夜明けと共にイスカは鳴く - 下 -
たたたっ、と廊下を走る。
ここはぼくと弥生の家だ。いや、お城だ。
わるいひとが、壊せるような場所じゃない!
ぼくは走って走って、隠れられそうで、さらに逃げる事もできそうな場所を考える。
ぼくと弥生はこのお城ではむてきだ。
前に読んだおとーさんの本では、確かこういう時のことを、『ろうじょう』と言うんだっけ。
そんなことを考えながら、ぼくは廊下を駆け抜けて、まずはキッチンに隠れた。
ここならば万が一追い詰められてもぶきがある。
そう思って、ぼくは包丁立てから少し小さめの包丁を一本抜き、そうびした。
しかし、わるいひとは、ぼくの隠れた所には来なかった。
★
「くそッ、どこ行った…?」
行ったと思った方向に、少年は居なかった。
二階じゃなかったのか?
「まさか僕も記憶操作が…?」
…いや、考えるだけ無駄だ。今は早くターゲットを見つけないと。
そう思い直し、僕は近くの扉を思いっ切り開く。
しかしそこはもぬけの殻。
「…そういえば、この家には大人は居ないのか?」
そんな疑問を口にしながら、その部屋の隠れられそうな場所を明かしていく。なんとも殺風景な部屋だ。小物一つだって置いてない。
この家には、大人がいたという空気すら感じられない。
小学生にも満たない少年が、たった一人で暮らしてるなんて事、あるのだろうか?
「……この部屋には居ない、か」
思案しながら、僕はその簡素な部屋を後にした。
その時、確かにハッキリと、下の階で何かが駆けて行く音を聞いた。
「下に居たのか…」
やはり自分にも記憶操作がかかっているようだ。
認識を変化させるものだろうから、恐らくあの少年の能力ではない。少年の能力は恐らく記憶を消すものだ。だから、もう一人の能力者のものなのだろう。
でも、それだと話が合わない。
あの少年も言ってしまえば記憶操作系だ。ならどうして日雷は「もう一人は白」と言ったのだろう?同じ色でないとおかしくないか?
「……ッ!」
ストレスのせいか、突然右側の頭が痛みを訴え始めた。
持病の偏頭痛が発症したのだ。
「…頭痛が酷くなる前に片付けるか」
痛みに顔を
一階に足をつける。
その時、何故か目の前に彼がいた。
「……君は」
少年は包丁を手にしていたが、僕を視界に映すや否や、その手を離した。
★
「ねえ、おにーさん」
少し怖い。
でも、やらなきゃ、ぼくも、弥生も、やられちゃう。
だから。
「ぼくね、守らなきゃいけない人がいるんだ」
「……?だからどうした」
ぼくの目に、その悪人を映す。
「だから、悪くない人に、戻ってもらう!」
その叫び声と共に、ぼくは能力を使う。
………アレ?
おかしい。確かにこの目に彼を映しているはずなのに。
目の前の男が、見えない。
見えない、というより、ブレている。
ぼやけているのだ。
「あ……れ………?どうして…?」
こんな事、今までなかった。
誰でもちゃんとこの目に映して来た。だからみんな狂ってしまった。
この家庭は、結局、幸せでもなんでもなかったのだから。
「…どうやら僕にはその
「……ッ!」
ぼくは慌てて、踵を返し走り出した。
「逃げても無駄だよ。死神はもう君の死因を書き換えた」
悪人はそう言いながら、ゆっくりと此方に歩を進め始めた。走って追いかけるつもりは無いらしい。
それでも今の状況は、まずい。非常にまずい。
武器は落とした。
相手の殺気はお化けのよう。
つまりは、ぼくは今、あの悪人に——死神に、勝てる術が皆無なのだ。
だからぼくは逃げた。
一心不乱だったからどこに逃げたか、自分でもよく分からなかった。
冷静になって止まってみたらそこは、
弥生のいる部屋だった。
「……そっかぁ」
ぼくは、寂しいため息を吐き出した。
「弥生、何があっても、そこに居てね」
そう言って、ぼくは覚悟を決めた。
弥生からの返事は、聞こえなかった。
★
袋小路の、最後の一室。
此処に居なければ、きっと外に逃げたのだろうとタカを括っていたが…どうやら正解のようだった。
「これで逃げるのも終わりだ」
僕はナイフを片手に、床でごろりと寝転がる少年を見下ろす。
しかし何故寝転がっているのか。
その疑問を口にしようとしたが、先に彼が口を開いてしまった。
「ねえお兄さん。お兄さんはどうして、悪い人になったの?」
「……は?」
突然の言葉だった。
舌足らずさも、3歳の少年だということも、何も感じない流暢な日本語だった。
「ここで殺されるなら、最期に聞いておきたいんだ。ぼくらの家に土足で踏み入ったんだ、そのくらいは答えて欲しいね」
これから自分がどうなるかすら分かっているなんて。
…嗚呼そうか、そのために、“死を待つ為”に寝転がっていたのか。
でも、どうして。そんな、真似を?
