第34話 夜明け
手の届く範囲でカラスの骨をかき集め、足でそれを砕いた。体を軽くするためだろうか、カラスの骨は空隙が多く、踏みつけただけで簡単に折れた。折れた骨の先は尖り、指先で軽く触れるだけでもちくりと鋭い痛みが走った。
「シン、そろそろ限界みたい」
るるが鞭をしならせ、悪食ガラスを牽制しながら、今にも泣き出しそうな声で助けを求めてきた。悪食ガラスはエサの供給が途絶え、明らかに空腹で苛立っている。羽をばたつかせ、涎を撒き散らしながら、エサをくれないならお前たちを食うぞ、とばかりに鳴き喚いている。
ついに、しびれをきらしてオレたちに飛びかかってきた。
「るる、今だっ!」
オレは叫ぶと同時に鋭く尖った骨の欠片を、空高く投げあげた。それはまるでオレとるるの頭上に白い花びらが舞ったようだった。空はいつの間にか東雲色で、夜明けが近いことを知らせている。
「私、姫なのに! 人遣い荒いんだからっ!」
るるの叫びとともに、しなやかに振るわれた鞭が空中に弾けるような炸裂音を響かせた。鞭でしたたか打ち付けられた骨の欠片は鋭い切っ先を向けて、オレたちを取り囲むカラスに勢いよく飛び散っていった。
「「「ギャ゛ア゛ァ゛ア゛ア゛ッ!」」」
るるの鞭捌きは完璧だった。悪食ガラスの漆黒の体に白い骨の欠片が突き刺さり、その場は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄と化した。奴らは痛みに悶え苦しんでいる。だが、小さな骨の欠片では、るるが音速の鞭で払っても致命傷を与えることは出来なかった。
「死なない。どうしよう。倒せない」
るるは鞭を持つ右腕を左手でさすり、天を仰いだ。一晩中鞭を振るい続けた右腕は疲労から痙攣が止まらなくなっていた。ふらっと後ろによろめいたるるの肩を支え、オレはるるにニヤリと笑った。
「あいつらの食い意地を舐めるなよ」
「?」
るるが小首を傾げた。眉を下げ、困惑の表情で見上げてくる顔が艶めかしい。オレは暢気にそんなことを考えていた。そんなことを考える余裕があった。
しばらく痛みにのたうち回っていた悪食ガラスどもは、いともたやすく痛みを忘れ、代わりに空腹を思いだしたようだった。食べても食べても満たされない。いつだって空腹のこのカラスは、自身の隣にちょうどいいエサがあることに気がついた。白い骨が突き刺さり、傷だらけで血を流している新たなエサ。大きさは自分と同じ位だが弱っているから食べられるだろう、いや…食べたい!
悪食ガラスは弾けたようにお互いを食べ始めた。食欲が何事にも優先される悲しい性だ。しばらくすると、食べながらも食べられていることにようやく気がついた1羽が、こりゃたまらんとばかりに空に向かって逃げ出した。そのエサを追うようにもう1羽も空へ飛び立つ。さらにそれを追ってもう1羽。そしてさらに…。
悪食ガラスは、オレたちの回りを竜巻のように旋回しながら、次から次へ空に飛び立っていった。カラスの4倍の大きさの羽ばたきは、初めて奴らと遭遇した時同様、立っているのが困難なほどの強風を巻き起こし、あたりの木の枝や骨を空へ一緒に巻き上げていった。
「早くここを抜けるわよ」
「だな」
風が止み、悪食ガラスも居なくなり、オレたちに久しぶりの凪が訪れた。上空では悪食ガラスの群れが八の字に追って追われて無限ループに迷い混んでいる。そろそろ強風に吹き上げられた枝や骨が地面に落下してくる頃だ。オレたちは頂上目指して駆け出した。
◇◇◇
「ここまで来たらもう大丈夫だろう」
息を切らしながら、もと来た道を振り返った。遠くの空に黒い塊が見える。もはやカラスだと認識出来ないほど、それは遥か遠くの空にある。るるは額から大粒の汗を垂らし、そばの大きな岩に仰向けに倒れこんだ。
「るる?! 大丈夫か?」
「少し休憩…」
るるは顔を真っ赤にし、胸を大きく上下させていた。普通でない様子に、慌てて駆け寄る。見れば、るるの右の掌を鋭く尖った白い骨が貫通していた。
「これは!…あの時か?」
悪食ガラスが空に飛び立った時の強風で、残っていた骨の欠片が刺さってしまったようだ。オレは唇を噛み締めた。どうせならオレに刺されば良かったのに。いっつもこうだ。思わずため息が出る。血の滲むるるの掌は痛々しくて、申し訳なさで顔を反らした。
「痛いだろうけど抜くぞ。手当てする」
