僕達の最後

異変

 僕はいつものように7棟の屋上であっくんと話していた。近くの駄菓子屋で売っているヤッターメンの当たりを絶対に引く方法についてだ。表の蓋が膨らんでいるのは当たる確率が高いだとか、当たりのやつはパッケージの絵が少し違うとか、プラスチックの赤い容器が凹んでいるのはハズレだとか、全てが眉唾な話だった。以前、ウルフが言っていた当たりの見極め方は、蓋に書かれた中国人が台湾人のやつは当たりだそうだ。


「台湾人なら当たりらしいで」と僕があっくんに言うと、彼は「じゃあ、中国人はハズレなんか?」と返した。


「ウルフはそう言うてたけどな」

「あいつが言うてたら嘘やろ。そもそも、中国人か台湾人ってどうやって見極めんねん?」

「あいつは適当な事しか言わんからなぁ」


 僕には中国も台湾もよく解らないが、なぜかウルフが言っている事は的を得ている気がした。


「それよりさぁ」あっくんは僕に近付いて静かに言った。「なんか、最近のムラサキおかしくない?」


 僕はムラサキが居る方を見やる。

 彼女は一人で屋上の縁に座り、足を宙に放り出しながら本を読んでいた。

 ムラサキは真っ黒のスキニージーンズと真っ赤なハイカットのコンバースを履き、ラングラーのボアジャケットを着て、いささか長すぎるマフラーを口元も覆うように巻いている。


 確かに最近のムラサキは変だ。

 見た目はいつも通りだが、中身が別人のように変わったのだ。


 辞書で「元気」という文字を引けば、類義語の欄にムラサキと書かれていてもおかしくないくらい、彼女は元気を具現化したような存在だ。そんなムラサキに元気がないのはおかしい。


「気になんのけ?」


「アホ言え」とあっくんは顔を赤くしながら叫んだ。「びっくりするくらい気にならんわ。強いていうなら敵の状況を把握しておくという、戦略的な一面はあるわな」


 僕は何気なく聞いただけだったが、あっくんは何故か過剰な反応を示した。


「ケイ君もムラサキが元気ないって言うてたし、なんかあったんとちゃうかな?」

「なんかって?」


 あっくんは何も言わずに肩をすくめたので、僕は眉間に皺を寄せた。


「大ちゃん聞いてみてや」

「自分で聞いたらええがな」

「なんで俺が聞かなあかんねん」

「心配なんやろ?」


 僕があっくんを揶揄うと、「まぁな」と予想外の返答がきた。どうやら、あっくんは本気で心配しているらしい。普通なららここで過剰反応をすべきだ。


「ケイ君はどんなこと言うてたん?」


 僕はいつもの癖でケイ君の姿を探したが、彼がいつも座っていたソファーには誰も居なかった。彼はもう第7棟の屋上には来ないのだ。この場所は代々受け継がれてきたルールがいくつかあり、その一つに小学生しか入れないという決まりがある。ケイ君はもうすぐ中学生になるので、少し早いがこのコミュニティから抜けた。新しいリーダーとしてケイ君は僕を選び、屋上の鍵を託してここには来なくなったのだ。


 今日は金曜日の放課後だが、7棟の屋上には10人近いガキ共が集まっている。とてもじゃないが、僕はリーダーというタイプではないし、この様々な年代の悪ガキ共を管理できるとは思っていない。だから僕は事務的な管理をするだけで、具体的に言えば戸締りを任されているだけだ。


「そもそも、俺はケイ君からムラサキが元気ないって聞いてな。ケイ君もなんも知らんみたいやわ。まぁ、巨人はいつも変やけど、言われてみれば最近は特に変やねん。大ちゃんならなんか知ってるかと思ってんけどな」


「機会があれば聞いてみるわ」と僕が言うと、あっくんは安堵の表情を浮かべて、「よろしゅうたのんますわ」と返した。


「そういえば、ヤーさんは?」

「ヤーさんはケイ君と学校の図書室で勉強してはるで」

「かしこやん」


 ケイ君は7棟の屋上へ来なくなった代わりに勉強を始めた。彼は17歳になったら高認を取って飛び級で外国の大学に入ると言い出したのだ。それがどのくらい難しい事なのか僕には解らないし、そもそも飛び級なんて可能なのかも知らないが、きっとケイ君なら何だって出来るだろう。

 ケイ君に強い憧れを抱いているヤーさんも、時々勉強をするようになったが、僕とあっくんは相変わらず自堕落な日々を過ごしている。僕には夢も目標もない。僕のような頭の悪い人並み以下の人間が、夢や目標を掲げるのは恥ずかしい事だ。平々凡々以下の以下、僕は何もなせない人間だと自負している。


「今日はカレーやから先においとまさせて頂くわ。後はよろしく」あっくんは唐突にそう言って立ちがった。彼は出口へ向かうついでにムラサキの近くへ寄って、「よう巨人、元気がないのは阪神にでも負けたからけ?」と揶揄った。


 普段ならあっくんとムラサキが喧嘩を始め、僕が止めなければならない筈だ。しかし、ムラサキは少しだけあっくんを見やっただけで、何も言葉を返さずに読書を再開した。あっくんは僕の方を見て首を傾げ、そのまま帰って行った。



 一人になった僕はする事もないので、少し早いがそろそろ屋上を閉めようと思い、残ったガキ共を帰らせる為に重い腰を上げて行動を開始した。牛乳瓶の蓋を使って遊んでいる奴、けん玉を練習している奴、カードゲームをしている奴、多種多様な遊びを繰り広げるガキ共を屋上から追い出すのには骨が折れたが、皆は渋々帰っていった。


 残ったのはムラサキだけだ。

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