日課と家庭教師

 朝起きてランニング、家族と朝食を軽めにとって、午前中は剣術や体術を習い、ひと風呂浴びて休憩したら、お茶と軽食を摘まみながら本を読む。


 昼食はだいたい一人か母ととり、午後からは家庭教師。

 来ない日は、図書室や父の執務室で資料を読んだり、クロノやユーリやハルと遊んだり、瞬間移動や仮想体で出掛けたり。人気のない森の奥の湖のほとりで、魔法の練習をしたりもする。


 夕食の席はだいたい家族がそろって、夕食が済めば就寝まではフリータイム。

 アプセルムを眺めに行くこともあるけど、だいたいは日中の記録をまとめたり、気になることを調べたり、HPとMPが尽きるまでレベル上げに費やしたりと、だいたい俺の生活はそんなところだ。


 時間があるって素晴らしい。


 初等教育から学校はあるんだけど、町や村で庶民向けにやっているものか、王都や大都市の中央貴族が集まるような場所にしかない。

 だから、地方の貴族の子供はだいたい家庭教師をつけて必要な教養を身につける。


 ただ、15歳から3年間、王都の王立学園にはほとんどの貴族子女が通うらしい。

 学校を卒業する頃には、もう成年として身を立てなければならないので、顔合わせや縁繋ぎといった意味が大きいようだ。


 その上には一応大学があるが、数はこの国で一つだけ。研究者が通うような施設だ。

 入学時点ですでにこの国で随一くらいのレベルで知識を求められ、通う年数は定められていないものの卒業には一定の成果が必要である。

 かなり厳しい道程であるが、大学を出たものはそれなりに重用される。


 新しい家庭教師は、そんな大学に通う夢をもつ庶民の青年だった。



「お初にお目にかかり恐悦至極でございます、お坊っちゃま。わたくしは、マグナ・エズと申します。

 旦那様のご厚意で、こちらのお屋敷にご厄介になりつつ、お坊っちゃまの家庭教師をさせていただくことになりました。

 時間や頻度につきましては、先任よりうかがい申しております。若輩者ではございますが、お役に立てるよう努めてまいりますので、よろしければご贔屓にしてくださいませ」


 珍しいピンクブロンドの髪を肩上で短く切り揃え、長めの前髪は後れ毛を除いて綺麗に後ろに撫で付けられている。

 眼鏡が似合いそうな一重の切れ長の緑の瞳に、つり上がった細い眉。

 薄く小さな唇が大人になりきれない声でつらつらと流暢に綴るのは、慇懃無礼と言えるほど無感動な挨拶だ。

 無地の白シャツに黒のスラックス、おまけのように首元にワイン色のリボンタイ。優雅な礼をしてみせた細身の身体は、まだ成人には見えない。


「わかった、マグナ。俺のことはリューでいいよ、お坊っちゃまはやめろ恥ずかしいわ。

 優秀な人物と聞いてたけど、随分と若いんだな。マグナは色々な経験があるって聞いてるから、俺も楽しみにしてるよ、よろしくな」


 堅苦しい挨拶を受け流して答えると、マグナはおや、と片眉を上げた。一緒につり上がった片方の口の端は、どうやら楽しそうだ。


「なるほど、よく物事を理解なされる優秀な方のようで、私も楽しみになりました。人の名前は覚えられない性分なのですが、努力させて頂きますよ、リュー様。

 まだ15の若造ではございますが、貴族邸宅の侍従として7年程勤めながら、対価に書庫の閲覧をさせて頂いておりました。お貴族様の家庭教師として通ずるかはわかりませんが、精一杯お役を全うして見せましょう」


 なるほど、どうやらガキにはわからないと思っての慇懃無礼さだったらしい。いい性格だ。

 そして今俺に向けられた視線はどこか値踏みするような、挑戦するような色を含んでいる。自信家で、野心家。そんな印象だ。


「本当に若くて優秀なんだな。前の家庭教師から貴族の初等教育はだいたい習ったんだけど、俺が興味があるのはもっと幅広いんだよな。

 領地経営とか作業の効率化、商業の発展もさせたいし、それには道路の整備だろ。空き地も有効活用させたい。

 周りの領土と対立しないように情報や対話は必要だし、アトラントだけでなく他の地域や中央と渡り合う必要があるから、そのための法学、地理、歴史含めた地域差別的な基礎知識やマナーもいるし。

 あと、自己研鑽的な学習もしたいし、魔法の練習中だから、魔法の勉強もしたい。なんかこう言うと好き放題だな。」


 俺は自分の計画をかいつまんで説明した。

 欲張りすぎだと思うけど、頭のいい人間に計画の見直しや助言をしてもらえるなら大歓迎だ。


 マグナは細い目を更に細め、嗜虐的にも見える酷薄かつ楽しそうな笑みを浮かべた。

 目は獲物を見つけた猛禽類のごとく、全く笑っていない。はっきりいってめちゃくちゃ怖い。


「なるほどなるほど、お坊っちゃまのお考えとしては、この地域の活性化、発展のための具体策と、それがよく遂行できるための知識や能力、他の貴族との軋轢を生まぬための処世術、それから自己の能力向上をご所望されているということでございますね。

 貴族のお坊っちゃまの家庭教師というからには、朝淹れて寝る前に思い出したお茶くらい生ぬるいお仕事ではないかと憂えておりましたが、知識欲旺盛でたいへん結構。

 私、感銘をうけ胸が高鳴っております。貴方の家庭教師をするのが、楽しみでなりません。ともに知性を高められる日々、なんて素晴らしいのでしょう」


 マグナはギラギラした目で射抜くように俺を見て、くつくつと笑った。

 高揚に支配され、恍惚とした熱視線。嗜虐的サディスティックといわずに何というという笑顔だ。またお坊っちゃまと呼ばれたことなんて指摘できる訳もない。


 本を読むために貴族の使用人となり、若くして一人で世を渡り、貴族のコネや財力もないのにいつかは大学に通いたいという知識欲の塊。

 そうだよな、こういうヘンタイ性をもってないとできないわなー。

 でも、多少ヘンタイなだけで、物言いは素直だし、裏で隠謀とかは面倒がってしそうでもない。自分に素直な知識欲の塊に見える。


 俺はひきつる頬をなんとか宥めながら、それでもきっと頼もしい味方になってくれるだろうマグナに引きつった笑いを向けて、片手を差し出した。

 勢いよく掴まれ、握手したマグナの手は熱かった。



 それからというもの、家庭教師の時間帯の鬼畜たるやは言葉に尽くせない。想像以上にハードなバージョンアップである。


 次の時間までの宿題に、平気で領内の小麦の生産高の年次別統計とか出してきやがる。

 しかも、同じ領主館に住んでいるものだから、図書館で出くわしたり、空いた時間に自分の研究や興味深い事なんかを話しに来たりもする。


 俺の知力のステータスはぐんと上がり、代償として体力は常に全快できない事態になったが、収穫も大きいのだからよかったことにしておこうと思う。

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