自分勝手に好きだった

nero

自分勝手に好きだった

 憧れも友愛も、全てが恋愛感情の一部だった。

 正確に言うなら違いが分からなかった。


 夕焼けに似たオレンジ色が好き。

 紅茶が好き。

 猫が好き。

 甘い香りが好き。

 あの人が好き。


 きっと全部同じ熱で口にできる。


 どれも好きなのに、種類で分けるなんて。そんな高等技術を学ぶには、私は未熟すぎるのだ。


 まだ人間十四年生。中学生。好きな先輩がいた。

 眼鏡をかける姿が大人っぽくて、節くれだった指先が素敵だった。

 一生懸命アピールしたけれど、つれない態度にいつしか好意は薄れてただの憧れだけが手元に残った。


 彼女は呆れたような顔で笑った。


「それ、最初から憧れだったんだよ」


 そうなのかな。私にはよく分からなかった。けれど頭のいい彼女が言うから、そうなのかもしれない。


 優しくて、明るくて、素敵で。本当に、素敵な人だったから。ずっとずっと憧れていただけなのかもしれない。履き違えていたのかもしれない。


「でもさ、ただの憧れだったら、ちょっと恥ずかしくて、寂しいね」

「そう?」

「うん。……好きだったはずなのになぁ」


 彼女は優しく微笑んで「他の人がいるよ」と慰めの言葉を吐いた。他の人が欲しいわけじゃないの。そう駄々を捏ねるには、私は恋心を淡くしすぎた。


 セーラー服のスカートを短くして、卒業式の日に写真を撮り合う。私と彼女の進学先は同じだった。


「今度の制服、可愛いよね」

「ね! 結構おしゃれなブレザーだよね!」

「スカートもダサくないし」


 そこでぷつりと会話が途切れる。彼女が誰かを見つけたようだった。

 つられて私も彼女の視線の先を追う。彼女の幼馴染の、名前もよく覚えていない男子生徒がいた。


「……あの人、進学先どこだっけ」

「えっと、確かねー……」


 彼女は有名な進学校を答えた。私と彼女の進学先からは随分遠い位置にあった。

 へぇ、と興味のない返事をして、彼女の顔を見る。寂しそうな、少し愛おしそうな表情を浮かべていた。


 あ。そうなんだ。

 唐突に理解する。


 そっか。なんだ。へぇ。好きだったんだ。

 私は彼女の恋心を、彼女の口からではなくて、彼女の表情から知ってしまった。


 そして不意に、自分の恋心にも気がついた。


 あ。私も彼女のこと好きだったんだ。

 卒業した先輩以来の、久々の恋は自覚した途端失恋した。


 もっと好きだと気がつく瞬間は他にもあったはずだ。

 夏祭りに浴衣を着て遊んだ日とか。部活の時に遅くまで残って大きな絵を完成させた時とか。勉強会を開いた時とか。メイクを覚えてどんどん可愛くなっていく時とか。

 もっと、好きだって言える時はあったはずだった。


「……ね! 終わったらプリクラ撮ろうよ!」

「え? なに急に? いいけど、このまま?」

「このままこのまま! 胸の花付けたまま行こ!」


 家帰ってメイクしたいよ、と言う彼女の手を引く。困った顔で、それでも笑う彼女が愛おしかった。


 友愛を履き違えたんだよ。

 彼女がこの感情を知ったならそう言うだろう。


 そうかもしれない。否定する気は起きなかった。

 それでも、本気の恋だと思った。

 友情も恋愛も同時に心の内にあるものだと私は思っていた。



 まだまだ人間十七年生。高校生。

 一緒に入った部活は、いつの間にか私だけが所属していた。クラスは別々どころか、笑ってしまうくらい離れた場所にあった。彼女と話す機会はとんと消えた。


 それでも連絡を取る手段はいくらでもあった。

 SNSやメールでも連絡は取れた。臆病になって連絡を減らしていったのは私だ。


 話す機会は僅かで、たまに忘れ物を借りに行くか、トイレの前で会った時くらいだろう。


「あ、今って部活どうなってるー?」

「んー? まぁぼちぼち? 後輩も結構物覚えが良くて先輩的には助かってる」

「いやアンタもしっかりしなよ!」

「分かってるよぉ」


 会えば前と変わらない勢いで話せる。

 それでもどうにも肌に張り付く違和感が気持ち悪い。この違和感を感じるのは私だけなのだろうか。


 頬が引き攣る。ふと、笑顔を作っているのだと自分で気が付いた。

 前は彼女の傍が落ち着いていたのに、今では緊張する。その事実にぞっとした。


 ぱたりと連絡をしなくなったのは高校二年生の頃だろう。

 その頃になると、すれ違うことだけが彼女との交流だった。我ながら未練がましいな、と思う。


