第33話 悪食ガラス

 涎を垂らしながら嬉々として迫り来るそのカラスは街で良く見るカラスとそっくりだった。


 違うのは血を想起させる鮮紅色の嘴とその体の大きさだ。近くにいると思っていたそのカラスは、案外遠くにいたようで、近づくにつれ、その想定外の大きさに足がすくんだ。街中のカラスの3倍、いや4倍はあるだろうか。赤い光の数からして、それが相当数いるはずだった。鋭く研がれた嘴が遠目からでもよく見えた。その鋭い嘴がオレたち目掛けて迷いなく突っ込んでくる。


 るるが一歩下がりながらも鞭を構えた。オレは左手でカランビットナイフを握りこみ、先駆けガラスの首元にナイフを突き立てた。


 ナイフを振り払うと、先駆けガラスはくぐもった悲鳴をあげ、力なく地面に落下した。まだ死んではいないようでびくびくと細かく痙攣している。止めを差すために近づこうとしたが、それより先に数羽のカラスが羽をばたつかせながら一斉に死に体のカラスに飛びかかった。


 身を引きちぎる音、啄む音、元々同じカラスだったはずの肉塊を取り合い、仲間内で諍いする音が同時に耳に入ってくる。るるは顔をしかめて目を逸らした。半開きのカラスの口からは何かが腐ったような生ぬるい臭いが洩れ、周囲に漂っている。新たなエサに群がるカラスたちの隙間を抜けて、小さな丸いものが1つ、足下に転がってきた。カラスの目玉と目が合った。


 耳と鼻と目から入ってくる情報に、堪らず嘔吐した。夕飯に食べた鹿肉が半分消化された状態で地面に吐き出された。きらきら石がオレの吐瀉物を仄かに照らす。それにまた、カラスが羽音うるさく我先にと群がった。


「何て悪食だ…」


 口を拭って呟き、カラスの死骸に視線を戻すと、そこには既に白い骨しか残っていなかった。つかの間の食事を終えた悪食ガラスどもは赤い目を光らせ、半開きの嘴から涎を垂らし、こちらを見ている。


「食われてたまるかっ!」


 叫びながら悪食ガラスの群れにナイフ1本で突っ込む。1羽、2羽と斬り込みをいれていく。


 カラスと戦いながら分かったことがあった。


 このカラスは弱った生き物を優先的にエサだと見なすようだった。ナイフで斬られ、死にかけのカラスが次々と共食いされていく。恐らく、ここに散らばるたくさんの人間の骨も、ドラゴンによって殺された人間の死体を、この悪食ガラスが骨にしたということなのだろう。


 そうであれば、こちらがエサを提供し続ける限り、オレたちは食われずにすむ!


 その時、後方から援護していたるるの叫び声が聞こえた。


「シン、ウーパーが!」


 目の前のカラスの片翼を斬り捨て、るるの指差す方を振り返ると、それまで身を縮め存在を消していたウーパーが、悪食ガラスに首根っこを咥えられ宙に浮いているところだった。ウーパーは手足をバタバタさせ必死の抵抗を見せている。オレは新たに襲いかかってきたカラスをかわし、逆手に持ち直したナイフでカラスの首を背面から斬り落とした。粘りけのある血飛沫を浴びないように身を翻す。また新たに提供されたエサにカラスが群がる隙に、再度ナイフを持ち替え、手近のきらきら石を掴み、ウーパーを拐わんとするカラス目掛けて投げつけた。


「ぐえっ」


 きらきら石は見事に的中した。ウーパーの脳天に。それまでじたばたともがいていたウーパーは、手足をだらりとさせぴくりともしなくなった。


「なんでなの?!」


 るるが呆れた声でオレをなじった。


「いやオレ、右投げ左打ちだから」

「知らないわよ! もう私が行くわ!」


 自分の相変わらずの駄目さ加減に泣きそうなオレを尻目に、るるはウーパーを助けに前へ進んでいった。


 襲いくる悪食ガラスを鞭で払い除けながら少しずつ前進していく。幸か不幸か、ウーパーを独り占めし飛び立とうとしていたカラスに別のカラスが気がつき、こちらにも寄越せとばかりに集まり、内輪揉めが始まったので、すぐさまウーパーごと逃げられることはなかった。


 オレはるるが払い落としたカラスに止めを差しながらウーパーとるるを追った。悪食ガラスは斬っても斬ってもどこからか湧いてきて死骸が山積みになる一方だ。だが、その死骸も瞬く間に骨と化す。


「きりがないっ…」


 突っ込んできた1羽を避け損ね、鋭い嘴が頬をかすり、まっすぐな切れ目に血が滲んだ。その瞬間、悪食ガラスどもがだみ声の歓声を挙げながらオレを取り囲み、上空から我先にと嘴を突き出してきた。オレは食われてたまるかと必死にナイフを振り回す。


 前後に羽ばたきながら、オレとの距離を詰めようとする黒い翼の隙間から、るるがウーパーを咥えたカラスを叩き落とし、無事救出するのが見えた。るるは気絶したままのウーパーをマントのフードに投げ入れ、こちらを振り返り、間髪入れず鞭をしならせ、オレを取り囲むカラスを蹴散らした。

 頬の血を手の甲で拭い、深く息を吐く。


「助かった」

「どういたしまして」


 駆け寄ってきたるるとお互い背を預ける形になった。るるに蹴散らされた悪食ガラスは懲りもせず様子を伺いながらじりじりとオレたちとの距離を詰めてくる。


 いつの間にかオレたちはぐるりと悪食ガラスに取り囲まれていた。るるの肩が大きく上下している。浅く、荒い呼吸が伝わってくる。気丈に振る舞ってはいるが、実際は相当な恐怖を感じているに違いない。この数に一斉に襲いかかられたら…。ふと見た足下には相変わらずたくさんの人間の骨が散らばっている。さっきまでと違うのは、オレたちが倒した悪食ガラスの骨がそれを覆っていることだ。


 弱った生き物を襲い、共食いさえも厭わない悪食のカラス…。1羽ずつ倒していてはきりがない。まとめて仕留める方法は…。


「るる、作戦がある」


 足下を見つめたまま、背中越しのるるに耳打ちした。カラスの骨がきらきら石に照らされてその白さを際立たせていた。

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