第45話 王
老医者の鼻水を拭い取るのに時間がかかったため、オレが王の間に通されたときには既に、馴染みの顔ぶれが一通り揃っていた。
ドレスで着飾りまるでお人形のようなるると相変わらず美しいメリナ姫が 、赤い絨毯に沿って並んでいる。オレの目の前にはルッカがおり、こちらに気がつくと小さく手を振ってきた。正面に見える天蓋つきの玉座の横ではリエールがじっと控えている。
「お前がシンだな」
良く通る凛々しい声が玉座の主から発せられ、オレは思わずその場に片膝をつき、頭を下げてそれに応えた。とっさのことで王の姿を良く見ることは出来なかったが、声の雰囲気からは自信に満ちた成功者の威厳を感じた。
ロザレスは豊かな国だ。
その歴史は長く、昔から大国として一目置かれる存在ではあったのだが、現国王になってからというもの、その博愛主義が巻き起こす、異国との文化、技術交流が効を奏し、更に発展著しいと評価は鰻登りだった。
今、目の前の玉座に座っているのが件の名君なのだ。
その王がゆっくりと立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。足音がコツコツと部屋に響き渡り、しばらくすると綺麗に磨きあげられた革のブーツが目の前でぴたりと止まった。ここで止まるのか? つい、体が強ばる。
「いやいや、そんな緊張しないで。取って食べたりしないから」
さきほどの重厚さとは打って変わって近所の気のいいおじさんのような砕けた調子の声が頭上から降ってきたので、オレは驚いて顔を上げた。
そこには、メリナ姫と同じ栗色の髪に清潔に整えられた顎髭のダンディなおじさまが、こちらに手を差し出し立っていた。たれ目の人懐こそうな柔和な笑みにつられて、呆然としつつもその手を握り返すと、ロザレス王はそのままオレを引っ張り上げた。
そんなに開ける?というほどボタンの外されたシャツから覗き見える胸元が、目に見えそうなほどの色気を醸し出している。王はオレの肩に優しく手を置き、力強い眼差しを向けた。
「シン。ドラゴン退治ご苦労だった。正直あれにはかなり手を焼いていたんだ。感謝する」
「あっ、いやっ、その、オレは何も…」
王から直々に感謝されるだなんてあまりに恐れ多い。だから、まごついてしまった。実際ドラゴンを倒したのはウーパーであって、オレは結局何もしていない。あわあわするオレの様子を気にとどめるでもなく、王は続けた。
「ロザレスから褒美を渡したいんだが何か望むものはないか?」
オレは慌てて手を振り拒否する。
「いやそんな! そんなつもりじゃないので」
「遠慮することないわ、シン。父様はこう見えてお金持ってるんだから」
るるが横から野次を飛ばしてきた。そういえば、るるも初めて会った時に、ドラゴン退治の報酬を出すと言っていた。しかし、報酬欲しさにドラゴン退治に付き合った訳ではないので、急に褒美をくれると言われても、果たして貰ってもいいものか、そもそも何を望んだらいいのか、皆目検討がつかなかった。
オレの迷いを見透かしたように王が優しく笑った。
「まぁ今すぐに決めろとは言わないよ。思い付いたら何でも言ってくれ。ロザレスに出来ることならなんでも対応しよう」
そう言って、王はオレの肩を2、3度軽く叩くと今度はルッカに向き直った。
「ルッカ王子。この度のドラゴン退治の件、誠に感謝する。そして何より、今まで交流の無かったハッピーラッキーランドとロザレスがこのような形で繋がったこと、大変喜ばしく思う」
その言葉に、ルッカがいつになく真面目な面持ちで恭しく頭を下げた。
「超大国ロザレスの王にそのような言葉をかけて頂き光栄に存じます。我が父王もさぞ喜ぶことでしょう」
ルッカの言葉にロザレス王は満足そうに頷いた。ルッカはこんな殊勝な態度も出来るのかとオレは内心驚いた。ドレスを着飾ったるるも、きりっとした表情のルッカも、今までオレと一緒に旅をしてきた2人とは別人のようだ。
胸がざわざわと騒ぎ出す。だけど、その感情に気がつかない振りをしてやりすごす。
ロザレス王はルッカをしげしげと見つめたあと、意を決したように大きな咳払いをして、部屋中に響き渡る声で高らかに宣言した。
「ハッピーラッキーランドはルッカ王子と我が娘メリナの結婚を許す!」
その瞬間、るるが口をあんぐりさせるのが目に入った。るるは、ルッカが王子であり、かつドラゴンを倒した以上、メリナ姫と結婚できるということを完全に忘れていたようだ。
動揺のあまり餌を求める金魚さながら口をパクパクさせるるるの隣でメリナ姫は覚悟を決めたように口元に微笑を湛えていた。
結婚の条件を決めたのは他ならぬメリナ姫だ。当然彼女に拒否権はない。だが、るるの話ではメリナ姫はリエールが好きだったはずだ。だからるるは、メリナ姫が望まぬ結婚をしないように先回りしてドラゴン退治という危険を犯したのだ。
