邪険
職員室の扉を開けると暖かい空気とコーヒーの香りが押し寄せ、僕達のような子供の立ち入りを禁じる雰囲気を感じさせた。僕は皆の先頭に立って、職員室への一歩を踏み入れる。
「失礼します」と僕は言ったが、職員室に居る教員達は僕達を一瞥するだけで、全く関心を示そうとはしない。
あっくんが小声で「先生の席はどこなんやろか?」と僕に尋ねてきたが、先生に席があるのかすら判然としない。そんな中、マイマイだけが堂々と一直線に歩き出したので、僕達は彼女の後に付いて行った。
「なんだ?」教師は車の雑誌を見ながら言った。横柄に椅子を座る先生の姿は、人格者としての威厳や品性に欠けている。彼は似合っていない真っ赤なジャージの上下を着て、いかにも熱血な教師を演じているのだ。真っ赤な格好をした腹黒い奴だ。
「あの」とマイマイが小さな声で言うと、それを遮るような声で「えっ、なに?」と教師は大声で被せた。マイマイは驚きで体をびくつかせ、教師に萎縮して言葉を詰まらせた。
「ムラサキはなんで休んでいるんですか?」と僕が代わりに尋ねた。
「お前がそれを知ってどうするんだ?」
「気になったんで聞きにきただけです」
「風邪だ風邪。俺は忙しい。もういいだろ?」
教師に軽くあしらわれた事に納得が出来ず、僕は「大丈夫なのですかね?」とだけ念を押して尋ねると、彼は大きな溜息を吐いた。教師が吐く隠す気のない溜息は、相手に聞かす為に行っているのだ。呆れているだとか面倒がっていると悟らせようとしているらしいが、演技じみた動作は子供じみていて滑稽だ。
「なぁ」教師はそう言って雑誌を閉じ、初めて僕達に向き合った。「山内は人の心配をしている余裕はあるのか?」
僕はムラサキが大丈夫なのかを聞いたのに、どうしてこんなにも頓珍漢な回答が返ってくるのだろう。
教師という人間は周りから「先生」だなんて呼ばれるせいで、本当に自分が賢くなったと勘違いをする。賢くて社会的地位があって周りから慕われていると思い込み、ゴミのようなホコリだけが肥大する。プライドが高くなれば自分の間違いを認められなくなるし、相手の意見や話は聞けなくなる。賢い自分が考える意見にこそ価値があると信じこむのだ。きっと、この教師は自分が頓珍漢な事を言っているのに気付いていないのだろう。
「ムラサキはただの風邪という事で大丈夫ですか?」
「お前は頭だけじゃなくて耳も悪いのか? 俺がお前に聞いているんだ。お前は、他人の、心配を、している、場合か、ってな?」
確かに僕は頭も耳も良くはないが、教師に至っては頭と耳に加えて性格も悪いのだ。あっくんかマイマイのどちらかが、無言で後ろから僕の服を引っ張っり、もうよして帰ろうという合図を送った。確かにこの教師と話をしていても意味は無いだろう。
「すんませんでした」と僕が言うと、教師は手にしていた雑誌で僕の頭を軽く叩いた。僕の大人びた対応が気に食わなかったのか、頭に虫でも止まっていたのだろう。
「もう一回聞くぞ。お前は他人の心配をしている場合なのか?」教師は僕の頭を何度も雑誌で軽く叩いた。どうやら僕を馬鹿にしたいだけらしい。「宿題は何度言ってもやってこないし、クラスでは問題ばっかり起こす。授業を真面目に受けないから、当然テストの点も低い。もっとしっかりしないと、中学生になったら周りから置いていかれるぞ」
僕が今まで出会ってきた教師は皆が加虐嗜好の持ち主だった。気に入らない生徒を馬鹿にして、様々な方法で虐めようとする。この教師だってサディスティクだし、僕は大概の教師から嫌われる性格だ。僕だって先生と呼ばれる人間を嫌っているのだから、向こう側も同じ思いなのは仕方ない訳だが、こうして反撃も出来ない相手に嫌がらせ行為をするのは間違っている筈だ。
「頭叩くんをやめてもらえますか?」
「やめて欲しいなら少しは自分の事をちゃんとしろ。他人の心配が出来るほど立派になれ。お前は他人を心配している場合じゃないぞ。先生はなぁ、お前を心配して言っているんだぞ」
「先生は他人の事を心配できるくらい立派なんですね」と僕は皮肉を言った。「それに、先生は僕を自分の心配しかしない人間に教育するつもりですか? 他人の心配をしただけで、どうして僕が説教をされてるんかが解りません。先生は僕が気に食わへんから、こうやって難癖をつけてるんではありませんか?」
教師の顔付きが明らかに変貌した。暴力で物事を解決させる人間の目は、優しさや温かみが失われて鋭く冷たい。教師は僕の頭を軽く叩いていたのをやめて、手にしている雑誌を乱暴な動作で机に置いた。
「ほな」あっくんはそう言って僕と教師の間に割り込むように入り込んだ。「ムラサキはただの風邪らしいし、そろそろ俺達はお暇させて頂きますね」
教師は割り込んできたあっくんを横へ突き飛ばし、椅子から立ち上がって僕を物理的にも見下ろした。彼が座っていた安っぽい椅子は甲高い音を立てて悲鳴を上げ、これから起こるであろう出来事を非難している。怒られる前に避難をしようと思ったが、教師はそれよりも早く僕に制裁を加えた。簡易的で強力な拳による制裁だ。
鈍い音が僕の頭蓋骨から伝導されて足の末節骨まで伝わり、熱を帯びた痛みは脳を震わせる。
「大人を舐めるのも大概にしろ」
教師はそう言ってもう一発の拳骨を食らわそうとしたので、僕は必死で頭を守った。教師は攻撃のタイミングをずらし、僕のガラ空きになった腹を殴るフェイントをした後、しっかりと一撃目と同じ場所を殴った。きっと2段重ねのアイスクリームみたいなたんこぶが出来るだろう。
「謝罪は?」と教師は重々しく言った。声質は重くても中身が軽いのは解っているので、僕も同じように重々しく軽い謝罪の言葉を口にした。
「お前らも同じだ」教師は雑誌を再び手に取り、あっくんとマイマイの頭を力強く叩いた。「人の心配をする前に自分の心配をしろ。先生に迷惑を掛けるな。大人の言う事を聞け。そして他人を馬鹿にするな。解ったらとっとと帰れ。下校時間だ」
僕達は教師に謝りながら逃げるようにして職員室を後にした。脱兎のようだったと噂されても可笑しくない動作で、とっととトコトコと逃げ去った。
「まぁ、ムラサキはただの風邪みたいやし良かったやん」あっくんは歩きながら言った。「ムラサキならふてこい顔してそのうち学校に来よるやろ。俺からすれば、なんで大ちゃんがそんな心配してんのか謎やわ。たった2日休んだくらいで」
僕が黙っているとマイマイが「明日にはきっとくるよ」と言った。僕は2人を見て黙って頷き、冷えた空気で疼く頭を抑えながら「うまえもんでもしばきに行こか」と言った。
「ついさっき先生にしばかれとった奴がなに言うとるねん」あっくんがそう言うと僕とマイマイは笑った。「しゃーないから、ざんない大ちゃんにたこせん奢ったるわ」
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