険悪

「よぉ」とカネモは棘のある声で言った。真っ赤な美しい薔薇の棘ではなく、サボテンのような神経質で細い棘だ。「今日は藤村のブスもおらんみたいやし、喧嘩になっても勝てそうやな」


「お前は喧嘩の売り方から勉強しろ」と僕は言った。カネモを相手にしても良い事は一つも無いが、かと言って彼を無視できるほど僕は大人ではない。


「狐ちゃんでも買い方くらいは知ってるんやろな?」

「タダ同然の安いもんこうてもなぁ」

「逃げる気か?」


「そもそも」あっくんが僕とカネモの会話に入ってきた。「お前は3対1やのに本気で勝つ気なんけ?」


「お前はいつから自分を1やと勘違いしてるんや?」

「なんやて?」

「俺に言わせればキノコくんは0.3で狐ちゃんが0.5って所や。ほんでこの異教徒は戦力外」

「パパに金で買ってもろた武器が無かったら、お前なんか0.01じゃいあほんだら。価値もない勝ちでも買ってもろとけ」

「あんまいちびってたらワレからいてこますぞ」


 僕達が舌戦を繰り広げていると、マイマイが「もう金本君は放って行こうよ」と言った。


「異教徒は黙っとけ」カネモは叫んだ。「お前がなんて呼ばれてるか知っとるか? 不思議ちゃん越して不気味ちゃんや」


 あっくんがカネモに襲い掛かろうとしたが、マイマイはそれを押さえつけるように止めた。カネモはマイマイの事を何も知らないのだ。僕も最初はマイマイを変な人だと思っていたが、中身を知れば彼女が心優しい人間だと解る筈だ。


「早く先生の所へ行って、ムラサキちゃんの事を聞こうよ」

「なんやねん。藤村のブスになんかあったんけ? あのブスも絶対に許さんからな」


 黒板で落書きをしていたウルフが、急に「ざんないなぁ」と言った。独り言にしては大きすぎるし、誰かに話しかけているのだとしたら意味が解らない。僕達は一斉にウルフの方を見て黙った。


「ざんないでぇ」とウルフは呟いて僕達を見た。「藤村咲の事を話してるんやろ?」


「どういうこっちゃ?」あっくんがそう尋ねると、ウルフは待ってましたと言わんばかりの顔を浮かべる。


「藤村があんな事になるとはなぁ。ほんまざんないで。彼女が休んでる理由はただの風邪なんかやないし、ただの風邪ならどれほど良かったか。まぁ、風の噂では風邪なんて言われとるけど、それは旧ソ連軍の諜報機関による偽装の一貫や。藤村は……」


 ウルフが得意の嘘を吐き出し、それに対して皆は呆れた表情を浮かべたが、僕は彼の下らない嘘に苛立ちを覚えた。ウルフはそこまで悪い奴ではないと解ってはいるものの、今の僕には陰湿で悪質な嘘を吐かないで欲しい。


「今こうしている間も藤村はスパイとしての……」嘘を吐き続けるウルフの元へ行き、僕は彼の両肩を勢いよく押した。ウルフは驚いた顔を浮かべてよろけたが、僕に反撃を加える様子はない。


「しょーもない嘘吐くなや」と僕はウルフに叫んだ。皆だって驚いていたし、僕だって驚いている。下らない嘘に過剰反応する自分自身に呆れてしまう。


 放課後の和やかな教室の雰囲気が僕によって壊され、教室に残っている皆がこちらの様子を伺っているのを感じた。


 自分が何かをされるなんて予想していなかったであろうウルフは、ふざけた笑みを浮かべながら「冗談やんか」とだけ言った。周りの皆も僕が手を上げるだなんて思っていなかっただろう。僕は自分から手を出したりする野蛮な人間ではないし、それを知っているからこそカネモは喧嘩を売ってくるのだ。


「ほんなら、これも冗談や」僕はそう言ってカネモもついでに突き飛ばした。カネモは尻餅をついて泣きそうになっていたが、僕を睨む事で反撃をしているらしい。カネモからの敵意は膨らんだが、戦意は喪失してるようだ。


 これ以上何かをすれば僕が先生の元へ向かわずとも、先生の方から僕の元へやってくるだろう。お節介な誰かが既に職員室へ走っている可能性だってある。


 カネモは無言で立ち上がってウルフの元へ行き、2人は一緒になって教室を後にした。カネモは去り際に僕へ向かって、小さく「覚えとけよ」と言っていたが、あいにく記憶力は良い方ではない。カネモは僕と本気の暴力衝突を避けつつ、ウルフを味方につけたらしい。


 僕はあっくんとマイマイに向かって「ごめんな」とだけ呟いた。なんとなく謝っただけで、悪い事をしたなんて全く思っていない。謝罪の理由をあえてあげるとするならば、僕らしくない事をして空気を悪くした事に対してだ。


「私も行くから」マイマイはそう言って僕の右肩に手を置いた。「後で一緒に金本くん達に謝りに行こう。みんな仲良くしないといけないよ」


 カネモに謝るつもりはないがウルフには謝った方が良いだろうと考えていた矢先、あっくんは突然一人で大笑いを始めた。高らかに笑う声は天まで届きそうだ。


「どないしてんな」あっくんは僕の左肩に手を置いた。「ムカついたにしても先に手を出したり、ホンマは悪いなんか思ってないのに俺らに謝ったり、今日の大ちゃんはなんか可笑しいで。マイマイを馬鹿にしたカネモが悪いし、しょーもない嘘を吐いたウルフも悪いねんから、大ちゃんが謝りに行く必要性は皆無や」


 あっくんのこういう所が僕と波長が合う理由と言えるだろう。僕はあっくんとずっと親友としてやっていけるだろう確信して、彼に向かって拳を差し出した。あっくんと僕がグータッチしているのを見たマイマイは、静かに「でも……」と呟いた。


「確かにウルフには謝った方がええわな。そんときはマイマイも一緒に来てくれると助かるわ」僕はそう言ってマイマイにも拳を差し出した。


 マイマイは嬉しそうに「うん」と言って僕とグータッチをした。彼女は誰よりも優しくて誰よりも正しいのだろう。


「ほな」あっくんは改まった口調で言った。「とりあえずは今から職員室行ってムラサキの事を聞きに行こうやないか」

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