突入

「もう一回ムラサキの家に行こう」ケイ君は僕達の顔を1人づつ見て言った。あっくんとヤーさんは無言で頷いてケイ君の提案に同意したが、僕は少しだけためらった。嫌な予感がした僕は目を伏せてムラサキの事を考える。彼女はいまどうしているのだろう?


「大ちゃん?」と誰かが言った。


 僕がゆっくり顔を上げると、そこには親友3人が居る。

 あっくんとヤーさんとケイ君は僕の顔を伺い、一斉に向けられた3人の眼差しが何を期待しているのかも解っている。


「行こう」と僕は短く返した。皆に返事をしたと言うよりは、自分に言い聞かせたのだ。


「ほな、今から行くけ?」あっくんは気合の入った声で言った。さっきは全く喋らなかった彼だが、次は頼りになりそうな雰囲気が漂っている。


「今日はやめて明日にしよう」とケイ君は言った。そろそろ門限も近づいて来ているし、冬の空は既に夜の匂いを醸し出している。夜は子供に不利で大人に有利だ。


「なんでや?」

「今から行っても警戒されるやろうし、話がまともに出来るとは思われへん。明日、改めて行こう。もっと日が高い内に行けば向こうもシラフかもしやんし」

「ほんなら、明日の何時頃にしまんの?」

「11時にここ集合でどやろか?」


 僕達はケイ君の提案に肯定の返事をして、今日はそのまま帰る事にした。僕は7棟の屋上を戸締りしてから家に帰り、ムラサキの親父に蹴られた時にぶつけた尾骶骨と、何処に居るのか解らないムラサキを気にしながら、もどかしい残りの1日を過ごした。




「おはよう」ケイ君は広場のベンチに座りながら僕に言った。快眠とは言えない夜を過ごし、集合時間の15分前に到着したのだが、どうやら僕が一番遅かったらしい。僕が遅いというよりは皆が早すぎるのだ。


「ごめんな。ちょっと早く着き過ぎたかな?」と僕は言って皆の顔を見た。明るいとは言えないが暗いとも言えない皆の顔付きは、冬の嫌な所が詰まった今日の天気と同じだ。僕は薄暗くて冷たい空気を感じた。


「もうちょっと早かったら許さん所やで」あっくんはそう言って僕に拳を差し出した。僕はあっくんとグータッチをし、昨日と同じ格好をしたヤーさんとグータッチし、最後にケイ君とグータッチした。


「ほな」ケイ君はベンチから立ち上がりながら言った。「ちょっと早いかもしれやんけど、ここ居っても寒いだけやし今から行こか」


 僕達は足速にムラサキの家へと向かい、昨日と同じようにケイ君がインターホンを押した。僕にはベルの音がリングに鳴り響くゴングのように聞こえる。試合が始まる合図だ。


 ケイ君が7ラウンド目のゴングを鳴らしたと同時に、あっくんは弱気な右ノックを扉に2回かまし、軽い音がムラサキの家に響いた。


 僕達が顔を見合わせて首を傾げていると、ようやく鉄の扉が男によって開けられた。前回のように勢いと怒りに任せた開き方ではなかったので、理性を保った人間の登場を期待したが、扉を開けた張本人は前回と同じだった。


「またお前らか」男はあくびをしながら言った。それだけを僕達に言い残して扉を閉めようとしたので、僕は扉が閉まるギリギリで右足を玄関にすり込ませ、扉が閉まるのを阻止した。僕の行動を皮切りに皆も扉の隙間に手を入れ、ヤーさんは皆の足や手が怪我しないように、窓格子に掛かっていた紫色の傘を玄関に差し込んで梃子の原理を利用した。


 ようやく目を覚ましたかのような男は、扉を目一杯の力で内側に引きながら、威嚇するように「やめろクソガキ」と力んだ声を出した。


「おい巨人」あっくんは少し開いた扉の隙間から、家の中に向かって叫んだ。「俺と大ちゃんとケイ君とヤーさんが来たで」


 男と僕達の力は拮抗しあって扉は動かず、15センチくらい開いたままだ。少しでも気を許すと扉は内側に閉まり、僕の足と皆の指がへし折れるだろう。ヤーさんが持っている傘が折れてしまえば、指や足の骨が折れてしまうと考えれば怖かったし、現に紫色の傘はすぐにでも折れそうな雰囲気だ。


「ムラサキぃいいいいいいい」僕は力を込めながら叫んだ。ケイ君も僕と同じよに叫び、ヤーさんは声にならない唸りを口から出した。


 体感では何時間もドアの引き合いをしていたが、実際には数十秒で決着がついた。扉は僕達の方向に勢いよく開いて、まるで綱引きをしていたかのように外の廊下に倒れ込んだ。僕は昨日と同じ尾骶骨を打ち、あっくんとケイ君とヤーさんも同じように尻餅をついた。男は前のめりに倒れて膝をついてへたり込んでいたが、すぐに立ち上がろうとした。


 廊下に面した格子付きの磨りガラス窓に人影があり、あっくんは「あっ」と素っ頓狂な声を出した。どうやら彼も僕と同じ影を見たらしい。


 僕は痛む尾骶骨を忘れて男よりも早く立ち上がり、開いた玄関ドアに向かって走った。僕に続いて皆が突入しようとしたが、あっくん以外は男によって阻まれた。玄関を越えた先の廊下で僕が振り返ると、あっくんだけが直ぐ後ろに居て、ケイ君とヤーさんは男と組んず解れつ争っている。


 ケイ君とヤーさんに加勢するか逡巡していると、ケイ君は「ムラサキ頼んだ」と男を抑えながら言った。あっくんと僕は顔を見合って頷き、土足のまま家の中へと進んだ。

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