長い暖簾

 自転車の前輪がダイナモライトと擦れて「ジジジ」と叫び、その反抗的な音は僕を疲労させる。このライトが少しでも前輪を回す抵抗になっていると考えると、ペダルではなくて足の疲れを加速させた。


 先頭をあっくんの自転車が走り、その次にヤーさんの自転車が走り、僕は最後尾で皆に置いていかれないよう必死にペダルを漕いでいる。僕が乗っている自転車の荷台には兄貴から借りたランタンを固定させ、後ろから車に追突されないように光を放っていた。


「しょー段差ぁ」とあっくんが叫んだ。最後尾の僕にも聞こえるように大きな声だが、周りに民家もないので気にしなくていい。


「しょー段差ぁ」とヤーさんも叫んだ。あっくんが叫んだ位置と同じ箇所なので、僕は段差の位置を把握できた。


 僕が持ってきた懐中電灯は先頭のあっくんが使っている。ちゃちなダイナモライトだけでは夜の道は照らせないので、危険な箇所はあらかじめ注意喚起してくれる手筈だ。


「しょー段差ぁ」と僕も叫んだ。最後尾の僕が叫ぶ訳は、先頭を走るあっくんが振り向かずとも付いて来ていると伝える為だ。


「だい段差ぁ」とあっくんが叫んだ。この先に大きな段差があるようだ。


「だい段差ぁ」とヤーさんが叫び、僕も後に同じ文言を叫んだ。


 最初は皆で騒がしく替え歌を熱唱しながら山を登っていたが、今では注意喚起の連絡と、ダイナモライトの擦れる音と、自分を含めた誰かの荒い息遣いしか聞こえない。明らかに元気がなくなっているし、あとどのくらい元気が残っているのかも判然としない。いま居る場所が大阪なのか奈良なのかも解らないし、もしかすると日本では無いのかもしれないと馬鹿な事すら考えてしまう。


 きっと、皆も頭の中で「この道は合っているのか」だとか、「本当にエロエロ自販機は存在するのか」だとか、ネガティブな感情が反芻されているだろう。


 家を出立してからもう一時間半以上は経過している。あと数十分して到着できなければ、諦めて引き返す予定だ。


 何度かの段差が来た後、あっくんは「あれや」と叫んだ。あれとは何だろうと考えながら、僕は前方に注意を向けた。


「あともうちょっとやで」あっくんの声質は暗闇の二上山においても明るく聞こえた。「あれに間違いないでぇ。遠くで光っとる小屋が見えとるのがそうや。知らんけど」


 遠くに煌々と光る小屋のような建物が僕にも見え始め、自分の顔が自然と綻んでいくのを感じた。文字通り光明が差したのだ。体力が限界に近付いて硬くなった体も、段々とほぐれていく。一部の箇所と意思だけは硬いままだが、表情も筋肉も柔らかくなり、僕は「ファイトォ」と叫んだ。


「イッパァーーツ」とあっくんが叫び、ヤーさんは無言で右手を突き上げて片手運転をした。


 プレハブで出来た簡素な小屋の入り口には、18禁と大きく書かれた長い暖簾が掛かっており、子供を寄せ付けない神聖な結界が施されている。


「どうする?」と僕は言って改めて周りを確認した。僕達が乗っていた自転車が停まっているだけで、特に異常は起こっていない。


「どないもクソもあるかいな」あっくんも僕に釣られて周りを見渡した。「こんなけったいな場所までわざわざ来てんから、買って帰らん方が悪いことやで」


 僕がヤーさんの方に目を向けると、彼は何も言わずに頷いた。


「ほな、いくで」


 あっくんはそう言って暖簾をくぐって中へと入ったので、僕もヤーさんも彼に続いた。



 大人と子供を分ける国境の長い暖簾を抜けると暖国であった。夜の底が白くなった。信号所も無ければ汽車も止まらなかった。


「えらいとこやでぇ」とあっくんが呟いた。


 中には5台ほどの自動販売機が在り、それぞれ違う物を販売している。読めない漢字が大きなフォントで書かれた本には、縄で縛られた女体が写っていたり、とんでもない物を口に含んだ女性が表紙になったVHSがあったり、その他には用途が不明な道具が売っていた。


 なんて下品な空間なのだろうと僕は驚いた。壁にはたくさん落書きがされていて、品の無さを訴えている。子供が書いたような文字や絵の落書きもあれば、年寄りが書いたような達筆の落書きもある。


「堺イチのおさせ、人妻ユイちゃん」とあっくんが落書きの一つを読んだ。そこには電話番号や個人情報が書いており、その落書きに対しての落書きまで書いてある。


「落書き読んでる場合やないで」と僕は言った。早く事を済ませてここを出なければ、誰かに見つかってしまう確率が高くなる。悠長にしている場合ではないのだ。


「ほんまやな」

「じゃあ、この自販機から一つを選ぼう」


 僕が指差した自販機にはポルノ本が16種類並んでいる。本当はVHSを買いたいところだが、そんなものを家で再生するのは無理がある。僕達は子供なので、まずは手軽な紙の媒体から入るべきだと判断したのだ。


「ほんなら、どれがええか一斉に指をさそうやないか」

「おっけ」

「了解」


 僕達は皆で「せーの」と言って合図をして、気に入った本を指さした。




§~○☞☆★†◇●◇†★☆☜○~§




 大人になってから「冒険」という言葉を聞けば、ファンタジーな物語の世界を思い浮かべるが、子供だった頃はもっと現実的な物を思い浮かべていた。世界各国やジャングルの奥地、海底や地底に至るまで、僕は現実的な冒険を想像していた。


 どうやら僕は大人になって現実的な妄想ができなくなった代わりに、子供じみた二次元で現実逃避するのが上手くなったらしい。


 子供の頃に経験した日常が、今振り返ってみると大冒険に思えてくる。非日常を冒険と仮定するならば、自分が子供だった頃は既に非日常に含まれるのだろう。もっと歳を重ねれば、今この時だって非日常になる。しかし、冒険というには余りに非情な日常だ。


 僕はインドへ行ったくらいで価値観が変わる人間ではないし、本当の現実逃避だって出来ると思えば少し安心する。一度逃げ出した冒険から最後まで逃げ切る方法も知っているんだ。

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