第41話 天翔る

 荒々しい呼吸とともに近づいてくるドラゴンに、恐れをなした1人の兵士がわめき声を上げながら神域の外へ向かって走り出した。ドラゴンの爛々とした目はそれを素早く捉え、喉の奥で低く唸ると、大きく開いた口から勢いよく炎を吹き出した。炎はまたたく間に兵士を飲み込み、その場は遺体も残さず焦土と化した。


 また1人、人が死んだ。


 ドラゴンがその気になれば人の命などこんなにも儚い。


 呆然と立ち尽くすオレの頭上に大きく鋭い爪が振りかざされた。オレは避けきった、つもりだったが右腕の包帯が爪に引っ掛かりそのまま近くの岩に叩きつけられた。


「うっ!」


 背中をしたたかに打ち付け一瞬呼吸が止まる。右腕は恐らくまた折れた。こちらに走ってこようとするルッカに折れてない方の手で合図を送る。


「オレが囮になる! 今のうちにみんなを連れて逃げてくれ」


 そう言って、なんとか立ち上がり、ナイフを構えドラゴンに対峙した。ルッカが顔色ひとつ変えず言った。


「断る」


 オレはドラゴンとにらみ合いながらルッカに返す。


「何言ってんだよ! もとはといえばオレは死にたかったんだからこれで良いんだよ! ルッカだって知ってるだろ」


 ドラゴンが今度は横殴りに爪を振りかざす。それを今度は確実に避け、オレはルッカと出会う前の日々を思い出していた。


 もともとオレは死ぬために旅をしていたのだ。それなのに、ルッカとの出会いがオレに希望を与えた。だから、ここまでずるずる一緒に旅してきた。


 だけど、当初の目的が叶う時、それは今なんじゃないか? 


 オレを捕らえ損ねたドラゴンの爪が、振りかぶった先の岩を砕きその破片を辺りに散らした。飛んでくる破片をるるが鞭で振り落とす。オレはるるに叫んだ。


「るる! みんなと逃げろ」

「シンも一緒に逃げるなら」


 るるは両手でなんとか鞭を振るっている。彼女はここまで来るのに体力を使いすぎている。他人のことを心配するほどの余力は無い。再度説得にあたる。


「1人が囮になっているうちに逃げる方が助かる可能性は高いだろ! オレのことはいいから早く逃げろ」

「なら断るわ」

「ウーパー」


 ウーパーがるるのマントから顔を出し、るるの言うとおりだとばかりに相づちをうった。


 誰もオレの言うことを聞かない。歯噛みするオレの脇腹目掛けて、ドラゴンの爪がまたしても襲いかかってくる。


 リエールとウルがオレを押し退けてオレと爪の間に入りその攻撃を防いだ。爪と刀と剣が嫌な音を立て、しのぎを削る。リエールとウルはしばらく地面を滑りながら踏ん張っていたもの、ドラゴンの圧倒的な力に耐えきれず横に飛びすさった。立ち上がりざま片膝をつき肩を上下させながらウルが呟く。


「あわよくばかたきをとれたらと思いましたが、これは想像以上ですね…」


 隣でウルと同じように荒々しい呼吸を繰り返すリエールがやけくそ気味に微笑んだ。


「全く…触らぬ神に祟りなしですよ。シン! 私たちがしんがりを務めます。みんなと早く逃げてください」


 それではリエールとウルが生きて帰れるか分からない。オレはたまらず叫んだ。


「だからオレが囮になるからみんなが先に逃げてくれって言ってるだろ! オレは生まれたときから不幸だから、みんなより不幸に慣れてる!」


 リエールが浅葱色の視線を寄越し、冷静な声音で言った。


「なら、なおさらあなたが先に逃げてください。あなたは本当に死にそうです。私は絶対に死んでなんかやりません」

「!!」


 ルッカがオレの左腕を掴み神域の外へ向かって走り出した。それを確認して、るるもウルの部下たちも走り出す。気絶したままのメドウ王子も忘れずにちゃんと運ばれている。腐っても一国の王子なのだ。さすがに置いてはいけない。


 リエールとウルがドラゴンと対峙しながら、こちらの様子を伺い、自分たちもいつでも逃げられるように退路を確認している。兵士たちとるるが先に神域から外に出た。


 鎖の可動域が広くなったとはいえ、あそこまではドラゴンも追ってこられないだろう。オレとルッカもあと200メートルで神域から脱出できる。るるがウーパーを抱き、こちらをまだかまだかと心配そうに見ている。


 あと100メートル。もう少しだ。


 神域からでたらリエールたちを援護しなくては。そんなことを考えていた矢先、突風が吹くとともにオレとルッカの頭上を突然暗い影が覆った。るるの悲鳴が聞こえる。


「避けて!」


 頭上を振り仰ぐと、ドラゴンがその鋭い爪を振り下ろすところだった。オレたちはその気配に全く気がつかず、獲物を狙う鋭い爪はもう目の前まで迫っていた。それは一瞬の出来事のはずだが不思議とスローモーションのようにゆっくりと感じた。


 リエールとウルが慌てた様子でこちらに走ってくるのを目の端に捉える。彼らに大きな傷は無い。逃げるオレたちに気がつき逃がすまいとしたのだろうか、ドラゴンはターゲットをこちらに変更したのだ。


