風邪

 土曜日と日曜日の間、ムラサキは7棟の屋上には顔を出さなかった。彼女は月曜日の学校も休み、火曜日の放課後になっても姿を現す事は無かった。


「今日も巨人は休みなんやな」とあっくんは言った。


 僕は教室の自席に座りながら、金曜日の夜に起こった出来事について考えていた。ムラサキが学校を休んでいる理由が、前に彼女自身が語った事に起因しているかどうかを考えているが、今のところは何とも言えないだろう。だけど、関係している可能性は高い。


「巨人が2日連続で学校を休むなんて初めてちゃうか?」あっくんは僕の隣に在る椅子を引き寄せ、背中を前にして跨るように座った。「馬鹿は風邪ひかんって言うけど、あれは嘘やったんやな。それともあれか、明日は雪でもふるってやつかいな」


「ムラサキは風邪なんか?」と僕は期待を込めて尋ねた。


「知らんがな」とあっくんは戯けて返した。「せやけど、風邪以外で休む理由なんかあんのけ?」


「旅行とかは?」

「大ちゃんアホいうたらあきまへんで。俺らみたいなんが学校休んでバカンスなんかするかいな。せいぜい体調不良かただの不良かって所やろ」

「そうやんなぁ」

「まぁ、明日になったら巨人も学校に来るやろ。それよりも、うまえもんしばきに行こうぜ」


 あっくんは僕に駄菓子屋へ行こうと提案しているのだが、何かを食べる気分では無かったし、そもそも金も無いので「ええわ」とだけ返した。


「大ちゃんノリ悪いなぁ。でんぷん糊くらい付き合い悪いで」


 あっくんは自分で上手い事を言ったのに満足して、楽しそうに笑い始めた。僕はあっくんを無視して教室の前に目を向けた。黒板に下手な絵の落書きをしているカネモとウルフが居るだけで、担任の姿は何処にも見えなかった。


「先生はどこ行ったんやろか?」僕は教室を見渡して一応確認した。牛乳の臭いが染み付いた布が掛かっている雑巾掛け、誰かが凹ませたせいで開きにくくなった掃除用具入れ、戦闘機のような爆音を鳴らすが音と吸引量が比例していない黒板消しクリーナー、教室には教室に必要な物が揃っているが、先生の姿は何処にも見当たらない。


「大ちゃんが先生に用があるなんか珍しいなぁ」

「別に用がある訳やないけどやで」

「まぁ、先生の方は大ちゃんに用があるやろうけどやで」

「僕はモテるからな」


「どこがやねん」あっくんはそう言って頭を揺らしながら笑った。「先生が大ちゃんに用があるのは、今日も学校の宿題を今日も持ってこおへんからや。ホンマ気合入っとるで」


 あっくんの馬鹿を丸出しにした笑い声に釣られたのか、マイマイが僕達の元へやってきた。


「楽しそうね」マイマイは僕の机に両手をついて言った。「何か面白い事でもあったの?」


「聞いてえなマイマイ」とあっくんは言って、ノリと糊が掛かっている事や、付き合いが悪いのがでんぷん糊と同じだとか、僕がモテる要素を持っていないとか、その他もろもろを説明をしていたが、マイマイはちんぷんかんぷんと言った様子だった。


「あっくんは面白いね」とマイマイは適当に言った。「それよりさ、2人に聞きたいんだけど、ムラサキちゃんはどうして学校を休んでるの?」


「それが解らへんねんなぁ」

「あっくんも知らないんだ。大ちゃんは?」

「知らへん」


「そっかぁ」マイマイは寂しそうな顔を浮かべる。きっと彼女もムラサキを心配しているのだろう。ただ休んでいるから心配しているのか、それとも何かを知っていて心配しているのか、探りを入れる必要があるだろう。


「なぁ」僕はマイマイの目を見て言った。「なんか、最近のムラサキは変やったくないか?」


「そうかな?」とマイマイが言うと、あっくんが「巨人が変なのは生まれつきや」と返し、この場に居ない人間に喧嘩を売った。


「変っていうかさ、なんか元気なかったやんか?」

「そう言われてみればそうかもしれない」

「マイマイはムラサキが元気無い理由を知ってんちゃうかなおもてさ」


「知らない」マイマイは僕と目を合わせながら言った。彼女からは少しだけ嘘の臭いがする。「最近元気が無かったのと、今日も学校を休んでいる事は関係しているの?」


 僕は「さぁ」と言って両手を天井に向けた。あっくんとマイマイに金曜日に起こった出来事を話そうかとも思ったが、ムラサキの事を考えると無闇に言うべきでは無いだろう。ムラサキはまだ2日しか休んでいないのだ。ただの風邪かもしれないのに、皆の不安を煽るような事もしたくない。


「そんな事よりさ」あっくんは明るく言った。「マイマイも今から一緒にうまえもんしばこう。タコ殴りしに行こう」


「喧嘩は良くないよ」

「ちゃうちゃう。今からみんなで駄菓子屋に行こうって意味やがな。ほんで、たこせん食おうって事や」

「たこせん?」

「自分、たこせん知らんのかいな?」


 マイマイが恥ずかしそうに頭を縦に振ると、あっくんは驚きから体を仰け反らした。あっくんの大袈裟な反応を見てマイマイは驚いている。


 たこせんがどのくらい普及しているのかは謎だが、北川住宅の近所にある駄菓子屋では大人気だ。えびせんみたいなのに濃いソースを塗って、上に天かすとマヨネーズをかけた質素な食べ物が、たこせんという名前で一枚30円で売られている。高い気もするし安い気もする不思議な食べ物だが、僕はたこせんがあまり好きでは無い。


「たこせんはこの世で一番美味いもんや」

「そんなに?」


「せやで」あっくんは僕の肩を叩いた。「なぁ、大ちゃんもそう思うやろ?」


「駄菓子屋へは2人で行ってくれ」

「えっ、大ちゃんは来ないの?」

「たこせんに用はないけど、タコみたいな先生の所には用が出来た。まぁ、どっちも不味くて好きやないのは確かやけど」


 僕が席から立ち上がって教室を出ようとすると、あっくんとマイマイも付いて来ようとした。僕は2人に「どうしてん?」と尋ねた。


「どうしたもこうしたもあるかいな」あっくんは眉を上げながら微笑んだ。「まさか、今日も宿題忘れてすんませんって先生に謝りに行くんとちゃうやろ?」


「私も一緒に行くね」マイマイはランドセルを背負いながら言った。「ムラサキちゃんがどうして休んでいるのか、先生に聞きに行くのでしょ?」


「駄菓子屋はええんか?」

「駄菓子屋なんか後でもええがな」

「早く職員室へ行こう」


 僕達が教室の前から廊下に出ようとすると、黒板で落書きをしていたカネモが行く手を阻んだ。何かと突っかかってくるウルフだが、きっとモテる僕が悪いのだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る