第38話 応援

 堪忍袋の緒が切れる。腸が煮えくり返る。怒り心頭に発する。怒髪、天を衝く。


 今のドラゴンの怒りはいったいどれほどのものだろうか。鎖に留められ、追撃できなくなったドラゴンはオレたち人間に興味を失い、西へ向かって耳をつんざく咆哮をあげた。ドラゴンの言葉は分からないが、その叫びからは激しい怒りを感じた。西の方角に逆鱗を持ち去った『欲しがりやの魔女』がいるのかもしれない。


 そもそもこの時間帯、通常ならばドラゴンは眠っているはずなのだ。リエールがドラゴンは夜行性だと言っていた。つまりは、眠ることさえもできないほどの激しい怒り。


『欲しがりやの魔女』の自分本位な行いは多くの人を不幸にしている。山からの恵みで生計をたてていた人々、ドラゴンや凶暴化した野生動物に襲われて亡くなった人々、そして山の神であったこのドラゴン自身。心優しいメリナ姫も巻き添えといって良いだろう。


『欲しがりやの魔女』は自分のせいで誰かが不幸になっても平気なのだろうか?


 オレにはその感情は全く分からない。オレはオレのせいで誰にも不幸になってもらいたくない。そして、あわよくばオレのおかげで誰かが少しでも幸せになってほしい。


 こんな大それた希望を持つようになったのは思うにルッカのせいだ。オレは変わりたい。このドラゴン退治で、オレは一つ前進したい。


「では、私とるる様、ルッカ王子とシンのチームに別れて左右の鎖を狙いましょう。1人が鎖を切る間にもう1人がドラゴンの注意を惹き付けてください。ドラゴンの真の狙いは恐らく『欲しがりやの魔女』一点のみ。とはいえ、近づけばさきほどのように攻撃されますので気をつけて」


 オレたちはリエールの作戦に従い、二手に別れ、ドラゴンを挟み撃ちにした。


 狙いはドラゴン自身ではなく、その脚元に巻かれた鎖だ。ルッカとリエールが鎖担当、オレとるるが囮だ。二手に別れたことでドラゴンはどちらを攻撃するか迷いが生じ、動きにキレが無くなっている。


 るるが華麗な身のこなしでドラゴンの爪を避けながら、鞭で一撃を食らわせたが、痛くも痒くもないのかドラゴンは微動だにしない。るるの大きなため息が聞こえてきた。


「鎖はまだ? そろそろ限界…」


 ルッカが戻ってきたチャクラムを続けざまに放る。だが、何度もそうであったように、鎖に傷をつけることすら出来ず、ルッカは手柄なしで戻ってきたチャクラムを握り直し、汗を拭った。


 ガラスのように透明なその鎖はガラスのように脆くはなかった。オレもカランビットナイフの柄で打撃を加える。だが、ひび1つ入らない。


 リエールが鎖を諦めて、ドラゴンの脚に刀を振り下ろした。鎖が切れないなら脚を切り離せば良い。皮膚は爪や鎖ほど硬くないようで、リエールの刀はドラゴンに僅かな切り傷を残した。


「きりがないですが、これで行くしかありません」


 リエールはドラゴンの脚の全く同じ箇所に、執拗に刀を振りかざした。少しずつ傷が深くなっていく。ルッカもチャクラムで微力ながら加勢した。


 だがこれでは剃刀で大木を切り倒すようなものだ。


 ドラゴンはかすり傷にさほど痛がりはしていないが、足元をちょこまかと動かれるのは嫌らしく、見るからに苛立ち、尻尾を激しく揺らし始めた。


 オレとるるはドラゴンの気をこちらに惹き付けようとドラゴンの目の前を大袈裟に動き続ける。


 火山の熱気と動きすぎによる酸素不足で立ちくらみがする。足がもつれ始めた。これではドラゴンと鎖が別れるより先に、オレたちがこの世から別れることになりそうだ。


 そもそも人間の手で壊せる鎖ならドラゴンが自分で壊せたはずなのだ。


 透明な鎖は、リエールやルッカでも傷をつけるのに一苦労なドラゴンの脚に深く食い込み、血を滲ませている。 


 ドラゴンが鎖をつけたまま『欲しがりやの魔女』を目指して何度も火山から出ようとしたであろうことが容易に想像できた。しかし、ドラゴンの圧倒的な力でも鎖は外せなかったのだ。


 そもそもこの鎖はどこから繋がれているのか、いつからドラゴンに繋がっているのか、誰がドラゴンに繋いだのか、どうしてドラゴンに繋がっているのか、分からないことだらけだ。それに、ドラゴンのことばかり気にしていたが火山だっていつ噴火してもおかしくない。スーパーラッキーボーイのルッカがいるとはいえ時間が経てば経つほど運だけではどうにもならなくなるだろう。


「詰んでる…」


 オレは思わず呟いた。言った瞬間、自分たちのしていることの無謀さを改めて実感し、一気に恐怖が押し寄せてきた。


 みんなが死ぬのは見たくない。他人は簡単に死ぬ。それはオレが1番良く分かっている。


 一旦退こう、そう提案しようと口を開きかけた、そのとき、遠くから人が叫ぶ声が聞こえた。


「リエール殿! ルッカ王子! 応援にきました。遅くなり、かたじけない!」

「ウル殿!」


 名前を呼ばれたリエールがドラゴンに切りかかる手を止める。こちらにやってくる白髪混じりの青髪の兵士を認めて、リエールは顔を綻ばせた。その体格の良い青髪の後ろから20人ばかりの兵士がぞろぞろと連れ立ってやってくる。彼らの中には小さなふわふわの花の紋章を武器に刻んでいるものもいた。


 山小屋を襲った兵士が身に付けていた認識票にも刻まれていたフィリペンドゥラの紋章だ。それでは、あれがメドウ王子一行なのだろう。


 ルッカが一行の中から睫毛長々の美少年を見つけ、ニカッと笑いかけた。


「かぼちゃパンツ王子も来てくれたんだね」

「黙れ! お前とは口も聞きたくない!」


 ルッカに敵意むき出しのこの美少年がオレたちに刺客を放ったメドウ王子のようだ。青髪のウルと呼ばれた兵士の後ろに隠れてピーピー喚いている。ウルが睨み付けるとメドウ王子は気まずそうに身を縮め押し黙った。


 迂回路での話は山頂で合流したときにリエールから聞いていた。ルッカ暗殺計画はメドウ王子の独断でウルは全く関与していないということ。にも関わらず主の愚行を自らを犠牲にしてまで詫びようとする誠実な人間だということ。そして、リエールほどではないが、腕のたつ剣士であること。


 4人ではとても無理だと諦めかけたドラゴン退治。それが今、突如として20人以上の戦力が増えた。


 諦めたころに希望がやってくる。これは諦めなければ願いは叶うという神様からのお告げなのだろうか。それとも、微かな希望に縋りつく人間たちを絶望に叩き落として楽しむ悪魔の戯れなのだろうか。

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