~幕間 5~ サージュとアイナの冒険
――これはまだアイナが二歳のころのお話である。
天気の良い昼下がり、ラース達がまだ学院で勉学に励んでいるころにそれは起きた――
「ふあ……」
<む、母君、眠そうだな>
廊下をパタパタと飛んでいたサージュが向こうから歩いてきたマリアンヌを見て声をかける。マリアンヌはあくびをかみ殺しながら口を開く。
「あ、サージュ。昨日は抱き枕のサージュが居なかったからアイナが夜泣きしてたのよ、だから寝不足でね」
「あーう。さーゆー」
<我は抱き枕ではないが……>
マリアンヌがもう一度あくびをしながら、大人しく抱っこされていたアイナがサージュに手を伸ばす。マリアンヌがソファに座り、サージュが遠くなるとアイナがバタバタと暴れ出した。
「さーゆ、さーゆ!」
<うむ、アイナよ握手だ>
「きゃー♪」
高度を下げてアイナの手を掴むとアイナはきゃっきゃと喜びぶんぶん腕を振る。マリアンヌは薄目を開けてその様子をみながら呆れた声を出していた。
「この子、ちっともあんたを怖がらないわね……デダイトやラースもこのくらいの時、物怖じしなかったけど……あーダメ……眠い……ちょっとお昼寝しようかしら」
<無理はしない方がいい。ベッドに入れておけばアイナも寝るだろう>
「そうね。……はい、ちょっとママは寝るから大人しくしててね?」
「うー?」
アイナは柵付きのベビーベッドへ入れられ、ちょこんと座り母を見る。マリアンヌは目を瞑ると早々にしばらく元気に起きていたが、おもちゃにも飽きたアイナが、ソファで本を読んでいたサージュを呼ぶ。
「さーゆ、ねるの」
<む、アイナも寝るのか? ……ふむ、大人しく寝かせるなら我も一緒の方がいいか>
アイナのベッドへ行くとすぐにがっちりホールドされアイナはころころと笑う。ごつごつしたサージュの顔がお気に入りなのか、小さい手のひらで撫でまわす。
<レイナと初めて会った時はもう少し大きかったな。ふむ、こうなっては我も動けんし、寝るとするか>
「おくちおおきい」
サージュが大あくびをしたのが嬉しいのかぱちぱちと拍手をする。アイナもうとうとし始めたのでサージュも目を瞑るとすぐに眠気が訪れた。
だが、これがいけなかった――
<む……何だ、気配が? ……!?>
サージュが次に目を覚ますと、ベッドでサージュをホールドしていたアイナの姿が忽然と消えていた。サージュは飛び上がって周囲を確認する。
<ど、どこだアイナ! 返事をしてくれ!>
サージュは天井付近まで飛んで叫ぶが、返事はなくマリアンヌの寝息だけが聞こえてきた。見れば寝室のドアは開け放たれており、恐らく廊下に出たのだろうと推測された。サージュはマリアンヌを起こすため降下しながらひとり呟く。
<しかし、一体どうやってベッドから出たのだ……? 誘拐……はないか。メイドも居るし、悪意がある者の気配は我が気づく。……あ!>
ベビーベッドをチラ見し、サージュは気づく。
<わ、我の背中を踏み台にして降りたな!? >
アイナが乗り越えるには高い柵だが、サージュに乗れば越えることができる。アイナはそのまま寝室から一人で出ていったのだ。
<母君! 母君! 大変だ、アイナがどこかへ出た!>
「んー……サージュ……? もう少し寝かせて……」
<起きてくれ、屋敷の中だけならいいが、外に出ていたらことだぞ!>
「すー……」
育児は疲れる。
二人の兄の時もそうだったが、特にマリアンヌはメイドに任せず、できるときは自分で何もかもをしているので、疲れも溜まるのだ。そのためマリアンヌは起きることができなかった。
<むう、時間が惜しい。我だけでも>
仕方ないと思い、サージュはメモを残して寝室を出て廊下を飛ぶ。まだ遠くには行ってないと自分に言い聞かせ探し回る。
<居ない……それにどうしてこういう時はメイドに出くわさないのだ……!>
ちょうど休憩のお茶の時間で引っ込んでいるたため運が悪かったと言わざるを得ない。焦るサージュが一階の窓に目を向けると、どうやって出たのか、庭をよちよちと歩くアイナを発見した。