 覚えたメイクを施して、髪を巻いて、昔と少し違う彼女の、昔とは変わらない笑顔が好きだった。

 私の知らない彼女を見る度に、私と彼女の離れてしまった距離が憎らしくて切なくて泣き出したくなった。


 卒業する数日前。気まぐれに彼女の進路を聞いた。彼女からは一言だけ「専門へ行く」という言葉を貰った。

 この頃には彼女への恋心は随分と薄くなっていて、かつてのように友愛だけに戻ろうとしていた。


「専門?」

「そう。イラストレーターになりたいの」


 その瞬間ぞわりとした。私だって、という醜い嫉妬が顔を出した。

 私と彼女はかつて同じ美術部に属していた。彼女は絵が得意だった。私はただ絵が好きだった。


 私だって、何度か憧れたことはある。絵で食べていけるのなら、夢を目指せるなら。

 私の進路は就職だった。裕福ではない母子家庭で、進学するには家計が心もとなかった。お金が無いからという理由で逃げたのだ。

 他者から判断を下されるのが怖かった。お前に才能が無いのだと言われるのは恐ろしいことだ。それなら自分から諦めた方が幾分かはマシだった。

 夢を追いかけるほどの技量もなければ、しがみつく熱意もなかった。


 私は私の臆病さを糾弾する前に、彼女を詰りたくて仕方なかった。

 呑気に夢が目指せてお気楽でいい奴だ、そんな酷い言葉で頬を殴ってしまいたかった。


 私は彼女の言葉になんと返したか。

 多分、当たり障りのない「頑張って」という言葉だったと思う。


 その日、彼女への嫉妬も恋心も全て捨てようと決めた。彼女を追いかけて、見上げ続けるのは、もう疲れてしまったのだ。



 まだまだ人間十九年。社会人になって暫く経った。あと数日経てばお酒だって飲めた。彼女とは進路を聞いてから一度も会っていない。


 帰り道。次々と流れていく住宅街を電車の中で見続ける。

 未だ捨てきれぬ恋心を持て余しながら、連絡の途絶えた彼女と、ふと会ってみたいと思った。

 スマホを取り出して、言葉を打ち込むのに数秒。送るか悩むのに十数分。投げやりな気持ちで送ると、彼女からなんてことなさそうに「いいよ」と了承の連絡が来た。


 彼女はどんな道を進んだのだろう。

 学校生活は楽しいだろうか。どんな授業を受けているのだろうか。一人暮らしはしたのか。

 彼女との会話に胸を膨らませた。


「実は」


 カフェに入って近況報告を始める。

 人より早めに社会人として働き出した私はある程度の愚痴を話して、彼女もある程度学校での様子を話した。


 そして、彼女は笑い話を始めるように「実は」と切り出した。


 ぞわりとした寒気が背筋を撫でた。

 実は、から話す内容は碌でもないことが多い。大抵がネガティブな話なのだ。

 事実、予感は当たる。


 実は妊娠してたんだ。堕胎したんだ。

 実は学校辞めたんだ。夢を諦めたんだ。


 全部聞きたくない言葉だった。

 それでも全てをぶちまけるように話す彼女が、やはり綺麗だと思った。


 彼女の赤く彩る爪先がコーヒーのマグを掴む。

 コーヒーはいつ飲めるようになったんだろう。私はまだ飲めないままだった。

 リップでベタつく口元を払拭するように、私も紅茶を飲んだ。


「ごめんね、こんな話して」

「……ううん」

「引いたでしょ」

「ううん。引いてない」


 これは本心だった。

 ただ、彼女が悩んでいた期間、私への相談が無かったことが寂しかった。

 殆ど連絡をとっていなかった癖に、図々しくそんなことを思った。


「相談したかったけど、相談する間もなく、全部終わっちゃった」

「そっか」


 私は得心がいったとばかりに頷く癖に、これっぽっちも分からなかった。

 彼女の気持ちも彼女の経験も何もかも。私は全然分からなくて、ただただ自分勝手に寂しいと思った。


 彼女の瞳を見て、私はぼんやりと自覚した。

 あーあ。やっぱり好きだった。

 憧れでも友愛でも収まることのできない、確かにこれは恋愛感情だった。

 そんなことを確信をして、私は、この恋を捨てた。絶対にいらないものだと思った。

 私が彼女へ向けるべきは、ただの友愛だけでいい。


 別れ際「またね」と声をかけたけれども、もう二度と会わないだろうという淡い確信があった。

 きっと一年後のこの季節、彼女の顔は朧気な記憶で構築されている。

 私は帰り道、彼女の連絡先を消した。まだ、どうしようもなく好きだった。

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