月光に歌姫は唄う
【これは、一匹の唄う鳥の御伽噺】
むかしむかし、ある海の見える小さな村に、歌う事が大好きな少女が住んでいました。
少女の歌声は、それはそれは美しく綺麗なもので、村の人々は皆少女の虜でした。
少女の歌を聞きたがった村人たちは、みんなで歌う場所を少女に与えました。
村の中心にある噴水のそばに、お立ち台のような小さな舞台を設けたのです。
少女は喜びました。
今までは、お母さんの手伝いをする時や、漁に行く大人たちを見送る時くらいしか、歌う時が無かったからです。
「これで、大きな声でたくさん歌えるわ!」
そう少女は小さくばんざいをしました。
次の日、少女はさっそく舞台の上で、歌をうたいました。
たくさんの人が見にきてくれました。
誰もが彼女に称賛の声を浴びせました。
しかしその中に、何も言わずに歌を聞いたらすぐに消えてしまう男の子が居ました。
少女はおかしいと思いました。
だって彼はいつも、もじもじしていて、何かを言いたそうなのに、少女と目が合うとすぐに消えてしまうのですから。
「なにか言いたいことでもあるのかしら?」
そう思いつつも、少女は彼に話しかけることはありませんでした。
男の子の方から話しかけてくるのを待とうと思ったのです。
しかし、いつまで待っても、男の子は少女に話しかけません。
とうとう我慢が出来なくなった少女は、男の子を捕まえて話しかけました。
「なにか言いたいことでもあるの?」
「えっ、えっと…」
男の子は口籠もります。
「答えて!わたし、不安なの!」
「その…あの…」
男の子の顔が、かーっとやかんみたいに真っ赤になります。
少女は、何がそんなに恥ずかしいのか、分かりませんでした。
しかし少女は、問い詰めたりせず、黙って少年が訳を言うのを待ちました。
「えと……ぼく、ファンなんです!」
とても、大きな声でした。
それは確かに、男の子が上手い言葉を探して見つけた結果でした。
少女は面食らいました。
だって、毎日歌を聞きにくるのだから、ファン以外あり得ないではありませんか。
「……それだけなの?」
呆れた少女は、男の子にそう聞き返しました。
すると男の子は、もじもじと、恥ずかしそうに後ろに隠した何かを、チラリと見たのです。
それに気づいた少女は、男の子をジッと見つめます。
「…何隠してるの?」
「えっいや、別に何も隠してないよ?」
「嘘つくの下手ね!」
そう言って、少女は強引に、男の子が後ろ手に隠した物を暴きました。
「ええと、その…これ、は…」
「可愛い花ね…桜草かしら」
男の子が隠していたものは、一本の小さな花だったのです。
「桜草の花言葉は、『憧れ』『初恋』って…貴方、この花使って私に告白しようと思ったの?」
「うぅ……」
男の子はタコのように、耳の先まで真っ赤になります。
それに対なるように、少女はころころと笑います。
「しかも全部バレちゃうなんて!あはは、面白いの!」
「ぅ…もうやめて……そ、それ嘘だか」
「どこまでも嘘つくの下手なんだから!」
どこまでも真っ赤になる少年と、そんな彼をからかう少女。
それが、二人の小さな子供たちの出会いでした。
男の子は少女に恋をしていました。
少女も、初めはからかっているだけでしたが、いつしかその気持ちは、恋と呼んで差し支えないものになっていました。
ですが、二人の恋はそう長く続きませんでした。
ある日の事です。
村にある教会の人たちが、こう言いました。
「海に悪魔がでました。この村からでた漁船が、てんぷくしたのです。ですので、しばらくの間は船は出せません」
海の悪魔、というのは、この村に古くから伝わる怪物のことです。
船に乗る人を襲う、悪夢のような存在です。
大雨も降っていないのに、船が帰ってこない時は、村の人たちは、悪魔に襲われたと恐れるのです。
しかし、海の悪魔を見た人は居ないので、どんな方法で船を襲うのかは、みんな分かりませんでした。
ですので、船に乗らない人にとっては、特に関係のない話でした。
——しかし。
「この村に、悪魔と関係を持つ魔女が潜んでいる、との予言が出た!皆のものは魔女に注意を払って、見つけたら教会に知らせてほしい」
そういう、教会の言葉で、村の平穏はいきなり壊れてしまったのです。
誰もが隣人を怖がり、誰もが隣人を疑い、誰もが隣人に怯えて暮らすようになったのです。
——この村に、魔女なんて居るわけがないのに。
しかし子供たちは何も分かりません。
だから少女は歌いました。
日々気を張って疲れている大人たちを癒すために。
自分の歌を憩いの場にしてほしくて。
少女は、たくさんたくさん歌いました。
無邪気な少女の声に、多くの人が癒されました。
少女の歌を聞いている時だけは、誰かを信じる事ができるのです。
そんな、魔法のような歌声に、大人たちは魅了されました。
——『魔法』のような歌声?