<居た! まったく、元気なのはいいことだが――>
安堵しながら窓から外を出ようとしたところでサージュはアイナに迫る大きな蛇を見つけ転がるように突撃していった。
<ぬおおおおお!>
「シャアアア!?」
<アイナを襲おうなど五百年早いわ! この!>
蛇は空から強襲してきたサージュの足に摑まれ、爪と牙でボロボロにされ息絶えた。毒を持っていない個体だったが、二歳の子供が噛まれれば細菌による感染症を引き起こす可能性があるため、サージュは正しい。
<ふう……さあ、アイナ戻る……む、どこへ行った!?>
「ちょうーちょ!」
蛇と格闘している中、アイナは次に興味を示した蝶を追い庭から出て、さらに外へと駆け出した。靴下は履いているが裸足とほぼ同義なので、草と土がクッションになる庭と違い、石でできた道はケガをしやすい。
<ま、待つのだアイナ!>
これでもかというくらいのスピードで飛び、道へ出ると、アイナはいつもラース達が使う通学路をてくてくと蝶を追って駆けていく。
「きゃー♪」
<これなら追いつけそうだ……!>
ちょうどその時、サージュに転機が訪れる。道を歩いていたおばあさんがアイナを足止めしてくれたからだ。
「あら、どこの子かしら? まあまあ、裸足じゃない」
「うー?」
おばあさんがしゃがんでアイナに声をかけると、アイナは指をくわえて首を傾げる。そこへサージュが間に合った。
<協力感謝する!>
「わあ、びっくりした!? ……トカゲかい?」
<ドラゴンだ。この子は領主の娘なのだ>
「ああ、ラース君の妹かい。なら喋るトカゲも飼ってそうだねえ。妹のことをこの前、依頼に来てくれた時に嬉しそうに話してくれたよ。でもどうしてこんなところにいるのかい?」
<うっかり寝入ったところ、興味本位で出てきてしまったのだ>
「さーゆぅ♪」
サージュが横に並び、逃げないように手を繋ぐとアイナは嬉しそうに手を振る。
「ならもう安心かね? ラース君にまた遊びに来るよう言っておいてね」
<承知した>
お婆さんはそう言って手を振って家へと戻っていく。それを見送った後、サージュはアイナを抱えて飛ぼうとした。しかしアイナが家屋の間に目を向け声を上げた。
「わんわん!」
<お、おい、引っ張るんじゃない。わんわん?>
「ぐるる……」
見れば路地に成犬より少し小さい犬がうなりを上げてこちらを見ていた。捨て犬か? そう思ったが今はアイナを返さねばならないと踵を返す。
<帰るぞ、犬に構っている暇はない>
「やー! わんわん、わんわん!」
<むう……>
アイナが泣き出し、犬に触りたいとサージュの手をぐっと握る。一回撫でれば気が済むかとサージュだけで近づいていく。
<案ずるな、我は怪しいものではない>
「がう! ……くぅーん……」
<はっはっは、我の鱗はその程度では貫けんよ。ほら、アイナ今のうちに撫でろ>
「わー! よしよし」
「ひゅーんひゅーん……」
敵意が無いと悟ったのと、サージュには勝てないことにより、犬は姿勢を低くし大人しくアイナに撫でられる。しかしそこでサージュがとあることに気づいた。
<おや、こやつ犬ではないな? フォレストウルフの子か? ……山から迷い込んできたな>
「わふ! わふ!」
「わんわん、おうちかえゆ?」
<ここに居たら捕まって毛皮を剥がされるのがオチか。仕方ない、山まで案内してやろう>
「うぉん!」
知ってか知らずか、フォレストウルフは尻尾を振り一声鳴く。すると伏せのポーズをし、アイナに目を向ける。
<……乗っていいのか?>
「わん!」
「わんわんにのるー!」
アイナが背中に乗ると、フォレストウルフはすくっと立ち上がりキリっとした顔で歩き出す。
<帰りたいのだが……>
「きゃー♪」
アイナが楽しそうに背中にしがみつくのを見て嘆息しながらサージュも着地し隣を歩く。
<山はこっちだ>
「わふ」
大人しくついてくるフォレストウルフと町を歩いていると、道行く人が声を上げる。
