終わりの会

 終わりの会が早く終われないだろうとは思っていたが、ここまでややこしくなるとは予想もしなかった。


「金本の鉛筆を山内が折った事について話そう」と担任の教師が言った。クラスメイトの皆は静かに話を聞いているが、教師の話し方と教室の雰囲気で、話が長くなるというのは語らずとも読み取れる。


「山内、前に来い」と教師に言われ、僕は震える足で黒板の前へ向かう。後ろ向きな気持ちで教壇に立ち、教師から「鉛筆折ったのは本当か?」と聞かれた。


「はい」

「なんで折ったんだ?」


 僕は物事の理由を話すのが大嫌いだ。

 教室を見渡すと、ほとんどのクラスメイトが僕を見つめている。皆がきっと「早く終わらせろよ」と思っているに違いない。ムラサキは机の下を熱心に見ているが、きっとヘミングウェイでも読んでいるのだろう。あっくんは大きなあくびをして、目の端からは涙が流れ落ちそうだった。泣きたいのはこっちだと叫びたい気分を抑え、改めて教師の顔を見た。教師の顔からは何の感情も読み取れなかった。こういう大人は一番たちが悪いのを僕は知っている。


 僕がカネモのバトエンを折った理由は、単に腹が立ったからに過ぎない。カネモなりに折り合いをつける為、わざわざ教師に告げ口したのだろうが、これでは悪者は誰の目から見ても明らかだ。そして、教師という大人が一度悪者を決めたら、それを覆すのは子供では不可能な事を僕は知っている。この教室で教師は神に近しい存在だし、神は決して間違いを犯さないのだ。


「事故です」と僕は言い切った。どうせ僕が悪者という事実は覆らないのだが、本能的に嘘を吐いてしまったのだ。「金本くんから鉛筆を借りようとしたら折れてしまいました」


 カネモが「嘘つけや、わざとやろ」と声を荒げて席から立ち上がる。教師は「金本も前に出てこい」と言い、教師を挟む形でカネモと対峙した。


「申し訳ないですわ、カネモ君。ほんまにわざとやない」

「そんな嘘つくなよオマエ。ほんまなかすぞ」

「鉛筆なら俺のを1本あげるからさ」

「お前みたいな貧乏人の鉛筆要らんねん。弁償しろやアホが」


 僕に飛びかかってきたカネモを、担任の教師は抑制した。僕は内心で「かかってこいよ」と挑発し、カネモを睨みつける。次にへし折るのはバトエンだけではなく、カネモの骨とプライドだ。僕だって話し合いで折り合いをつけるよりは、殴り合いで白黒をはっきりさせる方がいい。どうせこのまま話し合っても、教師という人間は白と黒をはっきり決める事の出来ない大人だし、グレーな結末で両成敗にさせられるだけだ。僕はそういった中途半端な事と、中途半端な判断しか出来ない教師が嫌いだ。


 僕とカネモが睨み合っていると、「センセェーーイ」とムラサキが唐突に言った。クラスの皆がムラサキを見ると、彼女は右手を挙げながら「一寸、いいですか?」と言った。


「どうした藤村?」

「私、大ちゃんが鉛筆を借りる所を見てましたげど、わざと折っている様には見えませんでした」


 僕はムラサキとハイタッチをしたい気分になったし、彼女の狡猾さには驚かされた。ムラサキは僕を助ける為に、わざわざしょうもない嘘を吐いているのだ。僕がムラサキの方を見ると、彼女はウインクをしてみせた。エキゾチックな風貌をした彼女がウインクをすると、外国の映画みたいで様になっている。


