クロノの世界

「久しぶりだね、一樹」


 ニコとの記憶を思い返していると、柔和な少年の声がした。心底ほっとするような、優しくて温かい、大人になりきるよりちょっと前の高さの残る柔らかな声。

 暗闇に浮かぶ銀色の滑らかな髪。煌めく生成りの絹のローブを纏った細身の白い肌に、明るい湖か浅瀬の川に陽が射したみたいな澄んだ水色の瞳。美しい神様は、嬉しそうに薄く色付いた頬を緩めて、ただでさえキラキラした瞳を更に輝かせて俺を見てる。


「思い出したみたいだね。ちょっと早かったし、君の身体が受け止めきれなくてダウンしちゃったみたいだけど。やっぱり僕のせいかなあ?一樹に会いたくて旅芸人に紛れ込んじゃったから」


 クロノはばつが悪そうにへらりと笑みをはりつけて上目遣いにこちらを伺う。


「時々ね、君を見にはきてたんだ。僕は眼も耳もいいし、どこにいても見ようとして見られないものも聞こうとして聞こえないこともないんだけれど、意識を向けない限りはわからないようにしているから。君に危機的な何かあればわかるようにはしてるけどね」


 お喋り好きの、人間大好きの、お人好しの神様。時々夢で会っていたけど、こんなにも身近にしっかりと感じられたことはなかった。


「もっと早くに記憶を戻しても良かったのだけど、自我が芽生える前の幼子に情報をねじ込むのも可哀想だし、僕だっていっぱい待ったんだよ。あ、この世界では僕はちゃんとした神だから、脳細胞が過負荷で壊れても治せるんだけどね。でも壊しても治したらいいとかさすがにね」


 なんだか不穏な神様らしい事を口走るクロノに、まずはそれ以前にツッコまずにはいられない。


「クロノ…お前の世界って乙女ゲームだったのかよ!!」


 しかも、何で弱小モブ男転生したんですかね、俺。多分、神様の寵児的なポジションなんだろ?なのに?



 クロノは、笑った。

 綺麗な顔を、くだらないギャグで全力で笑う小学生みたいにぐちゃぐちゃにして。なんて顔面の無駄遣いだ。


 思わず真顔で見つめる俺に、クロノは目尻の涙を指先で拭いながら悪戯めいたにやにやした笑みを浮かべて返す。


「そうだよ。正確には乙女ゲームの世界っていうよりは、あのゲームがこの世界の一部を覗き見て切り取って、ついでに乙女の願望を付け加えて返してきた感じなんだけど。実際未来にあの時空は存在するんだ。

 君が今の君になったのは、だってどう考えたって率先して魔物と戦って英雄になりたそうでもないし、王様したいとかもなさそうだし、一樹の好きに生きられそうかなって。

 あと、ニコちゃんが夢見てた攻略対象かれらの中の誰かに生まれて、面影なくなったら嘆かれるなって思って」


 あれ、思っただけで聞かれてる系だこれ。当たり前か、俺、今生身じゃなさそうだもんな。

 確かに、率先してバトルジャンキーになりたくはないし、権力の中枢とかストレスで禿げる自信がある。


 それに、攻略対象だ。ニコが楽しそうにやってたゲームを、俺は見ていた。ニコが楽しそうだったから、それを共有したくて見ていた。ニコが嬉しそうに話すのを聞いていた。

 心底言いたかった。『こんな男はいない』と。いくらイケメンでも高位貴族でも宰相の息子でも、恋愛至上で好感度で人の扱いの違いすぎる、権力行使も辞さない、歯の浮くような台詞と思わせ振りな態度、頭いい設定なのにネジが何本か溺愛に溶かされてゆるっゆるの、あんな男が実際にいたら嫌だろうと。


 そうか、いるのか未来に……俺がゲームのモブに生まれたんだから、将来出会うのかあれに…。


 と、いうかだ。いくら自由度高くてもお偉いさんに顎で使われて、名前も覚えてもらってないのに(という描写があった気がする)、使われましたって喜んでるモブとか嫌すぎる。

 そういうところが残念で、田舎の下級貴族でしかないんだろうけど。取り巻きにすらなれてないっていう。


 俺、あの立ち位置なの?やばくね?

 自由どころかこのままじゃ使いっぱしらされるだけの未来しか見えないけど。なんかお先真っ暗な想像しかないんだけど。その先も。

 これは、マジで最初から破滅フラグってやつじゃん。なにもしてない未来が破滅的!!



 頭を抱えたい俺にクロノが笑った。

「一樹のしたいようにしたらいいんだよ。一樹は僕の神子だからね」

 神様の加護はまだ活きてるらしい。しかしまあ、なんとも難易度の高い転生をしたものか。


 なんとかしよう、なんとか。ウリューエルト5歳の決断だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る