情報屋、ユーリ

 このエリストラーダ王国は、かなり広大である。

 地方の領地は特に広く、隙間の小領地は例外だけど、領主はだいたい伯爵以上の貴族が任命されている。


 カトゥーゼ男爵家はアトラント伯爵家の代理で領主になったから、周囲の領主達より爵位が低い。

 エリストラーダはあくまで王国であり、各家は永代領主であるわけではないのだが、地方は初代領主の名を戴いた地名と現代領主の地名がほとんど等しい、地域の主だ。

 中央の要地ほど領主の移り変わりは激しく、その中でも揺るがない大貴族以外は常に左遷の脅威と戦っているらしい。


 中央貴族にとっては王家の歓心を買うことが全てで、地方貴族は中枢政治と関わらないとるに足りない閑職、食料庫の管理人くらいの認識である。

 よくて財源として利用するくらいの価値しかないと本気で考えているようだ。世の中、食うに足りてから初めて文化があるんだけどな。


 ちなみに爵位については、王家ゆかりの公爵。大貴族の侯爵、伯爵。要所の軍備を持つ辺境伯。下級貴族とみなされる子爵、男爵。かろうじて貴族と認識される準男爵と一代名誉貴族。

 名誉貴族はその重要性によって扱いは様々だが、貴族としては最弱で末端である。


 中央の発達した町並みでは、各地に移動拠点ワープポイントが設置されているのだが、残念ながら地方にはあまりない。

 複雑な魔方陣が礎に組み込まれている移動拠点は、相互から移動の意思を示して初めて起動する装置である。誰でもいつでも簡単に使えないのは、防犯のためらしい。

 そんな移動拠点であるが、各領主館には設置されている。

 つまり、なんと、我が家にはあるのだ。最低限の人ひとり用の大きさだが、領主が王家の召集に応じるためには必要十分だ。



 移動拠点を使って、我が家に時々遊びに来るようになった人物がいる。

 1つ年下のユーリアドラ・サラジエート伯爵令嬢である。

 まだ5歳であるユーリであるが、数ヵ月前に初めてお茶会で出会って、すぐに意気投合し、ユーリ、リュー様と呼び合う仲になった。


 リューという略称を提案したのは俺だが、令嬢として様付けは譲れないというのはユーリの信念だ。

 ユーリはとても賢く、頭の回転が速い。学問的な無駄もある知性ではなく、観察力と機知で敏く周囲を掌握する賢さをもっている。

 サラジエート伯爵家嫡男はちょうど王都の学校に通っており、仲の良い兄妹であるらしいユーリは中央の噂話も豊富に知っている。俺にとっては貴重な情報源である。



 移動拠点前で迎える俺に、現れたユーリは兄と同じ赤銅色の柔らかに波打つ髪を肩まで揺らし、考えの読みにくい少しつり上がった深い青の瞳で俺を静かに見すえて、水色の飾りの少ない、けれども銀糸で控え目な刺繍が施された質の良さそうなドレスをしずしずとゆらめかせて俺の前へとやってきた。


「リュー様、ごきげんよろしゅう。先日はうちの不心得な兄上がご迷惑をかけました」

 小さな手足で淑女の礼を真似て、幼い声で静謐とユーリが話す。淑女に見えてしまう早熟さがあった。


「いらっしゃい、ユーリ。フレイアートはちょっとは反省したのか?」

 俺はユーリに歩みより片手を差し出しエスコートする。

 一応紳士を目指さなきゃならないからな。気安い口調なのは、まあ今更だ。


 苦笑で応えたユーリは俺の馴れ馴れしさを気にした様子はなく、俺が差し出した手を握って小さく微笑んだ。

 手を重ねる礼節的な形では幼い俺達はバランスを崩すだけで、本末転倒になってしまう。だから俺は礼節が優先でない相手のエスコートでは手を握っている。

 もちろん了承はとってるぞ。


 ユーリを引き連れて、俺は来賓向けのホールや貴賓室がある一階の広い吹き抜けのエントランス脇の階段を登り、二階の自分の部屋の近く、テラスのある小さめの客室へと歩みを進めた。

 小さくても令嬢を自室に招くのは良くないとされる。

 あんな無駄に広い、寝室が別室なのに学校の教室くらいある開放的な自室では、お年頃になって例え目の前にいるのがグラビアアドルでもいかがわしい気分になんかなれるわけないとも思ってるんだが。


 室内ではメイドがテーブルにお茶の用意を済ませており、いつの間にか後ろに現れていたクロノが侍従のフリで扉を閉めた。本当に神出鬼没である。

 テーブルまでユーリをエスコートして、メイドが引いた椅子に座るのを手を引っ張って助ける。クッションの厚みで高さが底上げされた椅子は、座る時だけは一苦労だ。


 向かいの椅子に座って、メイドが差し出したお茶をひと口飲み、令嬢らしく優雅にカップを持ち上げるユーリへと話しかける。


「ハルイルトは告げ口しないって言ってくれたけど、ユーリの母上はなんか言ってた?やっぱりソズゴン侯爵には知られたくないよな」


 ユーリは口をつけたカップを音もなくソーサーに戻して深くため息をついた。

「その辺は大丈夫そう。お母様が内々に侯爵婦人に謝罪して、お咎めはなし。

何より侯爵婦人は、気弱で引きこもりの嫡男様にお友達ができて喜んでいるらしいわ。さすがリュー様ね。うちの次男はんにんとは大違いよ」


 ため息をこぼして、ユーリが嘆く。

 フレイアートは根っからの悪人ではなく、どちらかと言えば無鉄砲でお調子者の悪戯っ子だ。

 可愛がられているユーリには、完全に嫌いきれないが故の気苦労があるらしい。


「でも、リュー様をライバル視して、勉強や鍛練を真面目にするようになったわ。ついでに軽々しい脳みそも鍛えられないかしら」

 やれやれと肩を竦めた憂鬱そうなユーリと、しばらく世間話をして過ごした。ユーリにとって俺は、少し世間知らずだが頼れる兄貴分であるようだ。



 ユーリとお喋りに時間を費やした後、俺はユーリを転移拠点までエスコートした。

 お茶をしている間にも自由に出現したり消えたりしていたクロノが立っていた場所を振り返り、ユーリは小さく首を傾げた。


「そういえば、リュー様の従者はたいへん美しい方だけど、いつも一緒ではないのね。まだ子供だからかしら」

 やはり神出鬼没な事は疑問に思わないようだが、クロノの存在は認識しているのか。


「まあ、あいつは従者もどきだからな。自由なんだよ。でも、ユーリが仲良くしてくれたら喜ぶと思うから、今度は一緒にお茶をしよう」

 気配を消してすぐ後ろに現れたクロノの耳がピンと動いた。軽く目を見開いてユーリの顔を見ている。


「そうね、お話してみたいわ。リュー様、よろしくお願いします」

 ユーリが笑顔で答えると、クロノはちょっとそわそわとしながら、困惑と喜びの混じった笑みを浮かべた。

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