隣人タラストラ
3月の終わり。温暖な気候が長いアトラントではもうすっかり春で、緑に包まれた田舎ののどかな風景は、どこででも花見ができそうなほどの盛りだ。
この春、ユーリの兄であるサラジエート伯爵家嫡男のタラストラ・サラジエートが王都の学園を卒業して領地に戻ってきた。
初めて顔を合わせたのは数日前。冷徹な雰囲気をまとった、ユーリに目元がよく似た彼と出会ってからここ数日、サラジエートとアトラントの街道整備計画は猛スピードで進められている。
タラストラについて知っていたの、はユーリを溺愛する兄で、優秀らしいこと。
現在18歳でユーリとは年が離れていたことと、領地を離れて王都にいたために今まで面識はなくて、そのくらいの情報しかもっていなかった。
学園では埋没した田舎貴族の一人だったという彼の第一印象は、たいした敏腕経営者。これが埋没できるのだから、王都の貴族のスペックがそら恐ろしい。
父と一緒にタラストラとユーリとの会談を申し込まれたのは、学園の卒業式の翌日。即実行といったことろであり、タラストラの性質がうかがえた。
「ご無沙汰しております、カトゥーゼ男爵。それから、ほとんどお初にお目にかかるようなものですね、ウリューエルト殿。ユーリアドラが仲良くしていただいているとうかがっています」
赤茶がかった癖のある金髪に、つり目気味の少し大きな二重。瞳の色はユーリと同じ落ち着いた青で、きつめではあるが冷たく見えない雰囲気の顔つきをしている。
やや細身で中背、いや、この国の大人からしたら少し背丈は低めなくらいだろうか。堂々と伸びた背筋には威圧感はないが、その存在感を小さくは感じない。
愛嬌を感じさせず淡々とした調子で連ねた挨拶は、成長の先が少し高い声音だったようではあるが、大人としての落ち着きを備えていた。
なんというか、隙がない。そつも粗もないというんだろうか。妙に緊張する。
「本日は、街道の開発について有効な情報共有をさせていただこうとお時間をいただいた次第です。どうぞこれ以降もよろしく願えれば、お互いに幸いであると思います」
わずかに覗かせた笑顔は社交辞令。
へりくだるでもなく、俺にだけではなく父とも対等に渡り合っているタラストラに少し気圧されながら、傍らのユーリと目が合うと、彼女は少し誇らしそうに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ウリューエルト殿のご助力で、我が領内の地理を精密に調査していただいたと聞いています。
妹のユーリも着想を得たようですが、我々の領地には活用されていない土地が多くある。そこで、隣国王都に繋がる勝手の良い街道を整備すれば、利用するものは多いのではないかと考えます。
現状の主たる経路では、我が国の王都を立ってから隣国までは複数の領地をまたに迂回に迂回を重ねていますが、この街道が結ばれれば距離も時間も半分程ですむでしょう。
輸送にかかる費用が削減されれば、流通もにぎわう。労力はかかりますが、この地図があれば既に下準備は半分以上終えているも一緒でしょう。
男爵、そしてご助力いただいたウリューエルト殿に賛同いただけたならば、他領への根回しや協力依頼は私が行わせていただきます。父には既に代権は得ています。男爵の考えをお聞かせ願いたい」
父の執務室につくなり、タラストラの
俺がユーリに渡した精密地図の写しに、赤や青のインクで色々と書き込まれたものを示して、アトラントの空白地図とつなぎ合わせる。
アトラント領は空白地図だったが、書き込まれたのは俺とユーリが話していた経路だから、きっとアトラント領内の情報も内密に精査したのだろう。俺とユーリが考えていた以外にも、様々な線が引かれている。
父は俺の顔を見る。俺が頷いて見せると、何となくそれが俺とユーリが進めていた話だと察したようで、うむと一言こぼして頷き返し、それからタラストラに向き直った。
「ウリューエルトが精密地図を作っていたのは知っていたが、サラジエート領までとは思わなかった。領権を侵すようで申し訳ない。だが、それを知った上で
父が神妙に問いかけると、ユーリが微笑んで小さく手を挙げた。
「失礼とは存じておりますが、どうぞ発言をお許しくださいませ」
父が頷くとユーリは立ち上がり丁寧に礼をして口を開く。
「
サラジエート家はリュー様に恩はあれど、咎などございませんわ」
ユーリはまた一礼してソファーへと戻る。俺は見た目通りの年じゃないからあれだけど、ユーリは立ち振舞いにせよ配慮にせよ、一つ年下とは思えない本当に才女だと思う。
父はまた頷いて応えた。ユーリの大人びた言動へと驚きはあったようだが、少し目を見張っただけでそういうものだと受け入れてしまう父の鷹揚さには、いつも感服する。
「そうでしたか。では、アトラントにもその申し出を断る理由はございますまい。
私は情けないことに、そういった根回しや駆け引きができない性質でしてな。サラジエート家に、タラストラ様直々にお任せできるならありがたい」
父は快活に笑って答える。
即決即断。
父に比べてまだ子供と言える年若い実績のない若者に、繕わずに弱点を語り、対等に話を聞く。その話に納得できれば手を取ることにためらわない。その上で、決して領主として無責任ではない。
父の姿は俺には安心できて、格好いい。
「では、これからも良き隣人として、お互いに領地を盛り上げて参りましょう」
タラストラは今度はわずかに頬を緩ませて笑った。
あまり変わらない表情ながら、目元は満足気に笑んでいる。
このタラストラも、年齢や外見に惑わせられない人物のようだ。父と握手を交わした後に、その手は俺の前に差し出される。
「ありがとう、ウリューエルト殿。貴方のお陰で我が領は素晴らしい発展をとげる事ができるだろう」
堅っ苦しく淡々と告げる言葉には、疑いがない。
今後も長く、いずれは隣領の領主同士として関わっていくことになるだろう彼が、裏表ある軽薄な人物でないようなのは良かったと思える。
まだ爵位を継いではいない次期伯爵であるものの、爵位的には格下の俺達をあくまで対等に扱ってくれて、尊重もしてくれる。
「此方こそ、貴方の行動力と手腕に恩恵を授かる身と心得ます。良き隣人としてあれますことを感謝いたします」
差し出された手を握って、俺は精一杯誠実に返事をする。
合わせた視線にはわずかにユーリと同じ好奇心の色が覗いて、小さく吐き出した吐息が満足そうに笑っていた。
「これから私達の構想が叶うのね、リュー様。すごく楽しみですわ」
ユーリはそんな俺達を見ながら、とても嬉しそうに青い瞳を輝かせて、珍しく少女らしい笑顔を浮かべていた。
それからの街道整備は、まさに怒涛だ。
試し彫りからザクザクと質の良い宝石を産み出し続ける鉱山のお陰で資金が潤沢であることもあるだろうが、タラストラが配備した工員に、アトラント領近くから集まってきた人員を加えて、日々新しい道が広がっている。
サラジエート次期領主タラストラ、本当に心強い隣人である。
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