ホームズよりマーロウ

 僕はマイマイの部屋にある窓の近くに椅子を置き、そこからからずっと鶏小屋を眺めていた。一応は見張りという名目ではあるが、まだ日の明るい内に鶏泥棒が現れる筈が無いと心の中で思っていた。


「ごっついかついなぁ」とあっくんは感心したように言った。ベッドの上に座るあっくんを見やると、マイマイと恐竜の図鑑を広げて眺めていた。すっかり2人は仲良くなったようで、恐竜を見て笑いあっている。一体何が面白いのかは全く分からないが、きっと2人の相性はあっているのだろう。


「みどり。み、ど、り」とムラサキはDSに向かって1人で叫んでいる。「グリーン、グリーン。どうして反応しないのよ」


「チョキ。チョーキ。チョ、キ」

「うるさいぞ巨人」とあっくんが言った。「さっきから間違ってんねん。お前はミドリやなくてムラサキや」

「オカッパの方がうるさいのよ。正解はパーだったのね。あんたの頭はクルクルパーよ」ムラサキはそう言い返して、僕の元へやってきた。彼女が手にしているマイマイから借りたDSの画面には、脳年齢が52才と書かれている。脳を鍛える大人のDSトレーニングは、きっと子供がやる物では無いのだろう。

 

 椅子に座る僕にもたれかかってきたムラサキは、静かに「どう?」とだけ尋ねた。

「どうって、何が?」

「怪しい奴は居るかしら?」

「奴じゃなくて、怪しい未確認生物の間違いやろ?」


 ムラサキは目だけを動かしてベッドの上に居るあっくんとマイマイを見てから、僕の耳元で「そんなの居る訳ないじゃない」と小さな声で言った。ムラサキの本音が聞こえていないか僕は横目で2人を伺ったが、相変わらず楽しそうに恐竜図鑑を見ていた。


「それを解っていて、なんでムラサキはここに居るん?」

「犯人はいるわけでしょ?」

「まぁ、実際に鶏が消えてるわけやからな」

「そいつを捕まえるのよ。探偵みたいで楽しそうじゃない?」

「見た目も頭脳も子供の俺らには荷が重いな」

「何よそれ?」

「コナンやんか」

「私はシャーロックホームズより、フィリップマーロウの方が好きなのよ」


 ムラサキの言っている意味は解らないが、僕は適当に聞き流して窓の外を眺めた。外には綺麗な夕陽が浮かんでいて、オレンジ色の夕焼けは子供ながらにも懐かしみを覚えた。きっと、昭和だとかいう時代はこんな感じなのだろう。


 僕は夕日を眺めながら、鶏泥棒の犯人が誰かを考える事にした。


 情報が乏しい中で、目撃者であるマイマイは嘘を吐いている可能性が高い。もう一人の目撃者であるウルフだが、今回のピンクモンキーバードについての話は、いつも吐いている嘘とは雰囲気が違った。ウルフの吐くいつもの嘘は、面白くて、壮大で、過剰で、馬鹿げていて、そして誰が聞いても嘘と解る代物だ。皆はウルフの事を嘘吐きだというが、僕からすれば彼は嘘を吐いているのではなくて、冗談を言っているのだ。ウルフが語っていたピンクモンキーバードの話は、冗談にしては面白みに欠けていたし、嘘にしてはリアリティがあった。とすると、ウルフは嘘吐いていないと言う可能性もありえる。

 ウルフは深夜にピンクモンキーバードを見て、そして襲われたと言っていたが、彼からはピンクモンキーバードの姿や、遭遇時の具体的な時間を一切聞いていない。きっとウルフに詳しい事を尋ねれば、マイマイの話との相違点が見つかって、彼女がどういった嘘を吐いているのかが漠然と解るだろう。


 そもそも、どうしてマイマイは嘘を吐いているのだろうか?

 僕の中で2つの仮説が成り立った。


 1つ目は、目立ちたいからと言う理由だ。ウルフが吹聴しているピンクモンキーバードの話に乗っかって、自分もクラスで注目を浴びる為に嘘を吐いた可能性がある。しかし、僕たちがマイマイに話を聞きに行った時、彼女は嫌そうな態度をとっていた。とてもじゃないが、彼女から目立ちたいという雰囲気は感じられなかったのだ。


 2つ目の仮説は、マイマイ自身が犯人だと言う説だ。友達を疑う気にはなれないが、こちらの説の方が僕の中で有力だ。マイマイが鶏を盗んで、それを偶然ウルフが見ていた。幸い目撃者がウルフだったので、彼の信用度が低いことを利用して、話が少しでも撹乱されるようにマイマイは訳の解らない嘘を吐いたのだ。