今まで追い詰めた奴らは皆、抵抗をしていたのに。
何も分からないまま、僕は彼の疑問に答えるべく、口を開いた。
「…………僕らの組織は、政府のお偉いさんも使ってたりするんだ。だから、一概に」
「そうじゃない。ぼくが聞きたいのは、悪の組織じゃなくて、貴方のこと」
キッパリと、遮られてしまった。
余程僕の事を知りたいらしい。
「…………」
どうして、だと?
そんなもの、そうなるしかなかった以外に何もない。
生まれた時に親はなく。
孤児院で仲間と暮らすも呆気なく壊れ。
倒壊から生き延びた僕は、そこに居合わせた『組織』に入るしか、道は残されていなかった。
「そう、なるしか、なかった…」
暗殺の才能があると囃し立てられ。
能力さえも殺人向き。
いつしか心さえ動かなくなって。
…いや、初めから僕に心なんてあったのだろうか?
あったとしても、そんなもの、僕には必要なかった。
どこまでも冷酷で、残酷な、神。
人を殺すだけの機械。
恐怖も、感情も、苦しみも涙も同情も。
何もない。空っぽだ。
そうでしか、生きられない。
「どうして?」
どうして?
どう、して?
そんなもの。そんな、もの、
「僕が知りたい…ッ!!」
——それは、確かに慟哭だった。
その時「どうして」以外、彼の中で生まれなかった。
感情の無い男が、初めて流した涙と叫びだった。
「どうして僕はこんな能力を持って生まれた?!」
何故。
「どうして僕にはこんな
どうして。
「僕はなりたくて神になったわけじゃない!!わけじゃないのに!!」
僕は。
「こんな能力を持って生まれて!!」
こんなにも。
「殺し以外ッ何をすればいいというのだッ!!」
「…それが、貴方という悪人、いや、善人の叫びなんだね」
「………ッ」
そう言われて、初めて神は、自分が涙を流している事に気付いた。
慟哭。どうしようもない思いの爆発。
苦しいのか。
憎いのか。
悲しいのか。
辛いのか。
ぐちゃぐちゃになって、あふれて。
もう、なにも、わからない。
驚いた。
こんな感情が、自分にもあるなんて。
「わかるよ。…ぼくもね、こんな能力要らないんだ」
花月飛鳥の声に、柳川は耳を傾ける。
「ぼくのおかーさんはね、壊れちゃったんだ」
「壊れ…?」
そういえば、この家には彼の親の気配は見つからなかった。
日雷の言うもう一人の能力者が、彼の親のどちらかかと思っていた。
でも、違うらしかった。
「うん。ほら、貴方も見たでしょう?ぼくの能力。目を合わせた人の記憶を消す力」
「………」
「この能力が初めて発動したのは、おかーさんだった。ただの好奇心だったんだ。だったのに。おかーさんはぼくらを忘れておかしくなっちゃった」
「…じゃあ、君のお父さんは?」
「…おとーさんは、まほうつかいなんだ」
「……?」
飛鳥の言う言葉の真意を、柳川は探ろうとした。
魔法使い?魔法使いなんて、存在しないはずだ。だって——
「…魔法使いは存在しないよ。だって、見たことがないもの」
「え…?……あはは!おにーさんって面白いんだね!おにーさんも見てみたいんだ?」
「……まあ」
「ふふっ、そっか。おにーさんもやっぱり見た目通りの子供なんだね。でもね、まほうつかいはいるよ。だって、ぼくらの使う
「……」
柳川は能力に対してそういう解釈をした事がなかった。
だから、彼は驚いて言葉が出なかった。そういう考えもあるのか、と。
「…おとーさんはね、認識をおかしくするまほうが使えるんだ。だから、ぼくらを守るために、ここをまほうの家に変えて、おかーさんを探しに行ったんだ。おとーさんはかくれんぼの鬼のプロだから、大丈夫なんだって」
