第九十二話 壊れた心


 ウルカがふたりの先生に手を触れると、一瞬びくんと体が跳ねてぐらりと体がふらつくのが見えた。母さんと兄さんが二人を支えるのが見えてホッとする。

 しかしそれも束の間、グリエール皇帝の幽体が片手で頭を抑えながら俺に手を伸ばす仕草を見せてきた。


 「こ、こうなれば小僧の体でも構わん……お前からは力強さを感じる……」

 「なんという執念……! 君、危ないから離れなさい!」

 「は、はい!」


 憑りつかれたら俺では対処できないかもしれない。後はウルカと目の前のおじさん……ジンガさんに任せた方がいいだろうと後ろに下がる。その時、グリエール皇帝が魔法を放ってきた。


 「<ウインドストリーム>!」


 パァァン!


 「なんだと魔法障壁……!?」

 「子供が高度な魔法を……い、いや、今はそれどころじゃない! 『説くは徳。開放するは悪徳。魂に安らぎをあたえ眠りにつかせたまえ』!」

 「ぐうう……!」


 俺が距離を取ると、杖を突きつけて文言を唱えるジンガさん。グリエール皇帝は苦しみ、あと一歩で消え去るはずだ。


 「おのれ……おのれぇ……ここは私の国だ……! 貴様らにはやらんぞ! <ウインドストリーム>!」

 「うおおお!?」

 「ああ!?」


 怒りに満ちた表情のグリエール皇帝が手をかざし、ジンガさんを吹き飛ばした。文言に集中していたジンガさんが一瞬で壁に叩きつけられた。フリーになったグリエール皇帝が真っ直ぐ俺の下へ文字通り飛んでくる!


 「小僧……いや、この際ガキなら誰でもいい、若くて強力な体をよこせ!」

 「くっ!?」

 

 自分で言うのもなんだけど、この俺の力はかなり強力だ。もし体が奪われればこいつは調子づくに違いない。

 しかし俺が避ければマキナや兄さんに被害が及ぶ。王妃様は大人だから耐えることができただけだったらと思うと『憑りつかせて後で始末』という策は使えない。一度俺が受け入れるか? そう考えたところで、ベルナ先生の声が響いた。


 「『ここにあなたを受け入れる器は存在しない』」

 「……!」


 バチバチ!


 「うぬ……これは……」


 俺の一歩手前まで来ていた皇帝の手が淡い光に弾かれ、慌てて後ずさる。すぐ後ろから、今度はティグレ先生の声が聞こえてくる。


 「お久しぶりですねグリエール皇帝。450年ぶり、というところでしょうか? この国はあの時滅んだ。故に、あなたの国などではない」

 

 穏やかに喋るその言葉はティグレ先生のものとは違うと感じる。二人が俺の前に立ち、話を続ける。


 「……お父様、もういいでしょう? 私達はもう、この世のものではありません。帝国時代の人々をいくら蘇らせたところででてくるのはアンデッドだけ……。彼らと共に、私達も天へ帰るべきです」

 「お前……レイナか? それにテイガーだな? ……くく……お前達も蘇ったか……! いいぞ、過去のことは水に流してやろう。私のための器を用意すれば。テイガーとの結婚も認めてやる」


 ドゴン、とアースブレイドで床を破壊しながらそんなことを言う。しかし、ティグレ先生の中にいるらしいテイガーさんは首を振ってから口を開く。


 「……変わりませんね、あなたは。そうやって脅し、命令すれば怯えてついてくるとまだ思っている。恐怖政治の結果、民が反旗を翻したとなぜわからないのです?」

 「うるさい! お前がレイナを唆したからだろうが……! 何が聖騎士だ……戦争に巻き込んでレイナを死なせたのは貴様だろうに!」

 「それは違うわお父様。私は私の意思で参加したのです。私がお父様の下から離れることで、間違いを正せると思って……」

 「しかし結果お前は死んだ! お前の母と同じく、私を残して! そしてテイガーに討ち取られた……」


 レイナさんが胸に手を当てて涙を流し、グリエール皇帝にも事情がありそうな話をする。だけど、人を苦しめてしまった罪は消えないので、クーデターは起こるべくして起こったのだろう。

 最初は小かった棘はじわじわと侵食するように人の心を壊していくのかもしれない。俺も前世ではどこか心がおかしかったのでグリエール皇帝の気持ちは分からなくもない。


 「おしまいにしましょうお父様……! 『我等と共に天へと導かれよ。生あるものを脅かすことならず。退け、退け』」

 「お、おおお……!? ま、まだだ……わ、私は……」

 