一緒に旅をしていくなかで、リエールだってメリナ姫のことを大事に想っていることは容易に察せられた。だが、当の本人は玉座の側で静かに控えたまま、今どういう心境なのか、その表情からは読み取れない。
国と国が絡み合うこの一大事に庶民のオレはどうすることもできない。
当事者であるルッカがロザレス王に掌を向け、笑顔で言った。
「あっ、大丈夫です」
広い広い王の間にシーンと聞こえそうなほどの静けさが広がった。王は何度か瞬きを繰り返したあと、仕切り直すように咳払いをして再びルッカに言った。
「メリナ姫との結婚を許す」
「大丈夫です」
ルッカはさきほどと変わらない笑顔でロザレス王に掌を向けている。 王は首を捻った。
「『大丈夫』というのは、その…どっちの意味にも取れるので念のため確認なんだが…メリナと結婚するんだよね…?」
ルッカは自分の意志が上手く伝わってなかったことにようやく気がついたと見え、あぁと少し目を見開いた後、とびきりの笑顔で言った。
「メリナ姫とは結婚しません。メリナ姫、大丈夫です」
目の前で手をぶんぶん振りメリナ姫をお断りするルッカに王は「えっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「メリナと結婚しないの? なんで??」
「うーん…素敵な人だとは思うけどそういう好きじゃないです」
「親の贔屓目抜きにしてもすごく美人だと思うよ?!」
「まぁ…。でもボクの好みとは違うかなー」
「ああ見えて意外とボンキュッボンのナイスバディだし」
「ボク小ぶりで良いです」
「…お父様もうやめてください」
メリナ姫が口元に微笑を湛えたまま口を挟む。隣のるるがルッカを指差して怒鳴った。
「ルッカ! メリナよりいい女なんてこの世にそうそういないわよ。メリナの気に入らない点を言ってみなさいよっ!」
るる、お前はメリナ姫を結婚させたくないのか、させたいのか、どっちなんだ。
るるの売り言葉にルッカが何やら指折り数え始めた。まだなんとか口元に微笑を湛えながら、メリナ姫がるるを宥める。
「…るる、人には好みがあるのよ。だから気にしないで。ルッカ王子も真面目に考えな―」
メリナ姫が言い終わらないうちに、王の間の扉が勢いよく開き、礼服をきっちり着こなした壮年の男を筆頭に、城の使用人と思われる人々がぞろぞろと部屋に入ってきた。中にはまだ幼い年頃の少年少女も混ざっている。
「宰相、どうした…?」
王の間に居たみんなの視線がその集団に集まるなか、王が先頭のきっちりした男に驚いたように声をかけた。彼らの登場は王も預かり知らぬことのようだ。宰相と呼ばれた男は黙ったまま、視線で後ろの使用人たちに合図を送る。合図を受けた使用人が横断幕をばっと広げた。宰相が音頭を取る。
「せーのっ!」
「「「メリナ姫、ご結婚、おめでとうございます」」」
トランペッターが奏でる陽気な音楽に合わせて宰相や使用人たちが、笑顔でメリナ姫に盛大な拍手を送った。ロザレス王が大慌ててそれを止めさせる。
「ばかたれっー! メリナちゃんはついさっき結婚断られたの! 今はそっとしてあげて!!」
「「「えっ!?」」」
宰相と使用人たちはメリナ姫とルッカを交互に見やり、王の言葉に嘘が無いことを察すると、気まずそうにすごすごと部屋を去っていった。扉が閉まる直前、
「メリナ姫振られちゃったの? 可哀想…」
と、心底から哀れむ子供の言葉が、部屋に残った者たちの空気を一層重たくした。メリナ姫は口元に微笑を湛えたままのように見えたが、自分ではコントロールできない痙攣が彼女の口元をピクピクとひくつかせていた。
「…さてと」
王が何事もなかったかのような笑顔でみなを振り返った。
「メリナ、気を取り直して、結婚の条件決め直そっか」
メリナ姫がひきつった笑顔で答える。
「お父様、私やっぱり結婚できませんわ」
ロザレス王が傷心の愛娘を慰めようとメリナ姫に近づきながら言った。
「ルッカ王子に振られたからって落ち込むことないぞ。王や王子は他にもたくさん居るんだから」
メリナ姫が大きく首を左右に振った。彼女はもう笑っておらず、その目にははっきりとした意思の強さが宿っていた。
「他の国の王や王子とは結婚したくないのです。私はこの国やこの国に住む人々とともに生きていきたい。猪突猛進なるるや天衣無縫なルッカ王子の生き様を見て、ずっと私の心の中にあったわだかまりの正体が分かりました。私の人生ですもの、どうするかは私が決めます」
ロザレス王はメリナ姫の突然の告白に困惑を隠せないようで、整った顎髭をしきりに触り始めた。