——『魅了』?
少女の歌声を信じてやまなかった人々でしたが、ある日、海岸に打ち上げられた誰かを見つけた時から、狂い始めました。
その誰か、とは『海の悪魔』に襲われて生き延びた人だったのです。
彼は、虚な目で、上の空で、空虚を吐くように、ぽそりと言いました。
「あく、ま、は、うた、う」
その後程なくして、彼はパタリと倒れて起き上がる事はもうありませんでした。
しかしそれを伝えただけでも充分でした。
——この村を、『疑心暗鬼』の恐怖に、陥れるには。
悪魔は歌う。
それだけでした。
その一言だけで、少女は魔女同然の扱いになりました。
たくさんひどい事を言われました。
石も投げられました。
今まで楽しそうに笑っていた彼らは何処に行ってしまったの、と少女泣きました。
母と男の子だけが、少女の心の
しかし、少女は歌う事は辞めませんでした。
何故なら母と男の子が「歌だけは辞めないで」と言ったからでした。
だから少女は何度も何度もめげずに歌いました。
舞台で歌うと石が飛んでくるので、森の中や、母の手伝いの時に歌いました。
男の子だけに聞かせる時もありました。
歌は、何度でも少女の心を救いました。
歌うと晴れやかな気分になれる。
歌うと男の子や母が笑ってくれる。
なにより、歌うと楽しくなれるのです。
だから石を投げられても、少女は笑えたのです。
——しかし。
魔女が村に居るのに、教会が野放しにしておくはずがありません。
ある日の夜。
とうとう教会が動き出したのです。
それを知った少女の母は、村の抜け道を教えて少女を逃がそうとしました。
「捕まったらダメよ。一目散に逃げて」
そう母は、強く少女に言いつけました。
その言いつけ通り、少女は抜け道目掛けて一目散に走りました。
その途中、男の子も合流し、二人で村を抜け出そうとします。
——しかし。
「居たぞ、魔女だ!」
村の人たちに、見つかってしまいました。
「ネリー、ここは僕に任せて逃げて!」
そう言って、男の子は少女を逃します。
「ダメよ!ここまで来たら貴方も一緒に!」
少女は引き留めますが、男の子はそれに応えず、「早く行って!」と今までに聞いたこともないような力強い声で、少女を振り払いました。
少女は、男の子を名残惜しそうに見たのちに、駆け出しました。
「……大好きだよ、ネリー」
男の子はそう呟いて、涙を一つ落としました。
少女は森を走ります。
走って走って走り続けます。
どこに向かっているのかも分からず、ただただずっと、森を駆けていました。
嗚呼、どうして私は大好きな人を置いてまで、何処に逃げているのだろう。
そんな想いが込み上げては、澪になって落ちていきました。
森は暗く、何処か恐ろしくも感じます。
後ろから追う音なんてもう、何も聞こえません。走る必要はもうないのです。
しかし少女は、森さえも恐ろしくて、森から抜けたくて、ひたすらに走っていました。
どこまで行っても出口は見えず。
どこまで行っても黒が立ち込めるばかり。
母から教わった道なんてもう、とっくの昔に外れています。
もうどうしようもないと、そう思った時、少女は木の根につまづいて転んでしまいました。
少女は起き上がりませんでした。
ずっと全力で走っていたので、疲れているのです。
もうこのまま起き上がらなくてもいいかな…
そんな思いが、少女のまぶたを重くさせます。
嗚呼、寒くて苦しいな…
そう少女が思った時には、深い眠りに落ちていました。
気づくと少女は、夢を見ていました。
目の前には美しい女性が立っています。
少女はなんとなく、知らない人のような気がしませんでした。
「あら、気がついたわね。おはよう。まあまだ夢の中だけど」
そう言って、女性は少女に話しかけました。
「……あなたは、魔女?」
少女は虚な声を上げました。
もう少女には思考をする余地がないのです。
「貴女がそう思うなら、きっと私は魔女って事になるわね」
