マグナの課題 3
父と詳細を詰めたり、下調べをしたりしてだいたい一月くらい。
月は変わって俺は9歳になっていた。
まだまだ子供で通るものの、子供ながらの教養や礼儀もしっかりと求められる頃合いだ。
歴史の上での昔の日本の元服は12から15歳辺りが多かった気がするが、15歳にもなれば大人というのは世界を超えても多くの国で似たり寄ったりかもしれない。
この国での正式なお披露目は社交界デビューで、年齢は決められてはいないが15歳前後が多く、学園卒業後の18歳辺りも多い。
デビューせずに結婚というのもあるが、次期当主や有力貴族の次子以降、婚約の決まっていない令嬢なんかは必ずといっていいほど社交界に足を踏み入れるものらしい。
俺の場合は、まあ必須だろう。
まだ9歳とも言えるが、もう9歳とも言える複雑な心境である。
着々とあの乙女ゲームの時間軸へと近づいている訳だが、俺も少しは成長できただろうか。
そこそこ頑張ってきたつもりではあるが、それでもまだまだ足りないと思うのは、アトラントの時期領主としてこの領地を守っていくために力が欲しいと思っているからだ。
一歩だけただの子供の領域から踏み出した俺は、この領地の発展を具体的に考えるようになっていた。
収集していた情報が、出そろってきた事もあるのかもしれない。
だけど、俺一人には決められない事は多い。
ただ一つのことでも、是も非もあるのが普通で、メリットもデメリットもある。多くの領民の命運を負って、何かを決断するってことはとてつもなく重い。
俺がどれだけ頑張って良い領主を目指しても、一人でできる事には限りがある。
逆に力強い味方がいれば、何だってできる。
魔法薬の生成も、宝石高山も、街道整備も。実行に移せたのは仲間のおかげだった。
俺は次の一歩に必要なのは、味方なのだと切に感じるようになっていた。
マグナは、俺に知識を授けた。それは、幼い貴族子息にとって必要な教養と、俺の知りたい多くのことについて。でも、それ以上に得がたいと思ったことがある。
仲間として俺が考える事に何が足りないのか、新しい可能性の
そこには何の遠慮もなく、お互いに自分の意見を押し付けることも無く、裏も表もなく単なる俺とマグナとしての一対一で、そうやって話をすることができる。
情報が足りなければ何の情報がどう足りないかを指摘して、急かすように期限付きで課題にされる。
だけど、それが役に立たなかったことなんて、ただの一度もない。
俺にとってマグナは、この領地を治める際に側にいて欲しい相手だった。この優秀な逸材を、手放すなんて考えたくない。
それは友達と離れたくないなんて気楽なわがままではなくて、次期領主として俺が初めて望んだことだった。
「マグナ、課題の事についてはさっぱり見当もつかないんだけど、ちょっと交渉したいことがあるんだ」
何食わない顔で課題の
俺の元自室ともいえるオフィスで、ソファーセットに向かい合ってマグナの顔を見上げる。
思えば細い眉を片方持ちあげて興味深そうに話を促す様も、昔よりもずいぶんと色男になったものだ。
少しの緊張を胸に、俺は深く息をついてしっかりとマグナを見据えた。
挑戦するような我の強い瞳を、負けない力で見返す。望むのならば、欲しいならば、負けてられない時だってある。
「俺の相談役として、側近の侍従として、新たに雇用契約をして欲しい。
条件は今と同じで、務めは毎日でなくていいし一日中でなくていい。屋敷の書物や文具や紙なんかも、経費として使い放題していい。必要な資料は買いそろえる特典も付ける。
俺は、いずれこの領地を継いだ時に、マグナに相談できたなら心強いと思う。お前は、アトラントを幸せにする人材だと思うし、俺はそれを疑いもしない」
顔色一つも変えずに、マグナは俺を真っ直ぐと視線を絡ませたままだ。感情の揺らぎを一切見せないその淡褐色の瞳の奥で、どんな考えを巡らせているのかはわからない。
その細く切れ長の目元に宿る強すぎる意志の力は、全く揺らぐ事がなかった。
「とても勿体ないお話、身に余る光栄でございます。しかし、貴方の求めるべき人材は私ではないでしょう。
私は、己の欲のためだけに知識を欲してまいりました。それは単なる知識であって、真実その一つ一つの場では違えるかもしれません。
私は、この国で恐らく一番貧しい村に生まれ、全て独学で学び続けてきた一庶民なのでございます。貴族世界を
マグナはわずかに頬をゆがめて苦笑した。それは常に強気で自信過多なマグナには似つかわしくなく、穏やかな感情の一旦にはわずかに自虐がのぞいていた。
「実用に足るのは、経験を持ち実際に履行される知識なのです。
私の学んできたことを貴方の世界を広げるために費やせた一時は、実に有意義でございました。ですが、私の智は自己満足でしかない、ただの紙面上の知識に過ぎません。
申し訳ございませんが、貴方の求めるもののためには、到底お役に立つことができないでしょう」
俺はそれを聞いて、少し腹が立ってしまった。
これだけ自分の力で自分の歩む道を切り開いてきて、これだけの知識と能力を自分で得てきていて、それを役に立たないという。
お前の知識が役に立たないなら、足元にも及ばない俺は何なんだよって話だ。
ぐっと眉根に力が籠る。睨みつけるなんて表情を作った事がない俺は、拗ねている程度の緊張感しか
「実用に足る知識を求めるなら、その時はそれが得意な奴に頼ればいいだけの話だろ。マグナが持ってる知識には『知識として』価値があるし、それにかけてはお前以上はいないはずだ。
何よりも、お前が役に立つのは知識だけじゃない。その頭を持ってして、どこまでも俺に言いたい放題言って、あれこれと不足も未熟さも指摘して、俺に目的を叶えさせる力があるじゃないか。
そんなのはマグナだけだと思ったから、交渉してるんだ。お前だけに100%なんて求める訳がないし、もし100%でなければならないなら、それは俺の方なんだからな」
むっとして連ねた言葉は、なんだか感情に任せて先走ってる気がする。
マグナは驚いたように瞬いた。そして顎先に指を這わせてからしばらく考え込んでから、口の端を持ち上げて小さく笑いの音を響かせた。
「そうですか。……私は、考えた事がございませんでした。望まれることも、選ばれることも。全ては、私と世界の戦いだと思っておりましたから。そう仰っていただけたことは、私にとってこれ以上ない好機なのかもしれません」
いつも瞳に映っていた、強すぎるくらいの
「そうであれば、私は全力で貴方のお役に立って見せましょう。新たなる旦那様。貴方の理想のために、私を使いこなしてお見せ下さい」
楽しげにきつく鋭い目を眇める表情は、初めて出会った時よりも幼くすら見える。
俺は思わず呆然とそれを見つめ、徐々に湧き上がった喜びで拳を握って晴れやかに笑った。
「……良かった、嬉しいよ。それじゃお前にもう一つ伝えたい事があるんだ。
カトゥーゼ家の次期相談役として、大学に行かないか?ここから
これは、後だしじゃないと卑怯だろ?
マグナはさっきの俺よりももっと唖然とした顔を見せて、それから柔らかく笑んだ瞳から涙を伝わせた。
「これはもう、全てにおいて私の負けと言わざるを得ませんね」
夢を叶えて、新しい目標を得た元家庭教師は、頬を濡らしたままいつもの不遜な表情に戻って、課題の達成を宣言したのだった。
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