2006年のピンボール
パソコン室には担当の先生が1人と学生が何人か居た。エアコンの音とキーボードを打つ音、マウスのクリック音とパソコン室の独特な臭いが辺りを覆っている。
雨が降っている日のパソコン室は、雨が降っている日のパソコン室の臭いがする。それ以外で形容するのは難しいし、その例えだけでしっくりくる程に独特な臭いだ。普段は外で遊んでいるような奴も、今日のような雨の日にはパソコン室へやってくるので、窓は人々が放つ熱気で曇っていた。
僕はパソコン室が好きだ。快適な空調にキャスターが付いた回転椅子、そしてこの独特な臭いが僕をワクワクさせる。
「見てみ」とあっくんは言って指を差した。彼が指を差した部屋の端には、6人くらいで集まって出来た人集りがあった。「ピンボールウィザードがおるみたいやで」
「誰?」と僕は返した。
「ピンボールの魔術師やがな」
「なんやねんそれは?」
「3Dピンボールが、ごっつ上手い奴がおるねん。そいつはピンボールウィザードって呼ばれててな、奴の腕前を見る為にみんな集まっとんや」
あっくんが説明をしている間にも、そのピンボールの魔術師が居る集まりからは歓声が聞こえてきた。3Dピンボールはパソコンの中に入っているゲームの中でも、1、2を争う人気がある。平面的なのに3Dピンボールという名前で、いつかは落ちてしまう玉を必死に飛ばすゲームは、僕からすれば何が面白いのか解らない。派手な音や光とは対照的な地味な操作性、古くもなければ新しくもないピンボールゲームは、生産性と魅力と得るものが無い。
学校のパソコンに入っているゲームはどれも嫌いだ。ルールがいまいち理解出来ないマインスイーパや、勝っても嬉しくないコンピュータ相手のトランプゲーム、プレイヤーにストレスを与えるキーボードの早打ちゲーム、僕は全てが好きになれなかった。
「ちょっと、俺も見てくるわ」あっくんは僕とヤーさんを置いて、人集りへ向かって行った。僕が何も言わずにヤーさんを見ると、彼も僕を見てから肩をすくめた。きっと、あっくんの事は放っておこうという意味だろう。僕は近くに在ったパソコンの電源を入れて、何も言わずに椅子に座った。ヤーさんも僕と同じように何も言わず、隣の椅子に座ってパソコンの電源を押した。僕達はパソコンがしっかりと起動するのを無言で待った。
僕は元々口数が多い人間ではないが、ヤーさんは僕以上に口数が少ない。僕達が2人きりになると、一気に言葉数が減ってしまうので、周りからは余り仲が良くないのではないかと疑われる事がある。口数が少ないからといって気まずい訳でもないし、僕はヤーさんを親友だと思っている。いわば、熟年夫婦のようなものだろう。だけど僕がそう思っている事をヤーさんが知っているかは解らないし、ヤーさんが僕の事をどう思っているのかも解らない。なぜなら、僕達は口数が少ないからだ。僕達には信頼や信用という固い繋がりがなくて、期待や希望という脆い繋がりで成り立っている可能性もある。どちらにしたって、僕はヤーさんが友達として好きな事には変わりない。
僕とヤーさんが無言でパソコンを利用している間にも、奥からあっくんの叫び声が聞こえた。ピンボールは相当盛り上がっているようだ。
学校のパソコンでは見れるページと、見れないページが存在する。それがどのような仕組みになっているのかは判然としないが、とりあえず「エロ本」というキーワードで検索をして、適当にウェブページを開いていった。
「どない?」僕は隣に座るヤーさんに尋ねた。眉間に皺を寄せながらモニターを睨む彼は、まるでインテリヤクザのようだった。
ヤーさんは肩をすくめてから、静かに「大ちゃんは?」と返した。
「開かれへんページが多すぎるなぁ。無修正のエロ本が何処で売ってるのか解らんし、どうやったら未成年でエロ本を買えるかも解らへんわ」
僕が再び自分のモニターに顔を戻すと、開いていたページが勝手に閉じられていた。不思議に思いながらもう一度サイトを開くと、今度はマウスのカーソルが勝手に動き出して、開いていたサイトを閉じているのを目撃した。僕はマウスをひっくり返し、中に入っている球を確認した。そこには思わず持って帰りたくなるような美しい球がしっかりと入っていた。
マウスの玉はしっかりとリボルブしているので、きっとこれはパソコン側の異常だろう。僕はもう一度、適当なエロ情報が載ったサイトを開いた。予想通りカーソルは勝手に動き出し、サイトを閉じるボタンを勝手にクリックする。まるでポルターガイストだ。ポルノサイトを見させないポルターガイストとして、学校の七不思議に入れてもいいだろう。
隣ではヤーさんが僕と同じようにマウスをひっくり返していた。僕は椅子から腰を少しだけ浮かせて、モニターの奥に居る先生の顔を見た。遠くに座っている名前も知らない先生は、僕の目を見ながらゆっくりと顔を左右に振った。そして先生はピースの形にした右手を自分の両目にかざした後、その指を僕の顔に目掛けて向けた。先生は言葉を一切放たなかったが、彼の言いたい事はしっかりと僕に届いた。
「どうやら鼠のせいやないみたいやで」と僕は言った。
僕は椅子に座ってからパソコンをシャットダウンさせた。マウスを分解して球を取り出していたヤーさんは、僕の顔を見て不思議そうにしている。僕は「パソコンは先生が監視してて、向こうから操作できるみたいや」と続けた。
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僕がインターネットに触れた当時は、おもしろフラッシュ総合サイトが流行っていた。ニコニコ動画なんて存在していなかったし、ユーチューブだって日本語対応されていなかった。奇抜で独創的でつまらない時代だったんだ。
今の小学生はプログラミングが必修の授業になるそうだが、僕が小学生の頃はプログラミングなんて学ぶ事はなかったし、プログラミングを教える事のできる教師も居なかった。きっと、プログラミングを食べ物だと思っている人だって居ただろう。
変わった事もあれば変わらない事もある。今はマウスの中に球なんて入っていないし、未だに僕はマインスイーパができない。
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