 神域の外まであと100メートルも無かったのに、なのにオレもルッカも逃げられない。オレはとっさに目を瞑った。


「ウーパーッ!」


 聞き慣れた啼き声に目を開くと、目の前をウーパーが横切っていた。オレたちにその小さな背を向け、体を目一杯広げてドラゴンの爪を受ける。


 瞬間、赤い鮮血が飛沫をあげた。その小さな生き物は、力なく地面に落ちると、奥底でマグマが煮えたぎる亀裂に向かって、ころころ転がっていく。


「ウーパー! 死ぬな!」


 間一髪滑り込みでウーパーのしっぽを掴み、奈落の底へ落ちるのを防いだ。駆け寄ってきたルッカと2人でウーパーを引き上げる。


 仰向けにすると喉元の傷を中心に体中血だらけになっている。青息吐息のウーパーは聞いたことのないほどの低い唸り声をあげて苦しんでいる。


 こんなに深い傷、どうしたって治らない。


 そう思った瞬間、涙がぶわっと溢れてきた。泣いてる場合じゃないだろうに、涙で滲んで前が見えない。どうしてオレなんか庇ったんだ。いや、ルッカを庇ったのか。もうどっちだっていい。


 ルッカはというとじっと黙ってウーパーを見つめていた。そして、何かに気がついたように目を見開いた。


「ウーパーってもしかして…」


 その先の言葉を聞く間もなく、ドラゴンがまた爪を振り下ろす。血まみれのウーパーを抱えながら、今度はきっちり避けた。振り下ろされた爪は亀裂に挟まり、ドラゴンは咆哮をあげて地を震わせた。


「やばい! また揺れてる…」


 オレとルッカはお互い支えあい、揺れをしのいだ。そうしている間にもウーパーは低い唸り声をあげ続けている。激しい地響きとともにドラゴンが爪を引き抜いた。


 その衝撃で亀裂がさらに大きくなり、オレたちの立っていた地面は音を立てマグマに向かって崩落した。


 体が宙に浮きウーパーとルッカともどもまっ逆さまに落ちていく。マグマが次なる犠牲者を飲み込もうと赫赫と待ち受けていた。煮えたぎるマグマの音が、匂いが、そして何より、熱が、すぐそこまで来ている。オレとルッカの叫び声が亀裂の中でこだました。


「「うわぁーっ!!」」


 そのとき、不思議なことが起こった。叫び声に呼応するかのようにウーパーの体が突然光り始めたのだ。ウーパーはオレの腕をすり抜け、みるみるうちに姿を変えていく。枝分かれした大きな角、長く立派な髭、そして鱗に包まれた蛇のように長いその体躯。


「禹ー覇ー!」


 ウーパーは空気を震わすほどの低い啼き声をあげ、頭上にオレとルッカを載せると、亀裂の谷を飛翔した。ウーパーがもう一啼きすると稲光とともに驟雨が地上に降り注いだ。


 安否を確認しに亀裂の縁に集まっていたるるやリエールがぽかんとこちらを見上げている。何が起きたのか理解が追いついていないのだろう。


 ウーパーはドラゴン目掛けて脇目も振らず空を翔ける。ついに大きな眼と眼が相対した。火花でも散らしそうな勢いだ。


 両者を取り巻く空気が肌に痛いくらいにビリビリと震え、その場の緊張を伝えた。


「もしかしてウーパーは怒ってるのか?」


 ふとした疑問にルッカが力強く頷いた。


「さっき見えたんだけどウーパーの顎の下に逆さに生えている鱗があった」


 オレは目を見開いた。


「それって…」


 ルッカの髪が雨風に揺れる。その金色の隙間から見える表情は希望に満ちている。


「逆鱗だよ。ウーパーは竜だったんだ。そしてこのドラゴンはウーパーの逆鱗に触れた。ドラゴンは怒り狂ったウーパーに倒され、代わりにウーパーがこの山の神になる」

「そしたら火山はどうなる?」


 そうルッカに聞いてはみたがオレには答えが分かっていた。ウーパーが姿を変えてから、神域の中の圧が最初に足を踏み入れたときよりも確実に増している。さらに地上からあれほどはっきり見えていた灼熱のマグマが少しずつではあるが地下深くに引き始めている。ルッカはニカッと笑った。久しぶりのいつもの笑顔だ。


「火山は噴火しない。頭の上で電球が光ったからきっと大丈夫!」

「禹ー覇ー!!」


 ウーパーがドラゴンに向かって飛びかかった。慌ててウーパーの角を掴み、振り落とされないようにしがみつく。片腕で踏ん張るオレをルッカが後ろから支えてくれた。


「「ウーパー行けぇっ!」」


 ウーパーは自身の細く尖った爪でドラゴンの振りかざした爪を腕ごとスパンと切り捨て、その強靭な顎でドラゴンの喉笛に食らいついた。もがくドラゴンのくぐもった声があたりに響く。ウーパーは鼻に皺を寄せ、その鋭い牙を剥き出しに力一杯振り絞り、ようやくドラゴンの喉元をひきちぎると、ドラゴンの血を滴らせながら天に翔け昇った。憐れなドラゴンは悲痛に満ちた断末魔をあげながら、大きな音と飛沫とともにその身をマグマの中に沈めた。


「ドラゴンを倒した…」


 ルッカと目を見合わせた。ドラゴンも倒したし火山も噴火しない。ルッカの笑顔がそう確信している。


 体からすっかり力が抜けて安堵の息がこぼれた。ウーパーの頭上は心地のよい風に包まれている。イルドラゴ山を覆っていた厚い雲はいつの間にか霧散し、青い空から太陽の日差しが燦々と地上に降り注いでいる。 空の上からでもるるが泣き笑いしているのが分かった。


 長い長い戦いがようやく終わったのだ。

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