無邪気に笑う少年の顔に、限りない孤独があるのを柳川は感じた。
「それが、一週間前の事」
「…なんだって?」
耳を疑った。そんなに最近の話だったなんて。
恐らく、彼の言う『一週間前』より前までは、この家庭はきっと幸せだったのだろう。
「だからね、ぼくが、壊しちゃったんだ。この家を。意図せずに、ね。だからぼくは、実は悪い子なんだ。貴方が死神…いや、神であるならば、ぼくは悪魔だ」
全てを壊した罪滅ぼしとして、彼はこの家ともう一人の能力者を守ろうとしているのか。そう柳川は解釈した。
年齢にそぐわぬ大人びた顔。
幼いながら、そんな経験をしているからなのか。それとも…
「…君は、一体…なんなんだい?とても3歳とは思えないのだけど」
「……ぼくは、ただ姉の為になんでも知っていなきゃいけなかった弟だよ。おとーさんに教えてもらって、色んな本を読んで、だからぼくは色んなことが分かるんだ」
淡々と、事実をただ述べるだけ。
少年のその姿に、柳川は微かに心が動いた。何かを尋ねればきっと答えてくれる。そんな淡い期待が、沸いたのだ。
それは衝動的な気持ちだった。
「……ねえ、一つ聞いてもいいかい?」
「なぁに、お兄さん」
「……神は…死をもたらす神は、誰が殺してくれると、君は思う?」
「………難しい質問だね」
聡明な少年は、難解な問題に目を閉じる。
それを見て急かすように柳川はしゃがみ、彼の顔をじっと見た。
「答えて欲しい。分からないんだ。分からないままは嫌なんだ」
真摯で、それでいて泣きそうな、子供のような感情を柳川の言葉から感じて少年は、目をゆっくり開く。
そして、困ったように、死を受け入れるように、少年は笑う。
「……少なくとも、ぼくでは
その顔を、言葉を聞いて、柳川はハッとする。
今は問答をしている時では無い。
今ならば当初の目的どおりに少年を組織に連れて行くこともできる。敵対したとはいえ、今ならば無抵抗だろう。
そんな気持ちが柳川の中に生まれた。
——だが、もはやその必要は無いと言うかのように。
その花月飛鳥という名の少年は、笑うのだ。
「ああ…そう、だね……」
もしかしたら、彼は。花月飛鳥は。
柳川龍太郎という人物を反対に映す、鏡なのかもしれなかった。
神となってしまった柳川の、人間らしさを、人間性を映しているかもしれなかった。
でも、そんな事はなくて。
彼は花月飛鳥でしかなくて。
だから、誰も。
神を。柳川龍太郎を。
——その日、初めて柳川のナイフが、その切っ先が、微かに震えた。
——その後、物音に目を覚ましたらしい少女が、押し入れの中から飛び出してきたが、少女は息の絶えた少年を見て、固まってしまった。
少女は花月弥生という名と自我を持っていた。
だが、ソレを見た瞬間、少女の心が精神の保護を図ったのか、少女の感情はそれ以降止まってしまった。
つまり、少女にあったはずの自我が、精神保護のために消えたも同然となってしまったのだ。
これには僕も頭を抱えた。
彼女も能力者なのだから、飛鳥の代わりに持ち帰っても文句はないだろうと思い、組織に連れ帰ったのだが、この止まってしまった少女を見て月見が「君が育てたのかい?」と言ってくるようになったのだ。
別に育ててなどいない。
自分からそうなった。
自分から機械になったのだ。
そう説明しても月見や他の幹部は煩く「お前が2人いるみたいだ」「お前がやったんだろう?」と言ってくる。
ああ、面倒臭い。
頭が痛い。
そうして僕は組織ビルの屋上へ向かった。
僕は怒りを覚えた時は必ず此処に行く。
