ヘイムストイヤとアルマディティ
気候は徐々に暖かくなり、アトラントの長い春が終わりに近づいた頃。
母にとっては四度目の出産が訪れようとしていた。
俺にとっては、アプセルムの時はそわそわと落ち着かず、ルーンディエラの時は不安を煽られた母のお産。
母の隣で手を握っているアプセルムはもう数ヶ月で4歳だし、まだ何が起きているか良くわからずに俺の腕の中から母を覗き込むルーンディエラはもうすぐ2歳になる。
「母上、きっと健やかな赤ちゃんが産まれます。神様のご加護がありますから」
アプセルムは、ベッドに横たわり上半身を起こしている母を勇気づけるようにぎゅっと手を握りしめて、子供らしい可愛らしい声で母へ告げる。
二年近く前のルーンディエラが産まれた日、あの時の不思議な光景を何となく思い出した。
だけど、あの時はまだ小さかったアプセルムが、こうもしっかりと明確な意思で母を励ましているのは感慨深い。
母の手の上から握りしめた両手は、祈るような形で、ずっと聞けないままだったけど、やっぱりアプセルムはあの日のことを覚えているんじゃないかと思った。
「にぃ、にぃ、ルーナも。」
抱きかかえる俺の腕をたむたむと叩いて、ルーンディエラが主張する。
母の隣に座らせると、ルーンディエラはアプセルムの手の上に、更に自分の手を重ねた。
天使たちの可愛いことよ。俺にとっては弟妹だけど、それでもこれだけ可愛いんだから、母にとってはどれだけ可愛いことか。
二人を見つめていた俺が視線を上げると、俺と同じような顔でこちらを見ている母と目があった。
激しく照れるけど、母にとっては俺はこの天使たちと同列らしい。
弟妹たちと母を応援してから部屋を出る。
前回のことがあって少し心配な気持ちもあるけど、今回もクロノが大丈夫と言ってくれたので安心してよさそうだ。頼りっぱなしも良くないとは思うんだけどな。
でもこういう自分ではどうにもできないことに対して、誰かに祈るような気持ちはあって、それはやっぱり『神様』っていうのがしっくりくる。
明確に誰かを示したり責任を求めてるとかじゃないけど、自然とそう祈ってしまう。
そういう祈るような気持ちとか、願いが全部聞こえてしまってるとしたら、クロノはかなり忙しいんだろうな。
アプセルムの手を引いて、ルーンディエラを反対の手で抱いて、俺はもうすっかりと草原になってしまった屋敷の内門の外、魔法植物が繁る敷地を訪れた。
ここは、いまだに変わらずアプセルムのお気に入りの場所だった。
ふっと姿を現したクロノとリドルに、アプセルムが駆け寄る。
離された手が少し寂しい。アプセルムはクロノが大好きだから、今に始まったことじゃないんだけど。
「クロノ、母上と赤ちゃんは無事?」
クロノと手を繋ぎ、アプセルムが心配そうに問う。クロノは柔らかく微笑んで頷いた。
ひらひらと飛んできたリドルがルーンディエラを抱えている腕に着地する。ルーンディエラはキラキラした笑顔で嬉しそうに手をばたつかせる。
「今日もルーナは可愛いね」
リドルがつんつんと柔らかいルーンディエラの頬を突っつくと、ルーンディエラはくすぐったそうにくふんと笑った。
なんだろう、すごく和やかで平和な雰囲気なんだけど、カトゥーゼ家の子供たちはかなり常識が普通とズレてる気がする。
リドルに促されて、俺は糸のように細く長く練り上げた魔力を、低木になりそうなツルペータ草に注ぐ。
馬車がすれ違える程度の道を挟んで、キロ単位も続く緑が風にそよぎながら淡い光を煌めかせる。
この時期には花を咲かせる種類の蕾を携えた植物が、一斉に花開いて漂う空気にみずみずしい甘さを添えた。
幻想的な光景は魔法植物の繁る規模が大きくなるほどに、まるで夢幻の世界にいるかのようへとなっていった。
時折この光景に遭遇した来客等を戸惑わせることもあるらしい。
淡い光を放つ草原で、クロノと手を繋いだままアプセルムが空いたもう一方の手を掲げる。
その小さな掌には空色の光が集まって、風に乗って魔法植物の上へと降り注ぐ。
まだ規模は小さいけど、アプセルムは魔力を操るのが巧みだった。リドルが俺の腕から飛び立って、アプセルムの頬へちゅっと口付ける。
「セームくん、ありがと。すっごく美味しいごはんだね」
アプセルムは嬉しそうに頬を緩ませる。その表情はどこか自信気だ。
「ぼくも兄様のようにできるように、もっと精進します」
可愛い天使に誉められたのか宣戦布告されたのかは微妙だけど、真っ直ぐに俺を見るアプセルムに俺は頬を緩ませた。
兄様はお前に負けるなら本望だよ。もともと勝敗にこだわる性分じゃないしな。
夕食を終えてアプセルムとルーンディエラを風呂に入れ、二人が寝付いて少しのこと。
メイドが母の出産を知らせに部屋を訪れた。
寝入った弟妹たちをどうするか考える間もなく、眠たげに目を擦りながらアプセルムが起き上がり、その後に続くようににこにこ笑顔でルーンディエラが起きた。
二人を連れて、母に会いに行く。大変な時にそばにいられなかった少しの不安と、元気な姿で増えた宝物を抱く母の姿を期待しながら。
扉が開けられると、繋いでいた手を離してアプセルムが母へと駆け寄った。
わぁ、と感嘆の声が聞こえる。
ルーンディエラを抱いて母の元にたどり着く。
少しだけ疲労の色を残した母は、幸せそうに美しく笑った。
その姿に、知らずと安堵して深く息をついた。どうやら俺は、緊張していたらしい。
「貴方たちが応援してくれたおかげで、元気な赤ちゃんたちが産まれたわ。ありがとう」
アプセルムの小さな頭を撫でながら、母は俺とルーンディエラを見上げる。
ルーンディエラが母の隣で寝ているそっくりな赤ん坊たちに手を伸ばして、じたばたと身体を動かした。
同じ顔。同じ姿勢。色違いのピンクと水色で包まれた、二人の赤子。
可愛い弟妹が増えた。母も赤ちゃんも健やかに。この幸せを、理解している。わかってるのに、心のどこかがひどく苦しい。
―――ニコ。
俺たちも、こうやって産まれてきたんだ。並んで、一緒に産まれてきて、いつも一緒に生きてきた。
だけど、今はお前はここにいない。俺が置いてきてしまったから。
「にぃ、にぃ?」
気付けば暴れていたルーンディエラはおとなしくなり、小さな掌が俺の頬に触れていた。
温かい小さな手。俺の腕の中で振り向いた顔は、幼いながらも心配そうに眉尻を下げている。
もう一方の掌も、温かい。いつの間にか戻ってきていたアプセルムが、両手で俺の手を包み込み、不安そうに俺を見上げている。
幸せだな。俺はこれ以上なく、幸せに生きてる。
母がそっと身を乗り出して、俺の頬を拭った。不意に零れてしまった想いは、この場には似つかわしくなかっただろう。それに、心配をかけてしまった。
俺は気を取り直して笑みを浮かべる。この子たちが俺とニコのようにお互いを大切に感じ、幸せに生きて行ければいいと心から思っていた。
ヘイムストイヤとアルマディティ。
同じ顔ですやすやと眠る新しい天使たち。ここに無事に産まれてきてくれた奇跡を、幸せだと思った。
俺はこの愛すべき弟妹たちの全員を、大切にしたいと思っている。
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