「ムラサキはそう言っているけど、どうなんだ金本?」


「そんな訳無い」と金本は言って泣き始めた。僕はカネモに憐憫の情を抱き始めたが、吐いた嘘を今更になって訂正する気持ちまでは抱かなかった。


「もういい」と教師は言った。「山内が故意でやったのか事故でやったのかは解ら無いけど、折ったという事実は変わらないのだから、金本にちゃんと謝れ」


「さっきも謝ったつもりやってんけど、ホンマかんにんな」


 僕が適当に謝ると教師は顔を赤くして「ちゃんと謝れ」と言った後、僕の頭に拳骨を落とした。頭蓋骨にヒビでも入ったのでは無いかと疑ってしまう程の衝撃を受け、僕は殴られた頭をさすって痛みを和らげる努力をした。僕の大きな頭には早速たんこぶが出来ていて、碌でもない大人の握り拳が張り付いて離れない感覚が残った。


「たまたま折れてしまって、申し訳ないです」と僕は言った。


「嘘つくな、お前。わざと折った癖に」泣きながらカネモが叫んでいるのを見て、教師は何故か僕の方を突き飛ばした。そして、尻餅をついた僕の前まで来た教師の目は、とてもじゃないが教育者の目付きでは無かった。僕は咄嗟に両手で頭を守るように塞いだが、教師は僕の胸ぐらを掴んで立ち上がらせて、黒板に背中を思い切り叩きつけた。一瞬だけ息が出来なくなった僕は、パニックになりながらも咳き込む事で、しっかりと呼吸が出来るかを確認した。


「何回も言わせるな。お前が折ったていう事実に変わりはない。いらん事言って金本を刺激せずに、ちゃんと心の底から謝れ」と教師は言った。僕は涙を堪えながら、いつかこの教師を殺してやると誓った。反撃されないと解った上で、無力な子供に暴力を振るう大人が、周りから先生だなんて言われて偉くなった気になっているのは間違っている。

 とはいえ、これ以上の鉄拳制裁はごめんだ。


「申し訳ないです」と僕は言って頭をしっかりと下げた。カネモに謝ったと言うよりは、教師に謝ったようなものだ。


「もうこれでいいな金本?」

「あかん。だって大ちゃんは嘘ついてるんやもん」


「金本もいい加減にしろ」と言った教師は、泣いている金本に拳骨を落とした。金本は更に泣きじゃくり、まるで赤ちゃんに戻ったかのようだった。


「これで終わりにするから、お前ら席に戻れ」


 嗚咽を交えながら泣いている金本と、たんこぶを摩りながら痛みが少しでも引く事を祈っている俺は、教師の言う通り自分の席へと戻った。

 所詮、教師なんてものは「先生」だのと呼ばれているが、裁判官でもなければ弁護士でもないのだから、こんな訳の解らない終わりの会で、解決も出来ない癖に裁判じみた事をしないで欲しい。結局は暴力で解決されるのだ。きっと、この馬鹿な教師の座右の銘は「喧嘩両成敗」とかだろう。シンプルな世界の住人は、複雑な事を単純に解決する。そのシンプルな解決方法が、この教師にとっては拳なのだ。


「いいか、お前たち。お前らを殴る先生の手も痛いんだ。何より心が痛い。こんな馬鹿みたいな事が起こる度に、先生はお前たちを怒らなければならない。もう二度と、こんな馬鹿げた事を起こさないように」


 教師はそう言って終わりの会を締めた。

 僕はいつの日かあの教師を殴って、「お前を殴った俺の手も痛い」と吐き捨ててやろうと誓った。




§〜○☞☆★†◇●◇†★☆☜○〜§




 今となっては考えられない事だが、当時の先生と呼ばれていた、大人でも子供でも無い、中途半端な大学で教員免許と年だけを取った人間は、物事を暴力で解決する節があったし、そういう腕っ節がある教師こそ人格者として称えられていた。そして、学校以外での社会経験が皆無な教師に限って、「社会に出たらやっていけないぞ」だとか吐かすのだ。


 僕のこれまでに培った学生経験を踏まえて言わせて貰うなら、教師という人種は全員が碌でもない人間だった。教師だって人間なのだ。素晴らしい人間が滅多に居ないように、素晴らしい教師も滅多に居ない訳だし、碌でもない人間が多いように、碌でもない教師が多いのは当然だ。

 教師がどれほど素敵な人格者なのか、最近のニュースを見れば解るだろう?





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