるほどである。
俺より一つ年上のハルはもう王城に出入りして、父である宰相補佐官の仕事を一文官として手伝っているらしい。
まだ11歳だから本格的にという訳ではないんだが、この年で顔を売って能力を示すというのは権力者としてもかなり実力が伴わないと出来ないことだ。
すっと前に出て案内をそつなくこなすサーフににこにこした視線を向けながら、ハルはじっとその様子を観察している。
そういえば、初見だったかもしれない。いつもの俺の自室にたどり着いてから、俺はハルにサーフを紹介した。
「ハルに紹介しとかないとな。彼はサーフィリアス。行儀見習いに入ってくれてるんだけど、元冒険者とか間諜とかそんな感じの職歴?で、訳あって家に仕えてくれることになったんだ」
雑である。いや、本当にどう説明したらいいのかわからない。
ハルは美麗というしかない作り物のような顔に、ほんの少し驚きを浮かべた。
緩く結んだだけのサラッサラの銀の髪をたなびかせた、おっとりとした柔らかい顔をした美人が少し目を見開いて、輝くアメジストの瞳の前で長い睫毛を揺らしている。
随分と背も伸びて身体つきも少年っぽくはなったけど、まだ美少女でいけるかもしれない。
ちょっと美しすぎて眩しい。
これ、本当に女の子だったら世界中の貴公子に求婚されるんじゃないだろうか。中身は結構男前なんだけどな。あ、今ちょっとムカついた。
「なんだか、楽しそうですね?そのお話も後で聞かせていただきましょう。私はハルイルト・ソズゴンと申します。よろしくお願いいたします、サーフィリアス」
ハルがサーフに向き合って優美に礼をすると、サーフは焦ったようにベコベコと頭を下げた。優美さのかけらもない。減点間違いないやつだ。
元より中央の某貴族に使われていたというサーフは、ハルの名前を知っているのだろう。
高貴で高名な侯爵嫡男に頭を下げられて恐れ多いんだろうな。ハルが美形すぎるからじゃないよな、多分。うん。
テーブルについて、俺たちは近況なんかを報告し合ってしばらくぶりの会話を弾ませた。
お互いに忙しくなって、こうやって一緒に過ごせる時間は以前よりかなり減っていたけど、ハルは変わらず俺が良く知っているハルで、久しぶりだという事を忘れるくらい遠慮がいらない相手だった。
アトラントの新街道開発についてや、ハルの王城での務めについて、久々の魔法論議だったりと、話は尽きることがない。
朝からせっせと作った焼き菓子がすぐに無くなってしまった。もうちょっとたくさん作ってもよかったかもしれない。
素知らぬ素振りでテーブルの外からも遠慮なく手が伸びてきてるもんな。テーブルに寄ってきて話に加わっては主人の作ったお菓子を奪っていく侍従たちによって。まあ、いいんだけど。
お茶のおかわりを淹れて、まだ少し緊張しているサーフが俺の後ろに立つ。
遠慮なくソファーの隣に引きずり込んで、ハルに詳しくサーフの事を説明した。
「へぇ、中央のある貴族に仕えて間諜をなさっていたのですか」
ハルが柔和な笑みの瞳に、ほんの少し不穏な色を覗かせてサーフを見つめる。
声色は優雅で穏やかなのに、背に緊張が走るような圧を感じる。
「サーフとは、もっと親しくお話させていただきたいですね。貴方の知っている事についてなど。私、貴方のお役にも立つと思いますよ?」
声を潜めた囁き声が、悪魔の甘言のように耳に響く。俺が言われている訳ではないのに手に汗を握ってしまった。
うろたえながら隣を見ると、サーフは石のように固まっている。
そうだよな、すっげー怖いよな。怖いけど頷きたくなるよな。サーフの気持ちがわかりすぎる。
「……ハル?」
おそるおそる呼びかけると、大輪の花のように明るい無邪気な笑みを向けられた。
いつものハルだ。
っていうかさ、いつものハルが実は腹黒……いや、考えてはダメだ。
ハルはハルだもんな。
だいたい、中央貴族の輪の中で主役はれる人間が、ただおとなしく柔和な訳がないのは、まあ、仕方ないんだよ。
「サーフ、ハルは大丈夫だから、好きに情報のやり取りしていいよ。ハルも脅さない。サーフは俺たちに有利なら協力なんていくらでもしてくれるんだからな」
俺が溜息交じりに仲裁すると、ハルは面白そうに笑った。
こんな姿を見せても俺なら大丈夫だって自信があっての悪戯なのかもしれない。
ある意味、全部を晒した親友ってことなのかもな。俺たちはそれだけの付き合いをしてきたと思うし、簡単になかったことになんかならないって自信がある。
「あ、の……僕、ご主人様のお役に立てるなら協力はいたします。よろしくお願いいたします、ハルイルト様」
固まっていたサーフが立ち直ってハルに頭を下げる。中央貴族の表と裏。今ここに、大幅に情報網が繋がったのかもしれない。
ハルは、本当に大物だよな。あのゲームの攻略対象たちよりもずっとハイスペックなんじゃないか?
時々参加する中央のお茶会で情報収集している攻略対象たちは、やっぱりハイスペックだった。
学園に入学するまでまだ随分時間があるというのに神童だの戦神だのともてはやされてはいるようだ。ただし、ハルほど抜きんでて有名な訳じゃない。
あれ?それじゃ、ハルはあのゲームの中でどうして攻略対象じゃなかったんだろう?
中央の筆頭貴族の侯爵家の嫡男で、顔よし頭よし社交性抜群で抜きんでてモテモテだ。
多分、今この国の婚約したい男ナンバーワンだろう。でも、ハルはゲームには出て来なかった。こんなに目立つのに。
ちょっとした疑問は頭に浮かんだが、考えたってしかたない。
ハルは俺にとって脅威にはならないんだから、いいだろう。
俺たちはこの部屋で変わらず無礼講の会談を楽しんだのだった。
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