荷物から消毒薬と包帯を取り出す。傷の手当ては慣れている。骨の欠片が体に残らないように慎重に骨を引き抜いた。るるは歯を食い縛ってずっと我慢していたが、引き抜く瞬間堪えきれず、か細い悲鳴をあげた。
「痛かったよな。ごめんな」
呟きながら、包帯を巻いてやる。るるはまだ苦しそうに震えていたが、わずかに表情を和らげた。
「なんで謝るのよ。そもそもシンは謝りすぎ。シンのおかげで助かったんだから。ありがとう」
るるは額の汗を手で拭い、そのまま暫く目を閉じた。呼吸も少しずつ落ち着いてきたようだ。るるはオレに「ありがとう」と言う。オレと一緒でなければこんな災難に合わなかったはずだ。オレの不幸体質を説明したのに、るるはまだ信じていないのだろうか。オレの影響を受けないルッカ以外の、今まで出会った人々は、オレが何も言わなくても異変を感じとり、オレを忌避した。感謝なんて以ての外だ。
満身創痍のオレたちを、朝の爽やかな風が撫でるように通りすぎていった。風につられて顔を上げると、地平線から夜明けを知らせる太陽が顔を覗かせていた。ここからはロザレス国の全景がよく見える。あの1番高そうな建物がロザレス城だろうか。るるが命を掛けるほど大事に思うメリナ姫が、あそこにいるのだ。
「綺麗…」
るるがゆっくり体を起こし、朝日に照らされるロザレスを眺めていた。同じく朝日を浴びているオレやるるはこの1晩で傷だらけだ。るるはこの旅がこんなに危険なものになると思っていただろうか。
見つめるオレの視線に気づいたるるが、視線をオレの頭に向けた。
「今気がついたけど、シンの髪の色って…」
その言葉は、今は亡き孤児院のみんなを思い出させた。ぱっと見には黒だが少し赤紫がかっている、オレの髪。みんながなんと言ったか覚えている。だから、少し身構えた。
「至極色なのね。良い色だわ」
そう言って満足そうに頷くるる。オレは、思わず目を見開いた。
「そんなこと初めて言われたな。今まではなんだか不吉な色だって、嫌な色だって言われてきたから…」
本当に不吉な色なのか、オレが呪われているからそう見えたのか、どちらが先なのかはもはや分からない。だけど、自分自身もこのどす黒い髪色はずっと好きじゃなかった。ルッカの光輝く金色や、るるの空のように澄んだサファイアの美しさに憧れる。
るるは琥珀色に包まれたロザレスに視線を戻しながら言った。
「知らないの? 至極色は、ある国では高貴な人しか身に付けられない贅沢な色なのよ。つまりね―」
るるは昇ってくる朝日を見ながら微笑んでいる。
「つまりね、物は考えようなのよ。弱い人間はなんでも人のせいにしたがるの。でも、それを責めないであげて。弱い人間はそうしないと生きていけないの。それで以て私は強い人間だから、自分のことは自分で責任を持つわ。私はシンとルッカをドラゴン退治の仲間に選んだこと後悔してない。逆を言えば、シンだって私に着いていくことを自分で決めたんだから、何があっても恨みっこなしよ」
「死んでも恨んだりしないよ」
きのこ魔人と遭遇した日、満月の下でオレを諭したルッカのことが思い浮かんだ。ルッカもるるもなんと強く優しい人間だろうか。恨むどころか感謝しかない。まばゆい朝日が目に染みる…。
「分かればよし。じゃあ休憩は終わりっ! 頂上まであと少しよ」
「ウーパー!」
るるのマントのフードからウーパーがひょっこり顔を覗かせた。一瞬喉の下で何かがキラリと光った気がした。そんなことよりウーパーがやっと目を覚ましてほっとした。オレがぶつけた石の跡がまだ頭に残っていて、見るたびに胸がチクリと痛む。ぶつけられた当の本人が何も気にしてなさそうに、元気にウーパーウーパー啼いているのがせめてもの救いだった。るるだって掌の傷はまだかなり痛むはずだが、もうそんな素振りは見せない。オレだって、一向に治る気配のない右腕の骨折にはすっかり慣れている。
こんなにぼろぼろで満身創痍の2人と1頭だが、気持ちは全然折れていない。この勢いのままドラゴンを退治してみせる。そう思ったら体の底から力がみなぎってきた。大きく息を吸う。そして、力の限り、叫ぶ。
「おーいドラゴン! 首を長くして待ってろよ! オレが必ずぶっ倒してやる!」
「急に大声出さないでよ! びっくりするじゃない」
るるとウーパーが迷惑そうにこちらを一瞥し、頂上に向かって歩き出した。オレは「すみません」としょぼくれて、とことこ後ろを着いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。