 周りから信頼されてないウルフの話を聞いても、大概のクラスメイトは彼の話を疑うだろう。それでもピンクモンキーバードの事が気になった人が、次に話を聞きに行くのはもう一人の目撃者であるマイマイだ。そこでマイマイが明らかに嘘な話をすれば、この話はやっぱし嘘だったのだと片付けてしまう筈だ。



「ピンクモンキーバードは現れたんかいな?」とあっくんが言った。気がつけば僕の居る窓際に皆んなが集まっていた。


「やっぱし夜じゃないと現れないんじゃない?」

「そうかもしれない」

「それに、そろそろ帰らなあかん時間やで」

「ほな今日は帰りまひょか」


 マイマイが恥ずかしそうに「もしよかったら、晩御飯を私の家で食べて行かない?」と言った。僕の家では今日の晩御飯はカボチャなので、ここで晩御飯を食べて帰るのも悪くない。


 あっくんは「やったぁ」と叫びながら飛び跳ねた。どうやら僕と同じ気持ちのようだ。


「電話借りてええかな?」と僕は喜びを噛み締めながら言った。まだマイマイ家の晩御飯を噛み締めても居ないのに、僕は喜びの感情を一足先に味わう。「オカンに晩御飯は友達んちで食べるって連絡するわ」


「勿論いいわよ」とマイマイは嬉しそうに返事した。

「ほんなら、大ちゃんの次俺に借してな」

「じゃあ、下の階に電話があるから付いてきて」


 僕とあっくんがマイマイに連れられて、部屋を出ようとした時に「だめよ」とムラサキは強く言った。「マイマイの親に迷惑がかかっちゃうじゃないの。それに、私は早く帰らないとパパに怒られちゃうわ」


「私の親なら今日はとっても遅くなる」

「じゃあ、ご飯はどうするのよ?」

「私が作るから楽しみにして」


 どうやらマイマイは料理ができるらしい。僕は料理なんてした事がないし、包丁に触れた事すらない。僕の中でマイマイの好感度が一気に上がったし、あっくんは彼女を尊敬の眼差しで見つめていた。しかしムラサキだけは何かが気に食わないようで、僕たちを置いて何も食わずに帰っていった。


 結局、僕とあっくんはマイマイが作った唐揚げを平らげた。こんなに美味しい唐揚げを食べたのは初めてだし、こんなに美味しい唐揚げを作るマイマイが鶏泥棒の犯人な訳が無いだろう。


「今日はありがとうなぁ」とあっくんが言った。辺りはすっかり暗くなっていたが、マイマイの家から僕たちが住んでいる住宅はそんなに遠くない。


「マイマイありがとう。ご飯ほんま美味かったわ」

「あっくんも大ちゃんも、また私と一緒に遊んでくれる?」

「当たり前やがな。明日から学校でも仲良くしよな」

「大ちゃんは?」

「これからもよろしく」僕は拳をマイマイに突き出して、グータッチをした。それを見ていたあっくんも拳を出して、マイマイと拳を合わせた。


「そういえば、マイマイと遊ぶのが楽しくて、ピンクモンキーバードの事を忘れてたわ」とあっくんは去り際に言った。


 マイマイは悲しそうな顔を浮かべ「まぁ」と小さく言った。「私からすれば、学校の鶏が早朝に鳴くのが五月蝿かったから、ピンクモンキーバードには感謝しているの」


 そう言ったマイマイの顔からは、少しだけ邪悪なものを感じた。




§〜○☞☆★†◇●◇†★☆☜○〜§




 時々、マイマイの作ってくれた唐揚げの事と、彼女の家の匂いを思い出す。マイマイが作った唐揚げは本当に美味しかったし、彼女の家の匂いは本当に独特だったんだ。今になって思うのだけど、もしかすると僕たちはピンクモンキーバードを捕まえるというよりは、ピンクモンキーバードに捕まってたのかもしれない。

 マイマイとはその後も仲良くいていた訳だが、冬場にはピンク色のごついダウンジャケットを着ていた。彼女がピンクモンキーバードだったのかもしれないが、そんな事はどうだっていいんだ。

 僕だけじゃない。みんなピンクモンキーバードの事なんてどうでも良かったんだ。ピンクモンキーバードの事なんて、皆すぐに忘れてしまったのが証拠だ。マイマイとは良き友人になれたし、唐揚げはすこぶる美味しかった。それで充分だ。


 特にあっくんとマイマイは、本当の意味で仲良くなった。


 あっくんとマイマイが付き合う事になるのはもっと先の話になる訳だし、更にそこから2人が別れるのはほんの少し先の話な訳だ。中学生の時に2人が付き合ったと言う話を聞いた時、僕は特に驚きもしなかった。2人はお似合いだったからだ。




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