「るるならまだしもメリナがそんなことを言い出すとは…。俺はお前たちよりも人生経験豊富だから言わせてもらうが、王や王子と結婚することがお前たち姫にとって1番の幸せだと思う。お前たちが他国の王や王子に嫁いで何か問題が起きれば、俺はロザレスの総力を賭してお前たちを守れるが、王や王子以外と結婚した場合、却って手が出せなくなるのだ。王というのは他国の王とは対等に戦えるが、庶民には結局勝てない。そういうものだ。そして、お前たちが嫁いだ人間をロザレスの王族に加えていくことも出来ない。世継ぎ争いの火種の元だ。家族が争うことほど悲しいことはない。だからメリナ、分かってくれ」
「ですから結婚はせず一生独身を貫きます。それならば争いの元にもなりませんし、良いでしょう?」
メリナ姫は頑なだ。ロザレス王は娘をどう説得したものかと、ふぅと深い溜め息をついた。
「確かに結婚だけが幸せではないが、愛し愛されるパートナーがいるということは本当に幸せなことだぞ。この幸せを娘たちにも分かってもらいたいという俺の親心、どうしたら伝わるものか…」
メリナ姫は決して結婚したくないわけではない。好きな相手がいる以上、その相手以外とは結婚出来ないと言っているだけなのだ。オレは恐る恐る手をあげた。みんなの視線が集中し、オレの心臓はどぎまぎした。
「あの! さきほど王は褒美を下さると仰いました。お願いがあります」
王が片眉をあげて促した。
「ほう。言ってみろ」
言うと決めたものの、本当に言っていいものか、実はまだ決心がつかない。でも、ええい、ままよ!
「メリナ姫を王とか王子とか関係無く好きな人と結婚させてあげてください。お願いします!」
オレの望む褒美に王は驚いたようだった。その視線に耐えかねて、床に頭を擦り付け、恥も外聞もなく頼み込む。駆け寄ってくる足音があった。るるだ。隣に座り、彼女もまた頭を下げた。
「父様、私からもどうかお願い。それがメリナにとって1番の幸せよ」
「しかし長年続いてきた決まりでもある…」
ロザレス王が躊躇うのはもちろん、メリナ姫も手を口元にやり、この展開の行方を不安げに眺めている。とどめとばかりにルッカがロザレス王ににじり寄った。
「王様は好きな人を何人も妃にしてるんでしょ?それはずるいと思います」
「いや、それは、王は誰と結婚しても良いって決まりだから…って、そうか!」
王は何かを閃いたように手を打ってメリナ姫に駆け寄り、彼女の肩を激しく揺らした。
「メリナ、お前がこの国の王になれ。そうすれば、この国にもずっと居られるし、王や王以外の人間とも結婚できる」
メリナ姫は突然の展開に面食らったようでしばらく瞬きを繰り返していた。が、やがて俯くと、子犬のように目を輝かせる王から、後ずさり離れた。
「でも、そんな理由で王になんてなってはいけないわ」
ロザレス王は少し屈んでメリナ姫の顔を覗き込み、優しい笑顔を向けた。
「俺には今のところ息子が居ないから、どちらにせよ時期が来たら次の王を見繕わないといけなかったんだ。その時期が早まっただけだよ」
メリナ姫は胸に手をあて、しばらく悩む素振りを見せたが、すぐさま不安気な表情で首を振った。
「やっぱり駄目! 私の幸せのために国民を巻き添えに出来ない」
メリナ姫の悲痛な思いが部屋中に響き渡った。そのとき、それまで身動きひとつせず終始黙っていたリエールがメリナ姫の方に歩み寄り、片膝をついて浅葱色の瞳でまっすぐ姫を見上げた。
「メリナ様。私はあなたほどこの国を愛する人を知りません。その気持ちだけであなたの愛する国民は幸せに暮らしていけます。それに、宰相も、未熟ながら私も全身全霊でサポートいたしますので安心して国をお治めください」
メリナ姫は小さく息をのみ、頬を赤らめた。そして、自身の小さな手をぎゅっと握り締め、意を決したようにリエールに問いかけた。
「ならばリエール…ずっと側にいて私を支えてくれる…?」
リエールは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに破顔し、即答した。
「私で良ければもちろん。ずっとあなたのお側におりますよ」
メリナ姫は周りの目も気にせずリエールに抱きついた。リエールはオレが出会ってから見せる1番穏やかな笑顔でメリナ姫を抱き留めている。
オレの隣でるるが涙をこっそり拭った。本人は泣いていることがバレていないと思っているようだがバレバレだ。笑顔で泣いているのできっとこれは嬉し涙なのだろう。オレとルッカは顔を見合わせて笑った。
娘に玉座を譲る決意をしたロザレス王が両手を高く上げ叫んだ。
「そうと決まればいろいろまとめてパーティーだ!城中の酒を持ってこい!!」
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