バッタもん
マイマイの部屋は実に質素だった。良く言えばミニマムな部屋で、悪く言えば独房のような部屋だ。四畳半程度の狭い室内には、ベッドと机と本棚だけが置かれていた。本棚には漢字だらけの本や辞書が並んでいたが、ワンピースもナルトも無い本棚なんて、阪神に藤川球児が居ないくらい味気ないだろう。
「なんもあらへん部屋やなぁ。なんかおもろいのないん?」とあっくんが言った。
「面白い物って何かな?」とマイマイは返した。マイマイの部屋だと言うのに、彼女自身が一番落ち着いていないようだったし、逆にあっくんは落ち着きすぎていた。
「キューブとかDSとかやんけ。キューブあるなら大乱しようぜ」
「ゲームキューブは無いけどDSならあるよ」
「ほんまけっ」とあっくんは大袈裟に驚いた。僕らのような貧乏人からすれば、ニンテンドーDSを持っている人はヒーローなような存在だ。「この前発売されたポケモンこうた?」
「いや、ポケモンとかは買ってくれないの」
「何でやねんな?」
「ポケモンは進化とかあるから」
「進化があかんって、けったいやなぁ」
あからさまに残念がったあっくんを見かねたムラサキは、「そんな事よりも」と声を大きくして言った。「この窓からピンクモンキーバードを見たのよね?」
「そうだよ」とマイマイは返したので、僕達は本棚の上にある窓から外を眺めた。確かに窓からは学校の鶏小屋がはっきりと見えた。
「ここからピンクバードモンキーを見たんか」と僕が言うと、他の三人が言葉を揃えて「「「ピンクモンキーバード」」」と訂正した。僕からすればバードが先だろうとモンキーが先だろうと、間にアリゲーターが入っていたって気にならないのだが、皆は僕の間違いをわざわざ訂正した。
「その、ピンクなんたらかんたらは、夜の12時くらいに見たんやっけ?」
「そうだよ」と返すマイマイの目から、何かの後ろめたさを感じた。彼女は嘘をついているのだ。深夜の12時になれば学校の灯りも消えてしまうだろうし、街頭も少ないこの辺りなら鶏小屋付近は真っ暗にに成る筈だ。闇に目が慣れていれば姿や形くらいは判然とするかもしれないが、色までは解らないのでは無いだろうか。それなのに、マイマイは昼休みの時にはっきりピンク色だったと言っていた。
「ピンクなんたらって、やっぱしピンク色なんかな?」
「大ちゃんは何を聞いてたんや。そんなもんピンク色に決まっとるやろがい」
「ピンクって一概に言うても、どんな感じのピンク色なんよ?」
皆の視線がマイマイに向かうと、彼女は「星のカービィみたいな色だよ」と言った。
「なるほどね」とムラサキは意気込みながら言った。「そして、ピンクモンキーバードは鶏を連れ去ったのか、そのまま食べちゃった訳ね」
「鶏をそのまま食べるって、そんなん巨人やないんやからあり得へんで」
ムラサキはあっくんの頭を軽めに叩いた。
「何すんねんな」
「あんたが私を馬鹿にしたからよ」
「なんも俺はお前の事を言った訳ちゃうで。それともなんや? お前はやっと自分が巨人やって自覚しだしたんけ?」
「このクソオカッパ野郎」と言って、ムラサキがあっくんの胸ぐらを掴み始めたので、僕とマイマイは2人の喧嘩を止めた。
「巨人のせいで俺のプーマの服が伸びたやんけ」
あっくんの着ていたシャツの首元は確かに少しだけ伸びていたが、使い込まれた上に何度も洗濯をされたシャツは、もともと少しだけ伸びていた気もする。
「あんたね、その小汚い服はプーマじゃあ無いわよ」
「はぁ、何言うとんねん」
「よくシャツを見てみなさいよ」
あっくんが着ているシャツの真ん中には、大きくプーマのマークがプリントされていた。彼はこの服を大層気に入っているのか、はたまた服のバリエーションが少ないのかは分からないが、ヨレヨレになる位よく着ているのは確かだ。
「どーみてもプーマやがな」
「プーマのロゴは後ろ足がしっかりと伸びきっているのに、あんたのは後ろ足が若干曲がっているし、角度も少し変なのよね」
「アホ言え。プーマはこんなもんじゃ」
「それだけじゃ無いわよ。そのプーマっぽいロゴの下にPUMAって書いてないでしょ?」
あっくんは自分が着ている服の下を引っ張って、ロゴの下に書いてある英語を眺めた。ムラサキの言う通りロゴの下にPUMAという文字は見当たらなかったが、代わりに他の英語が書かれていた。英語は中学生に成ってから学ぶので、あっくんや僕は英語が読めないが、ハーフであるムラサキは英語が堪能だ。
愕然として言葉を失うあっくんの代わりに、僕は「なんて読むん?」とムラサキに尋ねた。
「ジェー、エー、ジー、ユー、エー、アール」とムラサキは得意げに言った。そして流暢に「ジャグゥアー」と続けた。
「何やねんなそれ」あっくんはゆっくりと尋ねた。
「あんたのは、プーマじゃなくてジャガーよ」
「プーマやなくてジャガー」と繰り返すあっくんは、今にも泣きそうな顔をしていた。ポケモンが好きなあっくんは、いつもバッタもんのプーマを着ていたのだ。
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当時はプーマかアディダスかナイキのブランドを身につけるのが洒落ていて、筆箱も鉛筆も靴も靴下も、全て同じブランドを使っている奴が居た訳だ。そういうブランドの広告塔みたいな奴がお洒落番長だった。僕だってランドセルを背負うのやめて、アディダスのエナメルバックを肩に掛けるのに憧れていたが、ブランドのエナメルバックを買えるような経済的余裕は無かった。
そして、そういうブランド至上主義の奴らの大概が、中学に上がってプージャと呼ばれるプーマのジャージを着て、不健康な馬鹿に限って健サンと呼ばれるキティちゃんの健康サンダルを履くのだ。かくいう貧乏な僕だって、先輩から貰ったボロボロのプージャを着ていたし、ドンキで健サンを買って学業の研鑽を疎かにした訳である。
有名なスポーツメーカーの服を着て、ヴィトンの一番安いモノグラムか、偽物ダミエの財布を持ち、ニューエラのシールが付いたままの帽子を被る。そういうヤンキーファッションが中学生の後半頃に流行った事は覚えている。
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