第37話 鎖

 火口に現れた極大なドラゴンは、それはそれは見事だった。


 赤黒い鱗に覆われたその体は、金属のような光沢を持ち、その肌の硬さを容易に想像させた。肉食であることを思わせる鋭い歯牙。その歯牙も露わな口元からは呼吸にあわせてちりちりと炎が溢れている。


 その姿形は人間に荘厳さと畏れを感じさせるのに充分だった。


(「山の神として崇められていたのも納得だな」)


 自分たちの置かれた状況も忘れてしばらく見惚れていると、ドラゴンはブラックダイヤモンドのような輝きを放つ極太の爪を振りかざし、オレたちの頭上に大きな影を落とした。


「避けろ!」


 リエールがるるを庇いながら叫んだ。その声に我に返ったオレとルッカはとっさに後ろに飛びはね、ドラゴンの攻撃をなんとかかわした。勢いよく振り下ろされた鋭い爪は、地面を震わせ、あたり一面を抉り取っている。


 さっきまでオレたちがいたその場所には一瞬にして大きな窪みが出来ていた。熱いはずなのに、冷や汗が首筋を伝う。こんな攻撃まともにくらったら即死だ。


 他の3人と言葉を交わす間もなく、第2撃が振り下ろされる。それもかろうじて避けきったところで、振り下ろされたドラゴンの爪の向こう側から、リエールが高く飛び上がるのが目に入った。


 気合いの声と全体重を載せ、愛刀をドラゴンの爪に振り下ろす。金属がぶつかり合う甲高い音が辺りに響いたが、リエールはあっけなく弾き飛ばされた。黒光りする研ぎ澄まされた爪にはひっかき傷一つついていない。


 ドラゴンの爪を挟んでオレとルッカとウーパー、リエールとるるの二手に別れている。リエールの攻撃を受けて、ドラゴンがリエールたちの方へゆっくりと一瞥を向けた。


「…っ!」


 リエールとドラゴンの目があった。ドラゴンは地面を震わすほどの咆哮をあげ、怒りを露わにした。この瞬間、ドラゴンの最初のターゲットが決まった。リエールはドラゴンとかち合った目を逸らさず、刀を構えたまま、るるを後ろ手に庇いってじりじりとさがった。リエールの額を大粒の汗が伝っている。この汗は、ドラゴンの羽ばたきとともに火山の奥深くから押し上がってくるマグマの熱気のせいだけではないだろう。


 その時だった。シャラシャラと何かが引きずられる音が聞こえてきた。


「シン、あれ見て」


 隣で、同じように耳を澄ませていたルッカがドラゴンの脚元を指差した。脚首に何かが絡み付いている。目を凝らし、そこに在るものを見極める。


「…鎖?」


 ルッカが頷いた。ドラゴンの脚首にはガラスのように透明な鎖が巻かれていた。シャラシャラ音はこの鎖が引きずられる音だったようだ。透明だから今まで気がつかなかった。ここからではその鎖がどこに繋がっているのか見えないが、鎖のたるみ具合から察するに遊びはあまり無いようだ。


 ルッカがリエールに向かって叫ぶ。


「出来るだけ火口から離れて! ドラゴンは繋がれてる! どこまでもは追って来られない!」


 リエールとるるは目を眇めた。しかし、すぐには鎖を見つけられず、言われた通り火口とは反対方向に走って逃げ出した。目を逸らし、背を向けた敵に、ドラゴンがここぞとばかりに追撃の大きな爪を振り上げたが、すかさずルッカがドラゴンの目の前にチャクラムを投げ、こちらに注意を引き付けた。ドラゴンが煩わしげに尾を振り、地団駄を踏んだ。地響きが腹の奥まで轟いてくる。ドラゴンの重たい図体がこちらに振り返った。


「シン! ボクたちも逃げよう!」


 ルッカに頷き、足下でじっとしていたウーパーを拾い上げ、リエールたちと合流しようと走り出す。ドラゴンが地を蹴りあげ飛翔した。振りかざした爪がオレの背中を捉えている。


(「まずい、避け切れない!)」


 そう思った瞬間、ルッカに力強く引き倒され、間一髪避けきった。転んですぐの横の地面に、ドラゴンの爪が食い込んでいる。


「早く!」


 ルッカが腕を掴んでオレを無理やり立ち上がらせた。


「悪い」

「どういたしまして」


 オレたちは全速力で走りきった。爪を地面から引き剥がし、追い駆けてきたドラゴンの影がオレたちを覆った。2撃目がくる。背中を無意識の冷や汗が伝い、爪の行く先を確かめようと、振り返った瞬間、ドラゴンの体が、グンっとつんのめった。その場から動かなくなり、低い唸り声をあげ、こちらを恨みがましく睨んでいる。鎖の長さに限界が来たようだ。


 オレたちは先に逃げた2人と合流した。リエールはドラゴンの脚元をじっと見つめ、ようやく透明の鎖を見つけたようだった。


「どおりで…」


 首を傾げたのはるるだ。


「なにが?」


 リエールは手の甲で額の汗を拭った。その表情にはなぜか希望の色が浮かんでいる。リエールはほくそ笑んだ。


「顎の下の逆鱗に触れられた竜、もといドラゴンは、その鱗に触れたものを殺すまで怒り狂うという言い伝えです。この言い伝えの通りであるなら、ドラゴンは逆鱗に触れた相手、『欲しがりやの魔女』を殺さないと気が治まらないはずなのです。ならば何故、このドラゴンは『欲しがりやの魔女』を追いかけず、いつまでもイルドラゴ山に留まっているのか、ずっと不思議でした」


 ルッカが汗ばむ前髪をかきあげながら、なるほど、と呟いた。


「あの鎖を断ち切れば『ドラゴン』VS『欲しがりやの魔女』の開幕ってわけだね」


 オレたち全員の視線がドラゴンに絡み付く鎖に一斉に集中した。

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