座敷童子の話
【これは、一人の座敷童子の独白】
私はただの、座敷童子です。
いつ生まれて、いつから此処にいるかもわかりませんが、私は此処にいます。
名前はありませんでした。
家に宿って、その家で過ごして、人々が居なくなるか、私がつまらなくなれば次の家へ渡っていく。それが、私という座敷童子の在り方です。
そうやって、誰にも知られず、誰からも見られずに、私は人々と暮らしています。
…それは、彼も同じ事でした。
ある日私は、元の家を出て暫くして、彼の家にたどり着きました。彼は決して私を見ませんでしたが、私はその最期まで彼を見届けました。
誰にも見られない。その事に悲嘆することはありません。それが、座敷童子という
でも、『幸福を授ける』という触れ書きの私が居ながら、彼は———
——座敷童子が宿った家は幸運になるのではないのか、ですか?
ああ、それは迷信です。私自身では、吉兆を操れないのです。まあ、私の気分で変わるようなので、操れてるとも言えなくはないのですが…
…彼、というのは、とある作家の事です。星や科学、農業に詳しい人でした。
私は、彼の書く物語が好きでした。まるで魔法みたいに紡がれる物語たち。そのどれもに命が宿っているようでした。
中でも私は、命尽きるまで、星へ飛んだあの鳥の物語が大好きで。だから私は、その物語に出てきた「
私には、今まで見たどの家よりも、彼のいるあの家が、魅力的でした。楽しかったのです。彼が私を見る事は、終ぞありませんでしたが、それでも、楽しかった。
私は、幸せでした。
彼を喪う事。
彼の住んだ家が喪われる事。
その両方が、私には苦痛でした。
彼の書いた原稿用紙が詰まったトランクへ逃げ込んだ時も、ずっとその事を想っていました。
——トランクは家ではない?
何言ってるの。トランクだろうが、瓢箪だろうが、私が家と思えば家になるのよ!それが座敷童子なのです!えっへん。
…ああ、失礼しました。少し取り乱しました。
ともかく、私はトランクを家と見做して、そちらに移り住んだのです。
…嗚呼、だから彼の家は不運に———いや、やっぱりなんでもないです。
トランクには、彼の物語が詰まっていました。
面白い話。怖い話。切ない話。色んなものがありました。そのどれもが、私にとって大切でした。
トランクの持ち主は優しい人でした。そして“彼”の事をよく理解している人でもありました。誰からも忘れられていく筈だった“彼”を、誰の記憶からもその名を忘れられないような、そんな有名な作家にしたのです。
「ああよかった。あの人の作品が、人々の心から消える事は無いんだ」
そんな風に、ホッとしました。
もしかしたら、私がトランクに宿ったから、幸運が清六さ——いや、彼の弟さん——いや、トランクの持ち主にも影響したのかもしれません。
——私は、彼と彼の家族が大好きでした。
ですが一つ、私には分からない事があるのです。
彼は、果たして幸せだったのでしょうか?
「…ねえ、君はどう思う?」
——私は、ただの座敷童子。
運を操れる、なんてよく言ったもの。本当は、操れなんてしないの。
幸も不幸も、私の気分でころころ変わる。
私が家から離れれば、その家は不幸に見舞わられる。
誰も私を見る事はできない。
誰も私を覚える事はできない。
——それはまるで、目に見えない運命そのもののように。
悲しいと思ったことはない。寂しいと思ったことはない。痛みも、苦しみも。
だから今まで幸運を授ける事ができた。
私が楽しかったから、人々も幸せになった。
ただそれだけの事。
彼を喪っても、彼を想う心は喪われない。痛みも、苦しみも、寂しさも、全ては“彼”に起因する。…この胸の痛みは、幸せだったから来る痛みなのだ。
幸せを授ける妖怪が、幸せを貰っているとは、なんとも不思議な話ではあるが。
星に詳しい、心優しい小説家さんに、幸せをありがとう。そして、貴方の死や、妹さんの死、貴方の家が戦争で燃えた不幸を、覆す事が出来なくてごめんなさい。
そう呟きながら、私は、満天の星空を見上げた。
きっと、届く事は無いのだろうけど。それでも、私は呟かずにはいられなかった。
そうする事で、私は前を向けると——市蔵賢子で居られると、そう思ったから。
——嗚呼、彼も。幸せだったのならいいなぁ…
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