「え、なに? 赤ちゃんが魔物の背中に乗ってる……?」
「隣を歩いてるのってドラゴンじゃないか……なんでこんなところに……」
「ああ、領主様の屋敷にいるやつだろ? 賢いって話だ。子守をしてるんじゃないか?」
「ドラゴンってもっと怖いんじゃ……」
「ってことはあれ、領主様の娘……!? だ、誰か報告を!」
「背中に乗ってる子、可愛いわねえ」
<……注目されているな……>
「あーうー♪」
その後も撫でられたりお菓子をくれたりと大人気のアイナ。よく分からず、サージュにお礼を言うよう言われ、
「ありあとー」
と、舌ったらずな声がまた愛らしさを振りまいていた。そのままフォレストウルフはアイナを背に乗せたまま丘をあがり、かつてのラース達の家、今ではニーナとハウゼンの家へ到着する。
「え? あれ、アイナちゃん!? それにサージュも!」
「あー!」
「わん!」
<ニーナか、洗濯のようだな?>
「天気がいいですからね……って、そうじゃないですよ!? どうしてアイナちゃんが狼に乗ってこんなところに居るんですか!」
<まあ色々あってな……>
サージュが経緯を説明すると、ため息を吐きながら腰に手を当ててニーナが言う。
「まったく。甘やかしてるんですから……それじゃそこの森まで行ったら帰るんですね?」
<そのつもりだ>
「じゃあ入り口まで一緒に行きますよ」
「にーな、しゅきー!」
「はいはい、わたしも大好きですよー。ああ、可愛い……わたしも早く子供が欲しいです……」
ニーナはフォレストウルフの背からアイナを抱っこし、山へと向かう。いつかラースがベルナを見つけた場所まで行くと、フォレストウルフが尻尾をピンと立てて駆け出していく。
「あ、わんわん!」
<……どうやら親狼のようだな>
そこには一回り以上大きいフォレストウルフが立っており、駆け寄ってきた子を舐めて歓迎していた。
「こうなると人間も魔物も、子供がいたら変わりませんね」
<そうだな。我は母を見たことないが、きっと立派なドラゴンに違いない>
「サージュは賢いですから、そうだと思いますよ」
ニーナが笑うと、アイナが口に指をくわえてフォレストウルフの方を見て呟く。
「わんわんのまぁま?」
「そうですよー。アイナちゃんのおかげで会えたみたいです」
「「わおおおん!」」
二頭のフォレストウルフはしばらくじゃれ合った後、遠吠えをして森の中へと消えていった。するとアイナが不意に泣きそうな顔になりニーナに抱き着く。
「まぁま……」
「あらあら、楽しそうだったのに狼さんがお母さんと会ったら不安になったのね。それじゃお家へ帰りましょうか」
「かえゆ……まぁまのところかえゆ」
<では行こうか。あまり心配させないで欲しいものだな>
「さーゆ、しゅきー♪」
<はあ……>
こうしてアイナの小さな冒険は終わりをつげ、家へ帰ると目が覚めたマリアンヌと、アイナが居ない知らせを聞いたローエンが慌ててニーナの腕にいるアイナを受け取った。
「まぁま! ぱぁぱ! ……ふあ……」
「もう、誰に似たのかしら……ありがとうね、サージュ、ニーナ」
「いえ、わたしは連れて来ただけですから。あら、寝ちゃいました?」
<そのようだ。着替えさせてから寝かせるといいだろう>
そう言ってサージュはリビングに戻り、ソファでごろ寝をしながらあくびをする。ご飯までゆっくりするかと思ったところでラースが帰ってきた。
「ただいま、サージュ。何だい、凄い大あくびだね。家でゴロゴロしていてまだ眠いなんて羨ましいよ」
<帰ったかラース。なあに、退屈はしてないから問題はない。ではご飯ができるまで休むとしよう>
「? 休んでたんじゃないのかい?」
不思議がるラースには返さず、サージュは口元に笑みを浮かべて目を瞑る。
愚痴のひとつも零さないサージュはただただ紳士であったとさ。
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