神様の課題
始まりは、ユーリがハルのマナー講義に興味を持ったことだった。
マナー講義と言っても、遊びに来てお茶をしながら所作について習ったり指摘してくれたりの、かなり緩いものだけど。
さすが中央の大貴族の嫡男、ハルの動きはびくびくしていなければ美しく、その整った立ち姿や歩き方、構え方、礼の型までを丁寧に教えてくれた。
その成果が現れたのか、洞察力の優れたユーリがうちに遊びに来た際に気づいて問い、説明すると一緒に習いたいと言い出した。
ハルはユーリとは従姉妹であり、お茶会で良い面識もある。快諾してくれて、3人で会うことも度々になった。
そこに、我が家の家庭教師も参加するようになった。
マグナは最初は自分は庶民だからと辞退したが、ハルが魔法の知識が豊富なマグナと話をしたがり、一度面識を得てしまえば、マグナの知的好奇心は遠慮もわきまえもかなぐり捨てた。
せめてもとお茶やテーブルの用意はしてくれて、その後に席につく。侍従の経験が長いマグナが淹れるお茶はかなりおいしい。
4人で集まりって時にはユーリの噂話を、時にはハルの貴族裏話を、俺の視察結果やマグナの魔法論なんかも、好きに気ままに話し合う。
点と点とだった友達付き合いが、輪になった。
その日は、俺の後ろに自由に神出鬼没するクロノに、ユーリが目敏く気づいて声をかけた。
クロノの存在に興味を引かれていたユーリは、これまでも何度か言葉を交わしたことがあり、顔見知りのような認識だったのだろう。
「あら、ごきげんよう従者様。あなたも一緒にいかがかしら。先生もご一緒しているのですから、あなたも遠慮せずによろしいのではないかと思うの。良い装いをしていらっしゃるし、リュー様のご縁なのでしょう?」
クロノは一瞬びくりと固まって、少しおろおろした。声を掛けられると思っていなかったようだ。
俺の顔を見るクロノに、俺は笑って頷く。クロノが人間を好きなのはよく知っている。
「ありがとう、お邪魔します」
クロノははにかむように笑って、俺の隣に座った。
友達の輪に入れたクロノはとても嬉しそうで、終始にこにこと話を聞き、時には不自然ではない程度の助言(場所が場所なら神託だろう)をし、夕刻が近づいて解散する頃には、もうその輪の一員となっていた。
その気になれば洗練された所作もでき、『神のみぞ知る』ことすらわかるほど誰よりも物知りで、穏やかで優しいクロノは、語り合う仲間としてとても優秀だった。
俺の部屋のソファーで本を読み漁るマグナを自室へ置いたまま、ユーリとハルを
「クロノはさ、なんで実体化したら普通の人間と話せるのに、いつもそうしないんだ?」
転移拠点のある小さな客間で、2人が消えていった空間を見つめているクロノに尋ねる。
「僕は、意識してないとすぐに実体化が解けてしまうんだ。今は見えないときは幻影で人の記憶を曖昧にしてるけれど、うまくいかないとすぐに幽霊騒ぎになってしまう。
今日は大丈夫だったけれど、このくらいの時間が限界かなあ」
クロノが寂しそうに笑う。お茶会の間中に見せていた、生き生きとした嬉しそうな表情が記憶に新しいだけに、その沈痛なさまが痛々しい。
「でも、別に実体化自体は、上限がある魔法じゃないんだろ?」
前にマグナが、歴史書の中に魔法を使って生涯他人とすり代わっていた人物について記載されていたと言っていた。魔力と熟練度があれば、長くの間維持はできるのではないかと。
「ん、そうなのかなあ。でも、僕は目も耳も良いぶん、気が移ろいやすくて。どちらにしても難しそうだよ」
クロノにはいまいち現実感がない話らしい。軽く肩を竦めて首を傾げると、寂しさののこる顔で笑った。
うーん、でも、できるんじゃないかな?
クロノは全ての魔法を無限大に使えるわけだし。
「それじゃさ、折角友達もできたんだから、これから練習したら良いんじゃないか?10年、20年も維持できるようになったら、人間に混じって、人間と変わらない生活ができるだろうし。
神子以外とも話せたら、クロノは寂しくないだろう?
長い時間をもっているクロノから比べたら、瞬きの間の寿命な俺たちだって、今少しでもできることを増やそうとしてるんだから、クロノにだって課題があってもいいはずだ」
全ての歴史の移り変わりすら眺められる時間があるのなら、いつかは出来るようになるんじゃないかな。
規模が大きいとしても、根本的には俺やハルが苦戦しているような、魔法のコントロールの問題なら。
「僕は、人間になれるの?」
呆然としたように、クロノが呟く。
無意識なのだろう、表情の抜け落ちた作り物みたいな綺麗な顔で、目が見開かれて透明な涙がたまり、零れ落ちると共にクロノの瞳の色と同じ淡い水色を帯びた、透き通った宝石へと変わった。
重力に引かれるままにポロポロと落ちた宝石は、床に敷き詰められた赤い絨毯の上で軽く跳ねて長い毛足に埋まる。
宝石を振り撒きながらぱちぱちと瞬きしたクロノが呟く。
「僕にも、人間みたいに泣くことが出来たなんて初めて知った。僕の涙は宝石になるんだね。大昔の僕と同じ、すごく懐かしい色をしている。
ありがとう、一樹。考えたことがなかった。僕、やってみる。皆とも、もっと一緒にいたいから」
お茶会で名乗った、クロノ・ノストイアという名の従者が、この日から仲間として加わった。
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