第40話 決断

 雨はすっかり止んでいる。しかし、重量感のある黒い雲は山の上空一面を覆い、ドラゴンの咆哮と呼応するように稲光り、そして雷鳴を轟かせていた。


 魔女からの手紙はオレの手中で羽を休めている。みんなが恐る恐るオレの手の中を覗きこむ。ルッカがそっと手を伸ばすとリエールが慌てて制止した。


「触ってはいけません!魔女の罠かもしれません」


 ルッカがさっと手を引っ込めた。


「たしかに」

「もう思いっきり触ってるんですけど?」


 みんなが憐れみの視線をオレに向ける。この人たちはたまに薄情だ。まぁいいさ。


 この手紙はリエールの言うとおり『欲しがりやの魔女』の罠かもしれない。だとしたら今ここで開けるのは得策ではないだろう。先にドラゴン退治を終わらせて、それからどうするか考えよう。


 そう思った矢先、手紙がバタバタと身をよじりだし、その封蝋がひとりでにペカッと開いた。オレ以外の3人が一斉に後ろに下がる。この人たちは結構薄情だ。


 オレが手紙を投げ出すまもなく、封の切られた封筒から1枚の便箋が滑り出し、鈴をふるような、それでいてどこか妖しさもある美声で、その身に綴られた文字を読み上げ始めた。


「急啓


 この手紙をお聞きになっている皆様におかれましては、荒れ狂うドラゴン退治に精を出されていることと存じます。その件につきまして、取り急ぎご連絡しなければならないことがあり、この手紙をしたためました。ドラゴンを倒してはなりません。ドラゴンが山から居なくなるとマグマを抑える圧が消え、イルドラゴ山は周辺諸国を巻き込む大噴火を起こします。美しい逆鱗欲しさに、結果として山の秩序を乱したこと、わたくしも責任を感じております。せめてものお詫びにドラゴンがわたくしを追って山から離れぬよう鎖で縛りつけておきました。逆鱗を奪われたドラゴンは大変狂暴ですのでどうかご自愛くださいませ。


 草々」


 便箋は内容を一気に読み上げると、ポンッと渇いた音をたて、封筒とともに紙吹雪に変化し、風に吹かれて飛んでいった。そんなことよりもなによりも、オレたちを驚かせたのはその手紙の内容だ。


 るるが手で口を覆った。明らかに困惑している。


「ドラゴンを倒しても、逃がしても火山が噴火するってこと? 噴火したらこの山どころかロザレスもマグマに飲み込まれるのよね? じゃあ一体どうしたら…」


 オレたちはドラゴンに視線を送る。怒りに加え、痛みで殺気が最高潮に達している。


 このままドラゴンを放置しておいたら山の動物たちの気性は更に荒くなり、山の恩恵を再び受けるどころの話ではない。狂気に満ちた動物たちが山から下りてくる可能性もある。悪食ガラスの獰猛さを思いだし思わず身震いした。ドラゴンを倒しても凶、倒さなくても凶。凶、凶、凶、凶、凶のオンパレード。


 それにしても『欲しがりやの魔女』は嫌な奴だ。ドラゴンの鎖を片方解き放ったタイミングでこんな手紙を寄越すとは、そうとう性格がねじ曲がっている。どこかでこの様子を観察しているのか、それとも鎖とドラゴンが離れたら手紙が届く仕組みなのか、それは分からない。そもそも、ドラゴンが居なくなると火山が噴火することも、なにもかも全て知った上で、それでも魔女は逆鱗を奪ったのだ。思わずぎりっと歯噛みした。


「『欲しがりやの魔女』ってのは最悪だな…」


 オレの言葉にリエールが首を左右に振った。


「最悪にして最強なのですよ。だからなおのこと、たちが悪い」


 ドラゴンがゆっくりと体を動かし、こちらに近づいてきた。ようやくオレたちのことを思い出したらしい。喉の奥から響く喘鳴がドラゴンの余裕の無さを感じさせた。手負いの獣ほど厄介なものはない。


 ここでのんびり話をしている時間はなさそうだ。決断の時は来た。不思議とみんなの気持ちは1つだと思った。ルッカが代表して口を開いた。


「山を降りよう」


 オレたちは一斉に頷いた。ドラゴンを倒せば噴火で即死、ドラゴンを倒さず下山すれば緩やかな死。ならば下山が消極的な最善策だ。


 そのとき、ようやく王子との一悶着を終えたウルがこちらに向かって歩いてきた。ウルの顔はまだ不機嫌そのものでメドウ王子への怒りは収まっていないようだった。一刻も早く作戦変更を伝えようとオレもウルに向かって足を踏み出す。そのときだった。


「!!」


 ドラゴンが天に向かって一際大きな咆哮をあげ、それに呼応するように激しい地響きが起こり、揺れにふらつくオレの目の前を大きな音をたてて亀裂が走っていった。その亀裂はまっすぐウルたちの一団を目指し、人間をいとも容易く亀裂の底へと呑み込んでゆく。


「ウルッ!!」


 ウルが亀裂の端になんとか掴まっている。無我夢中で走った。他の3人も後に続く。ウルの他にも何人か落ちずに耐えている兵士を見つけ、彼らを急いで引き上げた。メドウ王子は亀裂から離れていたようで何事もなく、ウルに殴られた時のまま伸びきっている。


 亀裂の底には赫いマグマが煮えたぎり、落ちた人影は既に跡形もない。亀裂の底を覗きながらウルは呻き声を漏らした。部下の死を嘆くその声にならない声をマグマのたぎる音が無情にも飲み込んでいく。


 山を登ってきたときに20人以上いた兵士がいまや数人しか残っていない。震えるウルの背中に掛ける言葉が見つからず、オレはただただ歯を食いしばってその光景を見ていた。


 ドラゴンは鋭い爪を振り下ろし、火口をさらに広げながら亀裂に沿ってこちらに近づいてくる。鎖の長さに限界はある。だが、地面を裂いて最短ルートを切り開かれたらどうしようもない。


 オレたちの最善策はあっけなく打ち砕かれた。

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