お茶会と侯爵令息 2

 俺は、灌木の垣根の隙間を潜り、膝下まである芝と草花を踏みしめて、その先の大きな木の下で小さな子供に詰め寄る集団へと近づいた。


 木の幹を背に囲まれた小さな子供はとても気弱そうで、涙目で俯いて耐えるように高級そうなレースのついたシャツの裾を引っ張っている。

 詰め寄るフレイアートは無敵にでもなったつもりなんだろう、赤銅色の癖っ毛を振り回し、年相応より発達のいい身体をふんぞり返らせて、適当な言葉で小さな身体を更に縮こまらせている相手をバカにし、周囲の取り巻きたちに同意を求めては嘲笑している。

 本当にしょーもないバカだ。

 でも、今にも泣きそうなその子には見覚えがない。


 ……見覚えがない?いや、今日のお茶会一番で本の少しだけ見たはずだ、お前、なんてものいじめてるんだよ!


 俺は思わず走りよりながら、大声を出した。

「おい、お前なんてことしてるんだよ!」

 お互いに体格が良い俺たちは、対峙すると1つ年上のフレイアートの方が少しだけ背が高く、俺の方ががっしりとしている。

 日頃の鍛練の成果で発達した筋肉と、日に焼けて健康そうな肌の色は到底軟弱には見えず、こちらを向いたフレイアートは怯んだ。


「なんだ、弱小男爵の息子が俺に何の文句があるんだよ。お前ごときが俺と口を聞けるなんて思うなよ?」

 少し舌をもつれさせながら、威厳を保とうと胸を張りフレイアートがふんと鼻をならす。

 どこかわざとらしい仕草をしながらも、灰色がかったブルーの瞳の視点は、少しうろうろと泳いでいる。こいつ、ビビってんのか。中身は小心者なのか。


「文句を言いたいのは俺じゃなくてユーリらしいぞ?

今日の主賓を拐っていじめてるようなバカに、ユーリが話したいことがあるらしいから、とっととユーリのところに行ってやれ」

 呆れ半分に苛立ち半分の声音で眉根を寄せて言い返すと、一帯が凍った。

 明らかに、えっ?て顔にかいてあるぞお前ら。知らない相手を囲んでいじめてたのか。


 一度俯いたままの小さな子供、侯爵令息を見て、再び俺を見て、ついでに俺がバカに対して怒ってるのを再認識して、フレイアートは逃げ出した。

 捨て台詞はでてこなかったのだろう、素直に「わかったー!」と叫びながら。

 その後を、置いていかれた悪ガキ令息たちが必死に追いかける。どこかコミカルな景色だった。


 ため息をついて去っていく背中を見つめ、俺は俯いたままの侯爵令息に近づいた。

 見下ろすような小柄で細い、幾つか年下みたいな見た目でも、実は俺より1つ年上、フレイアートと同い年である。

 銀色のサラサラとした髪は肩辺りで緩く結わえられ、怯えを残したまま涙の溜まった綺麗な薄紫色の瞳で俺を見あげる。

 上質な白シャツにはフリルだけではなく銀糸の刺繍、その上の黒のベストと上着は見るからに極上の布地で作られており、膝下の半ズボンまでに揃えて金糸と紫で模様がいれられている。

 わずかに出ている肌は青白いほど透明で、可憐な少女の人形のようだ。


 震える侯爵令息に、俺は声をかけた。

「大丈夫か?」

 侯爵令息は泣きそうな瞳の上で眉をぎゅっと切なげに歪め、もじもじと膝を擦り合わせながら、小さな小さな震える涙声で呟いた。


「……………トイレ…っ…」


 ―――――なんですって?何と言いまして?


 いやもう理解したよ、その心底切羽詰まったお姿はそういうことなんだろ。

 あのバカたち本当になにしてくれてんの?こんな田舎で侯爵の息子がいじめられたあげく恥をかかされたなんて事になったら、お前の領地の存続にまで関わるぞ?


 頭の中は大忙しである。だが、確実に時間がない。


「そうか、わかった、お前ならできる、頑張れるはずだ。あと3分、いいや、2分でいいから耐えきってくれ。必ず俺が助けてやる。お前ならできるはずだ、きっとやりぬける」


 俺は大混乱をよくわからない励ましに換えて暗示のように唱えながら、侯爵令息を抱き上げた。有無を言わせぬお姫様抱っこである。

 タイムオーバーの際はもれなく俺も大惨事だが仕方ない。やらねばならない時もあるのだ、お互いの為に。


 この館の図面は頭にある。目指すゴールも把握している。

 一歩二歩、駆け出す。

 いくら背が伸びたといっても、子供の歩幅は短い。

 三歩四歩……そうだ、閃いた!こういうときのための瞬間移動ワープだ!!!


 次の瞬間、俺は目的地トイレへと飛んだ。侯爵令息を床に下ろし、ついでに脱ぎにくそうな洋服も一瞬で瞬間移動させ、驚く全裸の侯爵令息に手渡して扉の外に出る。


 ――――――――ゴォォォォォオル!!!


 俺、空間魔法が使えてよかった。



 不器用に洋服を身につけてトイレから出てきた侯爵令息は、頬を赤らめてもじもじとお礼を言った。

 乱れた服装を整えてやり、魔法の事を聞かれて話しているうちに打ち解けてきて、怯えた小動物みたいな気配はみられなくなったけど、基本的には内気で人見知りで気が小さい性格は見た目通りのようだ。

 侯爵令息、ハルイルト・ソズゴンは可愛らしい顔で俺の魔法に興奮し、尊敬の眼差しを向けてきた。

 なんだかその眼に、妙な熱が交じってる気がするのは………気のせいだよな?


 こうして、俺とハルイルトは友達になったのだった。



 ちなみにお茶会のあとで。

 ユーリアドラの立ち会いのもと、フレイアートに正座させて小一時間説教しといた。

 バカみたいなことをしでかして、自分の親の爵位や領地、もしかしたらこの近隣領にまで罪が問われることになったかもしれないんだぞ、と凄んだら、青ざめて半泣きになっていた。

 それでも説教されたことに悔しげに俺を睨み付け、涙目でしびれた足をふらふらともつれさせながら逃げていくフレイアートには、やはり置き台詞はなかった。


「ほんと、アホな兄上でいやになっちゃうわ。少しは懲りて欲しいのだけど。今日はありがとう、リュー様」

 おませなユーリはやれやれと肩を竦めてため息をついていた。

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