「…意味が分からないわ。貴女は誰なの?」
少女の問いには答えず、魔女は笑います。
「そうそう、貴女、なかなかいい歌声をしてるわよね!私、一瞬で惚れ込んでしまったわ!まるで魔法みたいに!」
少女は少し眉をひそめました。
今のこの状態で、歌を魔法のようだと称されても、少女は嬉しくありません。
「…だったら、どうするのよ」
「それだけ美しいのなら、あの村も…ふふっ」
やはり魔女は答えません。
自分の考えた何かに、浸っているようです。
この全く身勝手な魔女と付き合っていたくない少女は、早く夢から醒めようと頬をつねります。
「ああ待って!帰る前にひとつだけ」
慌てて魔女が少女の耳元まで近づきます。
一瞬の出来事だったので、少女は何もできませんでした。
そうして、何かを一つだけ呟いたのちに、夢が覚めました。
「……村に、行かなくちゃ」
そう決心して、少女は立ち上がりました。
そして踵を返し、よろよろと来た道を戻って行きました。
村に着いた時、少女の目に飛び込んだのは、それでした。
「なん、で」
男の子が、死んでいる。
母が、死んでいる。
首を落とされて、死んでいる。
「どう、して…?」
がくり、と少女は地面に膝をつきました。
周りには、たくさんの人が集まっていました。
——そう、これは、村人たちの罠だったのです。
いずれ帰ってくるだろう魔女を捕らえるための。
「さ、魔女さん。大人しく…」
ぐいと村人が少女の腕を引っ張ります。
それを払い、少女は大きな声で訴えました。
「どうしてよ!迫害するんだったら、殺すんだったら私だけにすればいいじゃない!!彼は何も関係ないのに、どうして!?」
少女の中には、憎悪と怒りと「どうして?」という行き場のない疑問だけが溢れていました。
その問いに、教会の神父さんが答えました。
「魔女の仲間なら、仕方がないだろう。お前も今からこうなるのだ。彼らと一緒に一欠片も残さず灰になれ」
淡々とした声。
途中から、少女には神父さんの声は一つも届いていませんでした。
どうして、こんな事を?
どうして、彼が先に死んでしまった?
どうして、こうなってしまったの?
何が悪い。
何がいけなかった。
歌。歌が悪かったのか。
そんなぐちゃぐちゃとした思考が、少女を支配します。
——「歌、辞めないでね」
少年のかつての声が聞こえる。
——「何があっても、歌をやめちゃダメよ」
母の声が胸の中で響く。
歌。
歌う事で人々を殺す『海の悪魔』。
——それは、呪いのように少女の心を蝕みました。
誰かの願いが、少女を縛る呪いになる。
嗚呼なんて皮肉な事でしょう!
願いなんて、ただのエゴの押し付けなのだと言っているようではありませんか!
神父さんは、何も言わなくなった少女を縛ろうとしました。
しかし、その時少女は不意に笑ったのです。
その顔には、『全て壊してやろう』という怒りが張り付いていました。
——美しい旋律が村中に響きました。
でも、それは。
どこまでも、何もかもを壊す、怒りと絶望と憎悪がこもっているもので。
誰かを殺さんとする、叫びにも聞こえました。
口から紡がれる音が、呪いとなって村中を襲います。
誰もが口々に何かを—呪いの言葉を—言っているような気がしましたが、少女には届きません。聞こえもしません。
——人々の紡ぐ呪いが、自らが紡ぐ呪いが、力となる。形をとる。
——『そうあれ』と
——月光は、彼女の誕生を祝福するかのように、煌々と光り輝いていた。
そうして少女は、その日初めて、人を殺す歌を歌ったのです。
歌声の綺麗な天使は。
こうして『悪魔』に成りましたとさ。
——あの夢で、あの魔女が、最後に告げた言葉は、
「男の子が、死んじゃうよ」
ただその一言だけでした。
おしまい。
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