花束と兄弟

 その日はなんだか、朝から慌ただしい空気が漂っていた。


 普段はこの広すぎる屋敷を埃ひとつ見逃さないようにと、脇目もふらずに掃除をしているメイド達が、廊下をあちこちと落ち着かない様子で歩いていたり、急いで駆けつけた馬車へと小走りで迎えをやっていたり。

 父も母も朝食の席には現れず、普段より心持ち少ないメイドたちに世話をやかれる。そのメイドたちも、平静を装ってはいるがどこか浮き足立っている。


 何かあったのか尋ねると、『もうすぐお兄様になるのですよ』と教えられた。

 そうか、なるほど。だから皆落ち着かずに、母の様子をうかがっているのか。


 元世界では、昔はお産はかなり命がけで、新生児の死亡率も高かったという。

 お七夜だとか、百日祝いだとか、七五三だとか、子供の成長を折々でお祝いするのは、それだけ元気に成長するのが難しかったからだって聞いたことがある。

 衛生文化が根付いて、細菌学が発展して感染症が治療できるようになり、お産そのものもだけど、産褥期だとか産前からの管理だとかにまで医療が発展して、掌に乗るくらいの胎児が保育器の中で育つような奇跡を起こせるほどになっても、やっぱりお産は命がけな面があるという。


 この世界ではどうなのだろう。科学的な医療水準は高いように見えないけど、魔法は何をどこまで補ってくれるのだろうか。むしろ魔法の方が万能で、もっと危険を取り払ってくれるんだろうか。


 メイドに母の様子を尋ねてみると、大丈夫ですよ、と宥められた。

 今のところ調子が悪い訳ではなく、まだもう少し時間がかかりそうらしい。だけど、知ってしまうと伝染したみたいに俺もそわそわしてしまう。

 産気づいた淑女には医者や産婆や使用人くらいしか会えないらしく、仕方ないから日課となった勉強や鍛練をこなそうとしたが、なんだか落ち着かず身が入らなかった。



 庭先で剣術の先生と別れて、館の入口へと向かう際、片隅で咲く草花が目についた。

 たんぽぽくらいの丈で、ガーベラのように小さな花弁がたくさんの、白や淡いピンクの花。他の草に混じり疎らに庭の隅に咲く姿は、どうやら植えている訳ではないようだ。

 生命力に溢れて、暑い夏の日差しを受けて、今まさに咲き誇る花。

 ひとつ、ふたつ、手慰みに手折る。いつつ、むっつ、数が増えると掌の内で小さなブーケができあがった。


 ……差し入れくらいなら、してもいいだろうか。


 部屋に戻ると空色の薄いハンカチをリボンがわりにして花を束ね、使い慣れた高い机の上でカードを書く。

『母上も、きょうだいも、元気でいてくれますように。』

 子供らしいとはいえない繊細で整った文字は味気ないかもしれないし、陣痛の最中の母は今それどころじゃないかもしれない。

 こんなことをしているのが照れくさくもある。何の役にも立たないってこともわかってる。

 だけど、応援してるんだって知ってほしくて、花束とカードをメイドに託した。



 慌ただしさは日が暮れる頃まで続き、一人寂しく夕食を取ったあとに、母の部屋に呼ばれた。


 母のベッドで隣に横たわっていたのは、小さな小さな光輝く赤ちゃんだった。

 俺や母よりも少し色濃い金の髪はふわふわの産毛みたいで、閉じたままの瞳の色はわからない。肌は白く、それが元気の良さそうな血色であからんでいる。

 そしてなぜか、やっぱり、物理的に輝いているように見えるんだけど?キラキラ光の粒子がまとわりついて、そこだけ明るいっていうか。

 無事に産まれてきたっていう安堵と、兄弟に出会えた喜びや感動でいっぱいなんだけど、光ってるのだけが気になる。すごく気になる。


 母のベッドの傍らで赤ちゃんの顔を覗いていると、母は疲れた様子もなく俺を撫でた。


「ありがとう。ウリューエルトが応援してくれたから、元気な弟が産まれたわ」

 嬉しそうに笑みを浮かべて、俺と赤ちゃん、…弟を見つめる。

「キラキラして綺麗だわ。貴方の産まれたときにそっくり。ウリューエルトも皆がびっくりするくらい輝いてたのよ」


 ………確かに母は、俺が産まれたときに周りが全て輝いていた、みたいなことを言っていた。

 てっきりメルヘンな親馬鹿なんだと思ってたけど、まさか物理的に新生児が光り輝くなんて。ファンタジー世界おそるべし。


 いつの間にか隣にいた同い年の姿のクロノが、口を開く。母にはその存在が見えていないみたいだ。

「あの光はね、幼い魂が、まだ自分の範囲がわからなくて、制御できずに魔力を放出しているんだ。強く輝いてるっていうのは、それだけ魔力をたくさん秘めてるってことだよ」


 納得行く答えをクロノがくれる。母に不審がられたらまずいから、俺は振り返らずに頷く。


「神様に、お礼を言わなくちゃね。こんなに可愛い子供たちを、私に与えてくれて。母さまはとても幸せだわ」

 ベッドに横たわったまま、母は俺と弟を交互に撫でる。隣で聞いていた神様は、母に負けないくらい幸せそうに微笑んだ。


「他でもない一樹の願いなのに、叶えないわけはないよ。この子に祝福を授けよう。強く、たくましく、堂々と咲き誇る、優しい子になるように。この花束みたいにね」


 ベッドの脇のテーブルには、俺が贈った花束が淡く輝き揺れていた。

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