 レイナさんの言葉を受け、苦しむグリエール皇帝。魔法を放とうと手を伸ばすと、レイナさんとテイガーさんがその手にそっと触れる。


 「な、なんの真似だ……!?」

 「いいんです。もう終わりましょう……お母さまが亡くなるまではあんなに優しかったお父様……これからはずっと一緒に居ますから……」


 テイガーさんも悲し気な顔をして皇帝へ言う。


 「運命だった、とは言いたくありません。ですがすでに結果は出ています。あなたが民を苦しめたことも、ひとつのすれ違いに過ぎないことを僕は後で知りました。その後悔がこうして彷徨うことになったのでしょうが、我々は過去の人間。今を生きている人達を押しのけて今更何ができましょう? そうではないですか……お義父さん」

 「……」


 テイガーがそう言うと、グリエール皇帝はバッと手を振り払い天井を仰ぐ。


 「……く、くくく……相変わらず甘いな、お前達は……」

 「お父様……」

 「だが、まあいい。興が削がれた。このまま大人しく消えてやろうではないか」


 グリエール皇帝は先ほどまでとは違う笑みを浮かべてそんなことを言い、国王様へ目を向ける。


 「今の王よ。家族だからいつでも話ができるなどとは思わんことだ。人はいつ、どういったことで死ぬか分からん。『分かってくれる』など考えるな。それは信用ではない、逃げにすぎん。私もフランとレイナと……いや、今更か……」

 「グリエール皇帝……」

 

 グリエール皇帝はそう言って目を瞑る。家族に向き合わなかった、いや、向き合えなかったのは恐らく彼なのだと俺は思う。


 そして最後に、


 「アンデッドはもう動かなくなったはずだ。安心するがいい。そして勇敢な子供たちよ、お前達のような者が国を支えていって欲しいものだな」


 その瞬間、光の粒子になってグリエール皇帝は消えた。するとゾンビやスケルトンも動きを止め、その場に崩れ落ちていく。


 「終わったんですの……?」

 「そのようだな……」

 「人の心はわかっていたはずなのに、グリエール皇帝はどうして圧政をしいたのかしら……」


 肩で息をするグレースさんとヴェイグさん、それにシーナさんがそれぞれ口を開く。そこへフリューゲルさんが誰にともなく返す。

 

 「負の連鎖、というやつかもしれませんな。奥方に死なれ、国を良くする約束でもしたのでしょう。それが空回りしてどんどん悪くなっていく……あり得ない話ではありますまい」

 「では、女遊びが酷く、金が無かったというのは……」

 「450年も前のこと。正しく伝承が伝わっているかは確認のしようがありませんからなあ。つい百年前の出来事ですらあやふやだったのですし」


 そう言って俺の方を見て笑う。【器用貧乏】もはっきりと能力が分からないままハズレだと評されたので、そういう意味では似ているかな? こっちは使い方が分からなかったことが大きいけど。

 

 ま、それはおいといて俺はみんなの下、特に思い通りの力を発揮してくれたウルカに手を貸す。


 「助かったよ、ありがとう」

 

 俺がそう言うと、鼻血を拭いながら笑う。


「ううん、怖かったけど僕にもできることがあって良かったよ。あまり好きじゃなかった力だけど、レイナさんとテイガーさんみたいに、会いたい人に会わせることができたのは……嬉しかった」


 そう言いながらレイナさんたちに目を向ける。さらに兄さんたちも加わって俺の周りが一気に賑やかになり、兄さんが開口一番口を開く。


 「なんとか助かったね」


 それに頷いて、俺は改めてみんなを見渡して聞く。


 「うん、兄さんもお疲れ様。指示を出すところ見てたよ? それとみんなケガとか無い?」

 「ちょっと腕を切ったけど平気ー!」

 「わ、私は怖くて戦ってない……」


 マキナはまだぶるぶる震えていて、相当苦手なんだなというのがはっきりわかる。肩を掴んで落ち着かせてあげることにしよう。

 そうしていると、兄さんがレイナさんたちを見ながら呟いた。


 「僕も大丈夫。母さんの薬もあるしね。それより、あの二人ってどうなるんだろ?」

 「後を追うって言ってたし、成仏するんじゃないかしら?」


 母さんが腰に手を当ててみていると――


 「いつか、あなたにお礼を言いたかった……この時が来るなんて思っても見なかったけど……」

 「僕もだよ。君が死んでからどれほど心が痛んだことか……」


 そして、ふたりの顔が近づき、唇と唇が合わさった。


 「「「「あ!?」」」」


 もちろん慌てたのは俺達である。その体、ベルナ先生とティグレ先生の体なんだけど……!!

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