そして風に当たりながら、タバコを
あまり人気が無いのか、行くといつも僕一人になれるからそこもまた美味しかった。
と、思っていたのだけれど。
「よーす、龍!」
「げ、博…」
今日は先客が居た。
「なんだぁ?まーたタバコかぁ?」
煩いのが居る…、と僕は邪気を全て吐き出す感じの溜息を吐く。
コイツは
昔からの友人で、もはや親友と言っても過言ではない人物だったりする。彼の隣にいると落ち着く…が、本人には言わない。絶対内緒。
「ハァ…ダメなの?」
「ダメだろ!お前まだ13歳だろうが!」
「むぅ…別にいいじゃないか。今だろうが成人後だろうが、特に変わらないだろう?」
「変わるわ!!」
パッと僕の手に握られていたタバコの箱を取られる。
「ちょ、あー!!なんで取るのさ!返してよー!!」
「だーーーーーめ!!お前ほっとくとすーぐスパスパ吸うんだから!!子供の時にこーゆーのやったら大人になった時大変なんだぞ?」
「むー!!なんだよたった一歳違うだけだろ?!先輩ヅラしちゃってさ!!」
「はっはっは、吸ってない俺は偉いからな!先輩ヅラしてもいいってこった!」
「むっかー!!!」
けらけらと笑うその顔を見ると自然と怒りが収まって行く——はずもなく。
とにかく僕はそれを返してもらいたくて、煽るように箱をぷらぷらと振る彼の手目掛けて僕は手を伸ばす。
が、すぐに
それに僕は食いつくが、またも躱される。
それが何度も何度も続く。
なんとなく弄ばれてるのは分かる。
でもなんか、ここで引き下がったら負けみたいな感じがして嫌だ。
そんな謎のプライドが僕を何度も何度も動かした。
そうして数分後。
「ぷっ…あっはっはっはっ!!!お前どんだけタバコ欲しいんだよ!!いやー、もう無理だ降参、降参!俺の負けだよばーか」
大笑いの後に博はぽいっと箱を僕に投げつけてきた。
「やったー!勝ったー!!よし、それじゃさっそく…」
大袈裟に喜び、すぐさまタバコを口に咥えて火をつけた。
いやぁいい味だ、タバコ。これが欲しかったんだよ僕。
「ったく…お前のそーゆーとこ嫌いじゃねぇぜ?俺」
「僕も、口うるさいところはあんまり好きじゃないけど、ノってくれるところは大好きだよ」
「口うるさいのはお前の為だからだろーが。まあいいが」
二人で屋上のフェンスに寄っかかりながら、冬の空を飛ぶ一羽の小さな鳥を見つめる。
今日は冬といっても暖かかったから、二人ともあまり着込んでなかった。
「…ねえ博。あの鳥、なんて名前の鳥だと思う?」
「知らねーよ。そもそもどんな鳥だったか忘れたわ」
「そっか。…あの鳥ね、
そう説明すると、博は「ほお」とだけ言って空の雲を眺め始めた。
「特にキリスト教圏ではキリストが磔にされた時、釘を抜こうとしてあんな嘴になったとされてて、『義人』なんてイメージがあの鳥にあるんだって」
「義人…ってアレか。正義の守り手…っつーより、自分より他人のために尽くす人って奴か」
「うん…そう」
空を見上げてずっとそんなことを喋る僕を不審に思ったのか、彼は僕の顔を覗き込んだ。
しかし彼は、何も言わずにすぐ顔を元の位置に戻した。
「…お前さ、よく心が無いとか死神とか言われてるけどよ、なんで俺と居るときはそんなに笑えるんだ?」
「…さあね。って僕笑えてるんだ」
「ははは、気づいてなかったのかよ」
雲はただ、
風はただ、僕らを包んで何処か遠くへ行ってしまう。
ただただ静寂だけが、僕の心にはあった。
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